グラスハウスの花(5)
私には迷路のような温室だが、セラヴィは内部をすっかり把握しているようだった。
目指すのは、入ってきた東棟側のガラス扉とは反対方向。細い煉瓦道を縦に並んで歩く私とセラヴィの横で、パランはあらゆる物質をすり抜けていく。
じきにガラス扉が目の前に現れ、と同時にガラス壁一面を埋め尽くす蔓性植物に目を奪われた。南からの陽光が緑の葉を明るく透かし、ところどころに黄色の小さな花が群れるように咲いている。甘い匂いに包まれ、夜来香のようだと気づいた。
「セラヴィ、あの植物を知っている?」
「調べてみましたが図鑑には載っていませんでした。レイラング山の特有種かもしれません」
「あれは、前世ではイエライシャンという名前だったわ。葉も蔓も花も食用になるの。固い蕾はティエンリーという名で食材として流通していたし、たしか、解毒剤として用いられていたこともあるって本で読んだ記憶があるわ」
ティエンリーはベトナム料理に使われる一般的な食材だ。花は残念ながら食べたことはないけれど、ティエンリーは冷凍購入したことがある。青っぽい、ブロッコリーを思わせる味だった。
「〝果菜〟は植物に詳しかったのですか?」
「植物ではなく食材。食品開発の仕事をしていたの。そういえば、この温室にいくつか毒性植物があったわ。前世の情報がそのままあてはまるとは考えていないけれど、蒸留室を疑ったのはそのせいよ」
「そうでしたか。詳しく聞きたいところですが、ひとまずここを出ましょう」
セラヴィに続いて外に出ようとしたときだった。
「ラニア公女様、いらっしゃいますか」
背後から家令の声がし、私は足を止めて振り返る。
本当に見たのですか、と家令が誰かに尋ねた。相手はおそらく東棟の使用人。若い男の声で「公子様方と一緒にいらっしゃるのを見かけたのですが」と聞こえる。
家令はもう一度私の名を呼び、反応せずにいると足音が遠ざかっていく。それと入れ替わりに、「果菜、果菜」と出目ちゃんが木々をすり抜けて現れた。
「アンが部屋で待ってるみたいだぞ。果菜が東棟に行ったと別棟のメイドが言ったらしくて、それで家令が探してるみたいだ」
得意げな出目ちゃんの背をなでると、満足そうにゆらゆら尾びれを振る。
「アンが来る予定はなかったけれど、何かあったのかしら」
「かもしれませんね。部屋の近くまで送ります。いつもの書斎でいいですか?」
セラヴィの言葉に甘え、私はパランの背に乗った。「いつもありがとう」と声をかけると、返事のつもりなのか涼しい風が吹いてくる。パランとセラヴィは話せるようだから人間の言葉が喋れないわけではないだろう。私のマナが少ないせいで声が聞けないのかもしれない。
パランは無重力みたいに軽く地面から飛び立ち、家令と従者とが中央棟裏手の方へ向かうのが見えた。炊事場に私を探しに向かったのかもしれない。
「ねえ、セラヴィは土と植物をどうするつもりなの?」
「ヤリスィス公爵領にいる生物研究者に調査・分析してもらうつもりです」
「それって、キース王子殿下のこと?」
「そうです」と半分笑いを含んだ返事が返ってくる。
キース・ティム・ライニール王子殿下。王の子ではなく、王弟殿下の長男だ。王位継承順位は父親であるフレディ殿下に次いで第四位。ただ、親子ともに王位には興味がなさそうだった。
「キース様とはパーセル子爵領で落ち合うことになっています。ここの元執事のバリー・ハルフォードのことも気になりますし」
「ハルフォードさんは、今はテイラー・ハルフと名乗ってるわ。接触するつもりならカリナ・タッカーの知り合いだと言えばいい。彼に連絡をとるときはその名を使っているから」
「カリナは果菜から?」
「高槻果菜が前世の名前。あなたは雨島結。雨の島を結ぶという意味よ。もし私と出目ちゃんの話を信じるならね」
パランは屋根の上で人の気配がなくなるのを待っていた。メイドの声が遠ざかると屋根からひょいと飛び降り、目の前には開け放たれた書斎の窓。
身動ぎしないセラヴィを不審に思って顔をのぞき込むと、彼は真面目な顔で「前世のことですが」と言う。
「信じていないわけではありませんが、……もしかしたら前世ではなく来世かもしれません」
「来世? どういう意味?」
「そのままの意味です。私がいつか死んでユイユイに生まれ変わり、前世の光景だとも思わず、頭に浮かんだおぼろげな記憶を物語として書いたのかもしれません。果菜はラニア公女様にとっては前世だけれど、私にとって雨島結は来世。そういう意味です」
出目ちゃんは「なるほどな!」と納得していたが、私の頭脳は精霊ほど柔軟ではないらしい。考え込んでいると、セラヴィは窓枠に飛び移って手を差し出した。
「早く。誰か来たら見られてしまいます」
彼の手をとった瞬間、やわらかな風が私を運んでいく。窓枠から床へと飛び降りたとき、キィと戸の軋む音。扉の陰から、誰かがこちらを見ていた。




