令嬢の虐げ方
舞踏会の翌日、目を覚ますと出目金が枕の上で眠っていた。懐かしいフランクリン公爵家別棟の寝室。果菜のワンルームでも、冷たい地下牢の地べたでもない。ベッドサイドのテーブルには使用人を呼ぶためのベルが置かれている。
モーラ伯爵家の三女アンが侍女として付けられていたはずだけれど、私に外出予定がない日は公爵夫人の小間遣いをしていたと記憶している。アンの代わりに私の世話をするのは別棟のメイド。メイドたちは失敗して責任を取らされるのを恐れ、〝その日の生贄〟をくじ引きで決めていた。
いずれにせよ、使用人を呼ばないことには一日が始まらない。
チリン、チリン、と二度ベルを鳴らすと出目ちゃんが起きた。ノックされるはずの扉は沈黙したまま、もう一度ベルを振ってしばらく待ったが誰もやって来なかった。仕方なく自分で着られるドレスを見繕うことにし、クローゼットルームでドレスを選んでいると出目ちゃんが視界に入り込んでくる。
「異世界では召使いがなんでもやってくれるんじゃなかったのか?」
「そうなんだけど、ボイコットされてるみたい」
「なんだ、果菜。異世界に来ても虐められてるのか? ここにもクソ主任の保科がいるのか?」
「保科主任のほうがずっとマシよ。あの人はチクチク嫌味を言ってくるだけだったし、焼き肉を奢ってくれたこともあるから。あの人とは比べ物にならないくらい悪いやつがここにはいるの。可愛い顔した悪魔がね」
バタバタと足音がし、寝室の扉が開いたようだった。クローゼットルームから顔を出すと、頬を紅潮させ、息を切らしたメイドが立っている。
「遅くなりました。お呼びでしたでしょうか」
「身支度と、朝食をとりたいのだけど。ひとまず顔を洗いたいわ」
「かしこまりました」
返事をして出ていったものの、洗面器を持ってくるまでにずいぶん時間がかかった。そのときには自分で着替えを済ませていた。
果菜の読んだラノベでは、〝令嬢モノ的虐げ方〟は苛烈なものから軽微なものまで多種多様だ。私が経験したフランクリン家で虐めは比較的軽い方。洗面器に汚れた水が入れられることもないし、食事にネズミの死骸が入っていたこともない。メイドからの嫌がらせらしい嫌がらせはなく、彼らは侍女長の虐待を見て見ぬふりするだけだ。体罰と称した侍女長の嗜虐趣味に付き合うのは苦痛だったけれど、それ以上に辛かったのは〝裏切り者のスパイの娘〟〝不貞をはたらいた女の娘〟と汚名を着せられ、公女扱いしてもらえなかったこと。
王宮で経験したことに比べれば、この時期の公爵家での嫌がらせはかわいいものだ。
「朝食をお持ちしました!」
ワゴンに食事を運んできた使用人は、厨房の見習いのような格好をしていた。物珍しそうにキョロキョロと部屋を見回し、私が「下がっていいわ」と言うと慌てて出ていく。
ワゴンにはサラダとスープ。パンはない。サラダといっても人参の皮や虫食いの葉を使った生野菜の盛り合わせ。嫌がらせにしてはずいぶん手間がかかっていそうな美しい仕上がりで、彩りにタンポポの花まで添えられている。
『よく成熟した状態で、生のまま食材本来の味を味わうのが最も贅沢な食べ方です』
いつだったか、侍女長のベラがこんなふうに言っていた。その言葉どおり味付けはされておらず、このサラダレシピは侍女長が考えたものだろう。量が少ないのは、『淑女として美しい体型を保たねばなりませんから』――ということ。料理長は侍女長の背後に公爵夫人がいるから言いなりになっている。
スープには具がなかった。おそらく、公爵夫妻と義妹義弟には具入りのスープがふるまわれたはずだ。救いは塩味があること、かすかにベーコンの香りがすること。
「果菜。ずいぶん質素な食事だが、異世界のごはんはこんなものなのか? これも嫌がらせか」
「嫌がらせね」
「異世界も大変だな」
出目ちゃんがスープに顔を近づけた。茹ることはないだろうが、手で追い払って一口飲む。ぬるさがじんわりと体に染み、ゆっくり時間をかけて食べ終えると「うまかったか?」と出目ちゃんが聞いてきた。
「味付けがなってないわ」
「そうなのか? ずいぶんおいしそうに食べてたじゃないか。あの〝レシピの魔女カナカナ〟が」
その言い方に思わず吹き出した。
たしかに、地下牢で飢えていた記憶のほうが強いからか、思っていたほど悪い食事ではない。それに、果菜の記憶を得たことで毒物混入の心配をしなくてよくなった。
一度目の人生では、自分は裏切り者のスパイの娘だからいつ殺されてもおかしくないと考えていた。だから、料理には毒が入っているかもしれないと怯えていたし、公爵夫人と侍女長が怖かった。
しかし、よく考えてみると公爵夫人が私を殺すはずがない。私はエンディン王国第三王女の娘。母娘ともどもライニール王国で殺害されたとなれば、今度こそ外交問題に発展しかねないのだ。
私が処刑された後、エンディン王国との関係はどうなったのだろう。
私の遺体は、母のいるエンディン王国に送られたのだろうか。
頬杖をついて感傷にふける私の目の前を、出目ちゃんが泳いでいる。能天気に窓の外をながめ、「大きな窓だ」と、立ち寝するマッコウクジラのようにお腹を窓に向けている。
「出目ちゃん、私ちょっと出かけてくる」
「会社か?」
「違うわ。塩をもらいに行くの」




