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グラスハウスの花(2)

 屋外に出た瞬間、焼けるような日差しに手をかざした。


 十メートルほど先にそびえるのがフランクリン公爵家の温室(グラスハウス)。サビナ夫人がフランクリン公爵家に嫁いできたあとに建てられた、蒸留室併設の温室だ。


 左手奥にある木立の向こうには業者が出入りする東門。右手方向へは温室に沿って石畳が続き、その途中にグロリオサの咲く温室のガラス扉がある。さらに石畳を先へと行くと蒸留室の出入り口。もっと行けば東棟前庭園へとたどり着く。


 豪奢な装飾が施された温室の正面扉は、ここからは見えなかった。東門方向に向いており、馬車で出入りするとき何度か見たことがある。東門は基本的に使用人と業者用だが、母が死んで、レイモンド殿下と婚約するまで私は東門を使用していた。


 ぼんやり過去に思いを馳せたのは一瞬。グロリオサの咲くほうを振り返ると、異母弟ふたりが温室から出てくるところだった。


 デリックとイーノックは私に気づいて足を止め、突如言い合いを始める。私の背後にある東棟出入り口が自室に戻るには近道だけれど、私を避けるなら東棟前庭をぐるっと回って中央棟玄関に行くしかない。どちらにするかで意見が割れたようだ。


 コイントスをして勝ったのはイーノック。彼はこぶしを振り上げて喜んだが、私の視線に気づいてプイッと顔をそらす。渋々こっちに歩いてくる弟たちを待っていると、彼らを追い抜く小さな影があった。出目ちゃんだ。


「果菜、ユイユイが温室にいるぞ」


「何しに来たんだよ」


 私に向けたイーノックの言葉に、「レイラングの土と植物を盗みにきたらしい」と出目ちゃん。会話がすれ違っているが、もちろん双子には聞こえない。


「ふたりにあいさつに来たの。明後日ここを発つから。お土産、何がいい?」


「そんなもんいるかよ、なあ」


 イーノックは双子の片割れを振り返り、その片割れは二階の窓に目をやっていた。窓辺の騎士が私たちの視線を受けてペコッと頭を下げる。花瓶の位置はまだ変わっていない。


「ねえ、デリック。温室に入るのは公爵夫人の許可をもらったの?」


 真面目なデリックに問うと彼はうろっと目を泳がせた。私はすかさず「家政婦長には?」と聞く。


「毎週木曜の午後は家政婦長はいないんだよ、知らないのか?」とイーノック。


「余計なこと言うなよ」とデリック。


 やはり内緒で入ったようだ。このまま私を無視して部屋に戻るのだろうと思っていたが、デリックは突然私の手を掴み、温室のほうに引っ張っていった。


「おまえも入りたかったんだろ。一度も中に入らせてもらったことないんだし、せっかくだから入ってみろよ。でも蒸留室には入れないからな。鍵が掛かってる」


「蒸留室にも入ろうとしたの? そっちが目的?」


 デリックは答えない。


 イーノックではなくデリックが私の手を掴んでいるのは、なんだか妙な気分だった。私を連れて温室の中に入ると、これで任務完了というように手を離す。


 湿度と熱気。

 なんとも言い難い、腐葉土と花と蜜が混じったような甘い匂い。

 草いきれのような青臭さ。

 外から吹いてきた風が一瞬匂いを払い、すぐまた戻ってくる。


「気になるだろ?」


 イーノックはグロリオサのそばにしゃがみ込んで言った。


「気になるって?」


「裏の古い蒸留室とこっちの蒸留室がどう違うのかだよ。お母様と家政婦長は温室の植物を使って何か作ってるみたいだし、それに、ここの植物には図鑑に載ってないのがあるんだ。この赤い花とかさ」

 

 イーノックはグロリオサの花を指さした。


 言われてみれば、別棟図書室の植物図鑑にもグロリオサは載っていなかった気がする。掲載されているのは観賞用植物と農作物、薬草など王都で一般的に流通しているものばかり。それも、比較的平地の多い南部と東部原産のものが中心だった。おそらく、北部や中部、西部の中でも、山地や渓谷など人里離れた場所に生息する野生植物の採集・研究は体系的に行われていない。


 図鑑にないグロリオサ。

 それがここにあるということは、レイラング山に自生しているということだ。


「イーノック、部屋に戻るぞ」


「えっ、まだいいだろ?」


「そろそろ先生が来る」


 デリックはイーノックを無視して外に出ると、向かいの東棟を仰ぎ見る。


「花瓶は?」


 イーノックが聞いたが、デリックは答えなかった。たぶん、花瓶はまだ同じ位置にあるのだろう。


「ぼくは先に戻る。イーノックは残りたかったら残ればいいだろ」


「えっ、ちょっと待てよ。こいつを勝手に中に入れたのはおまえだろ。放って行くのか?」


 イーノックがデリックの腕を掴み、デリックは振り返って私を見た。


「おまえも共犯だ。お母様でも、家政婦長でも、言いつけたければ言いつければいい」


「言いつけたりしないわ。会いたくもないもの。

 あっ、そうだ。もしビアズリー領に植物図鑑があったら買ってきてあげる。王国中部は南部と植生が違うだろうし、この花も載ってるかもしれないわ。公爵夫人が中部から取り寄せたものだろうから」


 ビアズリー領はレイラング山を有する王国中部の公爵領。聖征記念祭が開かれる場所だ。今回の小旅行の行き先が中部へと変更になったことはすでに新聞各紙が報じているし、双子も知っていたようだった。


「北部行きはやめたんだってな。おまえと一緒に長旅するのは王弟殿下もウォルト殿下も嫌だったんだよ」


 イーノックの口の悪さは表情が伴っていない。すねた子どもだ。


「そういうこと言うと図鑑買ってきてあげないから。ビアズリー公爵閣下に頼んであげようと思ってたのに」


「えっ、……あ、べつに、いらないって言っただろ。なあ、デリック」


 デリックは呆れ顔でため息を吐くと、「行くぞ」と背を向けた。が、思い出したように振り返る。


「おまえ、グレイアム領には行かないよな?」


「予定にはないけど、どうして?」


「行かないほうがいいぞ。おまえ、グレイアム侯爵家に嫌われてるから。聖征記念祭に侯爵夫妻が来てたら、王弟殿下か第二王子殿下と一緒にいたほうがいい」

 

「あ、おれもそう思う。伯父さんと伯母さん、いつも――」


 何か言いかけたイーノックの手を掴んで、デリックは今度こそ東棟に戻っていった。イーノックは何か言いたげに何度か振り返り、建物の中に消える直前に、照れくさそうにヒラッと手を振った。いってらっしゃいのつもりだろうか。


「かわいいわね」


「かわいいですね。公子様たちは意外に悪魔の影響を受けていないようです」


 セラヴィが、いつの間にか隣に立っていた。その右手は白い獅子のたてがみを優しくなでている。



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