海の見える街(2)
海風は思いのほか冷たかった。アンが私の肩にショールをかけるのを待って、そばに控えていた支配人が「どうぞ」と行く先を示す。それは当然ながら王弟夫妻とフランクリン公爵のところだ。
公爵は笑顔で私を迎えたが、目元はこわばっていた。
「ラニア、無事到着したようで何よりだ。王弟殿下、娘のためにずいぶん気を遣ってくださったようで、改めて感謝申し上げます」
公爵に合わせて「ありがとうございます」と頭を下げると、予想通り「いちいち感謝せんでいいから頭をあげろ」と王弟殿下の声。ミローナ王弟妃殿下は「こういう方ですから」と公爵に笑みを向けた。
「明日には晩餐をご一緒するというのに、わざわざホテルで出迎えてくださるなんて。公爵は律儀な方ですね」
「領主として当然のことです。丸一日列車に揺られてお疲れでしょうし、私はこれで失礼します。何かありましたらいつでもご連絡ください」
邪魔者だという自覚は公爵にもあったらしい。支配人に場所を譲るように一歩下がった。
「フランクリン公爵、出迎えご苦労だった。また明日の夜に」
王弟殿下と妃殿下は公爵に背を向け、支配人の案内でロビーを歩いていく。私は公爵の前を素通りすべきか、それとも親子らしい会話のひとつでもするべきか迷っていた。すると、出目ちゃんが「ふうん」と興味深そうに公爵のほうに泳いでいき、意図せず目が合う。公爵は居心地悪そうに咳払いした。
「ラニア、体調は問題ないか? おまえはあまり体力がないだろう」
体力がないのは公爵家の食事のせいでは? ――そんな皮肉のひとつも言いたくなるけれど、王弟夫妻の気遣いを台なしにするわけにはいかない。
「ロイヤル列車ほど快適な移動手段はありません。このような機会をいただけて、王弟殿下夫妻には本当に感謝していますし、こうして――お父様にも出迎えていただけてとてもうれしいです」
声が震えそうになった。「お父様」と呼んだのは何年ぶりかわからない。演技とはいえ、言い慣れない言葉のせいで喉にザラリとした感触が残る。
公爵はあまり演技が得意ではないようだった。「うん、ああ」と動揺を隠すこともできず半端な反応。
これまで、社交場で一緒になっても必要最低限の会話しかしなかった。周りにいた貴族たちもそれに疑問を抱くことはなかった。なぜなら、私は〝不貞を働いた他国のスパイの娘〟だったから。
王弟夫妻の最近の言動で、私への態度を帰るべきか悩んでいる王都貴族は多いことだろう。親子とはいえ、公爵もその一人ということだ。親子だからこそ、合理的に行動することは難しい。公爵も、私も。
「お父様、私はそろそろ行きます。明日、公爵邸でお会いできるのを楽しみにしています」
「……ああ。今夜はゆっくり休みなさい。このホテルの客室には海に面した広いベランダがある。朝日が昇るのが見えるから、起きれたら外に出てみるといい」
「それは楽しみです。では、これで」
ロビーの先にある階段の踊り場で、王弟夫妻が足を止めてこちらを見下ろしていた。私を待っているのではなく、私と公爵のやりとりに興味があったのだろう。合流すると、王弟殿下はニヤッと含みのある笑み。
「公爵が言っていたが、ラニア公女はここに泊まったことがあるらしいな。まあ、二、三歳の頃だというから覚えていないのも仕方ない」
「……そのような話は初めて聞きました」
「自分が泊まる部屋のことは聞いたか?」
いえ、と首を振る。
「クレア前公爵夫人がそなたを連れて泊まった部屋だそうだ。結婚する前からその部屋を気に入っていたと言っていたぞ。王女らしいエピソードだ」
ロビーを見下ろすと、公爵はまだ同じ場所に立ってこちらを見上げていた。なんとも言いがたい複雑な感情を振り払うように、私は彼から目をそらす。案内された部屋には、公爵の言う通り椅子とテーブルの置かれた広いベランダがあった。
ホテル前の海岸通り、道を挟んだ向こう側の砂浜。その先に広がる、ライニール王国と大陸を隔てる大東洋。凪いだ海原には、東の空に昇りはじめたばかりの月がうっすらと白い光の筋を落としていた。うわあ、とアンが歓喜の声をあげ、一方、スタンリー卿は腰壁から身を乗り出すようにして安全確認している。
「壁際にはあまり近づかないでください。あそこからでも小銃であれば届く距離ですから」
彼が見ているのは、ガス灯の明かりの下で警備兵と対峙する人々。ベランダにいる私たちに気づくと、プラカードのようなものを頭上に掲げて飛び跳ねる。その声がここまで聞こえてきた。
――北部独立反対!




