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母の肖像(2)

 真っ黒な瞳が私を見つめていた。黒髪黒目だけれど、顔立ちははっきりしていて日本人風ではない。


「実は」と、神妙な表情でサラは話を続けた。


「ここのところ、ミレー駅の向こうにある繁華街で、領民とエンディン人の諍いが何度か起きているんです。酒に酔っ払って言い合いになり、最終的に手が出てしまったようですが、その原因というのが公女様の婚約解消のことで。北部の件とは違い、感情的な問題なので互いに譲れないようです」


 私を擁護するのはきっとエンディン人だろう。この国で私をよく思っている人など、探してもなかなか見つからない。


 だからといって、今世まで卑屈に過ごす気はなかった。果菜として生きた前世では、小さな画面の中で偏った世論が形成される過程を目の当たりにした。私を擁護するエンディン人も、私を悪く言うライニール人も、自分の感情を吐き出すために私を利用しているだけ。声をあげているのはごく一部の人たち。槍玉に上げられた人間は娯楽として消費されるだけ。


 世論など――。


 言い聞かせるように頭の中で繰り返した。

 そうしないと、また一度目の人生と同じことを繰り返してしまいそうだから。


「ねえ、サラ。海岸通りには大陸各国の展示館があると言っていたけれど、エンディン王国のものもある?」


「あります」


 サラはスッと姿勢を正す。私のその言葉を待っていたように見え、思わず怖気づいた。


「……やっぱりやめるわ。またスパイだと言われるだけだろうし」


「展示館に領地民が行くことは滅多にありませんから、人目を気にされる必要はないと思います。エンディン王国展示館には前公爵夫人の肖像が飾られていますし、歴代国王、王室の方々の肖像、エンディン王国各地の様子を描いた絵画などもあります。美しいガラス工芸品に、独特の幾何学模様を描いたエンディン綿の織物――あっ、スガールでお出かけになるのはどうでしょう?」


「スガール? エンディンの民族衣装の?」


「はい、そのスガールです。エンディン綿を使っていて、とても軽くて着心地も良いですし、砂浜を散歩するのにぴったりです。エンディン王国展示館は海岸通りに面しているので、道を渡れば砂浜です。ついでに散歩するのはいかがですか?」


 サラの推しの強さに、私は「そうね」とうなずいた。


 エンディン王国と関わることを避けてきたのは、ただ意固地になっていただけだ。スパイだなんだと疑われることより、エンディンの文化に触れることが怖かった。失った古い記憶を刺激されるのか、それとも何の感慨も覚えないのか。どちらにしても何かしらの傷を負う気がした。


 展示館にあるという母の肖像を前に、もしかしたら何も感じないのかもしれない。フランクリン公爵家には母の肖像も思い出も残っていないし、私は母の顔を覚えていないから。


「前公爵夫人は、ホテルではスガール姿でお過ごしになっていたそうです」


 異国風のデイドレスを手にサラは言った。私が思い出すのは『エンディン王国風俗史』にあったスガールの挿絵。


 エンディン綿はガーゼのような軽い素材だ。胸の下に切り替えがあり、丈は足首が少し出るくらい。ナイトガウンのような楽な着心地だが、細やかな幾何学模様で品が保たれている。一緒に用意された靴はバレエシューズのように底が平たく、リボンを足首に巻くようになっていた。


 サラはアンにもスガールを用意し、彼女自身はシャツにズボンという飾りけのない姿のまま、三人で馬車に乗り込んだ。スタンリー卿は御者台。


 門の外はすぐ海岸通りで、車窓には白い砂浜と青い海とが流れていった。寄せて引く波、岩礁にぶつかってできる白波。澄んだ空、飛び交うウミネコ。


 道路や砂浜、周辺施設には多くの人の姿があった。通りすがりにこちらに視線を向けるのは、ミレー・ロイヤルホテルの紋章が馬車に刻まれているからだろう。今あのホテルに滞在しているのは私たちだけ。護衛の騎馬隊が同行していない時点で、車内にいるのは王族以外の宿泊者――つまり、私ということになる。


 砂浜を駆けていた少年たちが、足を止めてこっちに手を振った。年は異母弟と同じくらい。私が手を振り返すと満面の笑顔でピョンピョン跳びはね、しばらく馬車を追ってきた。

 

 ミレーは自由だ。

 少なくとも、目に映るものはそう見えた。

 私が想像していたのは、もっとギスギスした街だったのに。


 ――フランクリン領には反エンディン派がいるから、お姉様が行くのは危険よ。故郷なのに連れていけなくてごめんなさい。


 侍女時代、アリシアはいつもそう言い、フランクリン公爵領には私を連れて行かなかった。


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