海の見える街(3)
サヴァ・ライナ・ポストをはじめ、複数の王都新聞は王国各地で販売されている。北部を巡る論争はミレーにもすでに広がっているようだった。
もし北部がフォンバーガ大公国として独立し、独自に大陸と交易するようになったなら、貿易拠点として栄えてきた港湾都市ミレーには多大な影響が出る。そんな噂が立ったところに、北部公フレディ・エス・ライニール王弟殿下がやってきたのだ。
非公式訪問とはいえ、お忍びというわけではない今回のフランクリン公爵領訪問。騒ぎがひとつも起きない方がおかしい。
少し、油断し過ぎていたかもしれない。
「王都はゴシップで騒がしいですが、このあたりは貿易関係者が騒いでいるようですね」
地上の騒ぎをながめるアンの眼差しに、非難や嫌悪は感じられなかった。むしろ好奇心が横顔に滲んでいる。
「王弟殿下が正式に否定しているのに、それでは納得できないのかしら」
アンが言うと、「商売人ですからね」とスタンリー卿。私はその反応に興味をそそられる。
「商売人なら言質をとれば十分ではないの? フレディ殿下は公式発言として君主にはならないと明言しているわ」
「私は商売人ではなく騎士なので真面目に受けとられても困りますが、権力者の言葉を鵜呑みにして楽観的でいるのは、商売人としては三流ではないですか? 王弟殿下に今その気がなくても、将来何が起きるかは誰にもわかりません。天災にせよ、人災にせよ、発言を覆さざるを得ないようなことが起こる可能性はゼロではありません。最悪の事態を想定し、先手を打ってああいった示威行為を行うことは、私は無意味とは思いませんけどね」
「騎士らしくない発言ね。話し方も内容も」
冗談めかして言うと、彼はさらに態度を崩し肩をすくめる。
「ラニア公女様とモーラ嬢しかいないので、少し気が緩んだようです。口調はこのままでいいですか? 王弟殿下の前でもこれなので」
「かまわないわ」
アンは唖然としていたが、私と目が合うと彼をまねて肩をすくめた。あまりアンには似合わない仕草だった。
「アンはどう思う? 民衆のデモについて」
「王都でもああいった光景は何度か目にしましたから、あれが民衆の訴え方なのだと思っていました。平民は議員になれませんから」
「モーラ嬢、あれを常識とは思わないほうがいいですよ」
スタンリー卿が言うと、アンは「どういう意味です?」と首をかしげる。
「モーラ嬢はお若いですし、モーラ伯爵という人徳者を父親に持っているから、ラニア公女様が何に疑問を持っているのか理解できていなのだと思います。ああいうふうに王室に対して不躾に文句を言う連中に対しては、剣を突きつけて縄で縛り、牢屋にぶち込んでおけというのが先王時代のやり方でした。現国王陛下は民衆の声に耳を傾ける方ですし、王室批判を弾圧したり、むやみに取り締まるようなことはなさいません。つまり、デモが容認されるかどうかは為政者次第ということです。年寄りたちは現国王陛下の治世になって騎士団の権威が地に落ちたと嘆いていますけど、もしかしてラニア公女様もそういった考えをお持ちですか?」
護衛対象である私に対して、スタンリー卿は値踏みするような視線を向けた。
「私は、ああいう姿を見ると身の危険を感じるの」
私も、似たような光景を王都で目にしたことがある。レイモンド殿下と婚約式を挙げた翌日、フランクリン公爵邸の前でもあんなふうにプラカードを持つ人たちがいた。そこには『婚約反対』『スパイは国に帰れ』という文字が並び、彼らは実際にその言葉を叫んでいた。
ふたりが私の過去に思い至ったかはわからないが、ベランダに沈黙が落ちた。すると、ホテル前に集まった人々の声が妙にくっきりと耳に届く。
「ミレーの声を聞いてください!」
「ミレーはライニール王国の玄関口です!」
「長い時間をかけて大陸各国との信頼関係を築いてきました!」
「私たちの港から船を奪わないでください!」
都合のいいことを――と、ひとり言がこぼれ出る。
ライニール王国の玄関口がここなら、大陸側の玄関口に相当するのはエンディン王国。その中でも最大規模の港湾施設ユアリスク港を有するシルス大公領だろう。
私の母の遺体はミレー港からユアリスク港へと送られ、エンディン王室の霊廟に埋葬された。第三王女の遺体だけ送り返した夫フランクリン公爵に対して、エンディン王国民が良い感情を抱くはずもない。この件を機に、領海問題等を巡る国家間の権力争いだけではなく、庶民レベルでの感情的な対立が生まれた。
「疲れたから少し休むわ」
部屋に戻り、ソファに身をうずめた。
天井からぶら下がるガス灯シャンデリアに見覚えがあるような気がしたが、気のせいかもしれない。絨毯も壁紙も天蓋付きのベッドも、チェストもテーブルも、既視感があるような、ないような。中途半端な懐かしさが胸の奥を刺激する。
この部屋が、二十年前とまったく同じ景色のはずがないのに。




