密談とマリオネット
「ラニア様……?」
声を聞き、私はホッと胸をなでおろした。淡いオリーブグリーンのドレスの裾を揺らして姿を見せたのはアン・モーラ。彼女は何か言おうとしたが、セラヴィが「シッ!」と唇の前に人差し指を立てる。
「ご令嬢、私は王弟殿下の遣いの魔術師です。どうか見なかったことに」
それだけ言うとヒョイッと窓枠を飛び越えて消えてしまった。アンは窓に駆け寄って身を乗り出し、消えた少年を探している。
「ラニア様……、今の方は、本当に?」
私にそう問いかけ、今度は書斎をキョロキョロと見回した。
「本当よ。手品みたいにいなくなったでしょう?」
「そうですが……」
アンの顔に暗い影が差した。
「今のは、大聖堂で会った聖歌隊の方ですよね。王弟殿下の遣いとおっしゃっていましたし、もしかして、婚約式の青い鳥も王弟殿下の指示であの方が……?」
ふたりがすでに出会っていたのを失念していた。セラヴィが王弟殿下のことを口にしたせいで余計な誤解を招いてしまったようだ。
「アン。あなたが何を心配しているのかわかるけれど、それは不要な心配よ。王弟殿下のお気持ちはサヴァ・ライナ・ポストが報じている通り、君主になるおつもりも、王位への関心もお持ちではないわ。ただ、レイモンド殿下の最近の振る舞いに対して思うところがおありになったみたい。私を気にかけてくださるのもそのためよ」
「ですが……、では、あの鳥は――」
「どの新聞も婚約した二人への祝福だと書いているわ。あれをウォルト殿下への加護だと言う人はいない。それに、さっきの魔術師は魔法で動物を直接操ることはできないとも言っていた。仮にあれが王弟殿下の目論みだったとしても、祝いのつもりで演出を頼んだのではないかしら。王都に戻ってレイモンド殿下の最近の様子を知り、少し演出を変えることにした。ウォルト殿下の肩に鳥を止まらせることで、レイモンド殿下に周りに目を向けろと伝えたかったのかもしれないわ」
「周りというのは北部のことですか?」
思いのほか食い下がってくるアンに苦笑する。
「今話してるのは全部私の憶測よ。本当のことを知りたかったら直接聞いてみなさい。旅行中は殿下とも頻繁に顔を合わせることになるだろうし、魔術師も中部で合流するようなことを言っていたから。それより、アン。私に用事があって訪ねてきたのではないの?」
アッと手を打ち、アンは巾着バッグから封筒を取り出した。アン・モーラ宛のその封筒には、差出人としてテイラー・ハルフの名とパーセル子爵領の住所が書かれている。
「今朝届いたものです。もしかして、ラニア様は旅先でこの方にお会いになる予定ですか?」
パーセル子爵領は中部。それも、聖征記念祭が開催されるビアズリー公爵領と隣接している。それでアンは察したようだった。私は彼女に手招きし、耳元で囁く。
「執事のハルフォードさんよ」
「えっ?」
驚くアンの背後から、「果菜」と出目金が顔を出した。
「アンにも話しておいたほうがいいぞ。悪魔に利用されないとも限らない」
「そうね。アンにも知っておいてもらったほうがいいわ。誰か来たらすぐわかるように廊下で話しましょう」
書斎から出て中央棟への連絡階段の方をうかがいながら、今回の旅行の目的である豊穣会の調査のこと、執事が公爵家を辞めてパーセル子爵領に行った理由、フランクリン公爵家の状況を説明した。執事からの手紙に豊穣会のことが書かれていたため、アンにも直接読んでもらった。途中、メイドが来たのを機に部屋に戻り、扉を開け放ったまま奥のベランダでヒソヒソと話を続けた。
アンは中部で暗躍するロードレス信者の話に眉をひそめ、執事がそれを実体験したことに驚き、侍女長ベラ・バーキンの洗脳の話になると困惑の表情を浮かべた。最終的に彼女が「信じます」と口にしたのは、悪魔の力の影響を受けていたことを実感したからだろう。もしくは、私が「王弟殿下もこの事実を知っている」と言ったせい。
「――では、アリシア様とはふたりきりにならないほうがいいということですね」
「そうね。できるだけ関わらないほうがいいわ。今の話はモーラ伯爵夫妻にもしてはダメよ。もし不安だったら今からでも私の侍女を辞めてもいい。何も話さずあなたを巻き込んだのは申し訳ないと思っているし、あなたに何かあったら――」
「それは違います、ラニア様」
アンは強い口調で私の言葉を遮った。
「すでに王国全体が巻き込まれているんです。一番理不尽な巻き込まれ方をされているのはラニア様ではありませんか。公爵邸での扱いも、今回の婚約解消も。王太子殿下があんなふうになってしまわれて、放っておいたらライニール王国はどうなるかわかりません。私は、王弟殿下と魔術師様を疑う発言をしたことを後悔しています」
「……アン、信じてくれてありがとう」
アンは照れくさそうに笑みを浮かべ、時計を確認した。
「公爵夫人が戻らないうちに帰ります」
「そうね。気をつけて帰って、旅行鞄に護身用の武器のひとつでも入れておいて」
冗談のつもりだったが、アンは「わかりました」と真面目な顔でうなずいた。
ベランダから外をうかがっていると、アンは侍女長ベラ・バーキンと一緒に中央棟玄関から出てくる。ベラは馬車を送り出したあと、私のいる別棟二階のベランダを見上げた。
以前は顔を見るだけで体がぎゅっと縮まこるようだったのに、今はそれほどでもない。怖くないと言えば嘘になるけれど、彼女に対する感情はずいぶん淡白になっていた。ベラがなぜ自分を嫌悪し、陰湿な虐待をするのか。その心中を探ることに意味がなくなったから。
ベラは糸で吊られたマリオネット。
操るのはアリシア。
マリオネットの機嫌をうかがっていた一度目の人生に虚しさを覚え、同時にベラへの同情心が湧いた。
私が目をそらさずにいると、ベラはふいっと背を向けて屋敷に入っていく。東棟一階の窓からこちらを見上げていた双子と目が合い、私はヒラヒラと手を振った。すぐにそっぽを向いたのがデリック。うろっと迷ってデリックを追い、別の窓からもう一度私を見たのがイーサン。
図鑑以外に、ふたりに何か良いお土産はないだろうか。




