海の見える街(1)
王族の地方訪問や巡行に際しては、領主の邸宅に滞在するのが基本。しかし、私たちがフランクリン公爵領に三泊するうちの最初と最後の宿は王室所有のミレー・ロイヤルホテルとなっていた。フランクリン公爵邸を宿とするのは二泊目だけ。
これは、公爵家と王家の体面を考慮した上で、私に配慮して王弟殿下が決めた日程だ。
三泊ともロイヤルホテルに滞在すれば、フランクリン公爵家と王弟夫妻の仲や、私と公爵の親子関係を悪く報じる記事が出る可能性もある。それは、いったん収まった北部独立騒ぎを再燃させるかもしれず、火種はできるだけ潰しておこうということだった。
フランクリン領を避けて通れたなら、こんなことに頭を痛める必要はない。しかし、王国中部の鉄道敷設はまだまだ進んでおらず、ビアズリー公爵領を目指すならまずロイヤルラインで北上し、フランクリン領のミレー駅から西へ伸びる東中線を利用することになる。その東中線も中間地点までしか完成しておらず、そこから先は馬車移動。
午後六時半を過ぎた頃、列車は予定より一時間ほど遅れてミレー駅に到着した。小高い丘の上にある駅のホームに降り立つと、目の前に広がるのは港湾都市ミレーの街並み。
建ち並ぶ白壁の建物は夕焼けに赤く染まっている。
その先には海。
整備された港湾施設と停泊した船舶がひらけた視界の右手に、そして、ここからだと建物の陰に隠れて見えないが、中央から左手にかけては何キロにも渡って白い砂浜が続いているはずだった。
ここはひと足先に秋の匂いがする。それに、潮の香り。もうじき日が暮れる。
「赤いな」
出目ちゃんは私の肩の上。
「白い壁が夕日のせいで赤く見えるわ。絵画みたい」
「本当に美しいですね」
アンも景色に見入っていたが、長く足を止めるわけにはいかなかった。ホームの先では出迎えの人々が整列している。
「行きましょう、ラニア公女」
ミローナ妃殿下が、夫と腕を組んで先に歩いていった。王弟夫妻の護衛騎士は前後左右に一人ずつ。フォーメーションは乱れることがない。とはいえ、王族の護衛としては最低限の人数と言っていいだろう。
レイモンド殿下とアリシアの行啓では少なくともそれぞれ四人ずつ、計八名の護衛がついていた。さらに、その全員に拳銃の携帯が許可されていたが――、
「ねえ、アンダーヒル卿は拳銃を携帯しているの?」
後ろを歩く護衛騎士に問いかけた。
「はい。王弟殿下から許可を得ました」
堅苦しい口調で返事が返ってきて、列車内での態度との違いに思わず笑う。
「どうされました?」
アンが不思議そうに首をかしげた。彼女は王弟夫妻との歓談の場にいなかったから、スタンリー卿の素顔を知らないのだ。
「アンもじきにわかるわ。アンダーヒル卿はとてもおもしろい方なの」
ゴホン、と背後から咳払い。前からは「公女」と王弟殿下が手招きしている。
私がミローナ妃殿下の隣に立つと、背の高い男がミレー・ロイヤルホテルの支配人だと名乗った。簡単なあいさつの後、私たちは支配人の案内で待機していた馬車に乗り、海沿いに建つミレー・ロイヤルホテルへと向かう。
車内には私とアンのふたり、スタンリー卿は御者の隣に乗っていた。夕焼けはほんのわずかな時間で夕闇へと変化し、道沿いにはガス灯の明かりが灯りはじめる。
「ラニア様、大丈夫ですか。ずいぶんお疲れのようですが」
ぼんやり窓の外をながめていると、アンが心配そうにしていた。
「なんでもないわ。夜景に見とれていただけ」
「さすが貿易拠点ミレーですよね。街灯もたくさんありますし、それに蒸気船の明かりも、まるで星空が落ちてきたみたいです」
「そうね」
アンに見えないように、ギュッとこぶしを握りしめた。汗が手のひらに滲んでいる。
ミレー・ロイヤルホテルではフランクリン公爵が待っているはずだ。王族を迎えるためだけに領地に向かったわけではないようだが、滞在日程は事前に領主に伝えられるのだから出迎えるのは礼儀。
なぜか普段以上に緊張していた。
その理由をさっきから考えている。
潮の匂いが鼻を抜けるたびに胸を締め付けるような懐かしさが込み上げ、公爵の姿が頭を過ぎり、心を揺さぶる。
馬車は坂を下り、海岸沿いの馬車道を走っていた。王弟夫妻の訪問は非公式なものだが、沿道には野次馬らしい住民と、それを制止する警備兵。手元でなにかメモをとっているのは新聞記者のようだ。それらすべてが景色として車窓を過ぎていき、駅を出て十五分ほどでミレー・ロイヤルホテルに到着した。
「まさかミレー・ロイヤルホテルに泊まれるなんて思いませんでした」
ライトアップされた白亜の建造物を、アンがうっとりした表情でながめている。他国の貴賓をもてなす外交の場として使われ、ライニール貴族がお金を積んでも王室の許可なく泊まることはできない。ホテルという名が付けられているものの、実際は迎賓館だ。王室の別荘でもある。
馬車の扉が開けられるとスタンリー卿が立っていた。彼の手を借りてステップを降りると、広々としたエントランスにフランクリン公爵の姿が見える。ホテルの従業員が並んで頭を下げている中、公爵は王弟夫妻を前に笑顔だった。




