グラスハウスの花(1)
王都出立予定日の二日前。公爵夫人とアリシアは外出し、フランクリン公爵邸への馬車の出入りは少なく、邸内はことさらに静かで、私は思い立って東棟へ向かった。双子に会うためだ。
アリシアの聖征記念祭参加はほぼ確実。しかし、ありがたいことに公爵夫人と双子は王都に残ることになっている。当主不在の留守を守るためらしいが、実際はアリシア留守中の王室監視のためだろう。
いずれにせよ、双子とは三週間ほど離れることになる。彼らが出かける時はあいさつも土産もなかったけれど、庭園や建物の陰をうろちょろして私の様子をうかがう異母弟を見かけるたび、以前と関係が変わったように感じていた。変わったと感じるのは主にイーノックで、デリックはイーノックに付き合わされているだけのようだが。
出目ちゃん曰く、デリックはかなり〝凝っている〟状態らしい。最初はアリシアによる悪魔の力の影響だと考えていたけれど、次第にそうではない気がしてきた。
デリックは「公爵家の後継者としてかくあるべき」という社会常識・規律に縛られている。父親である公爵の言葉を盲信しがちで、一番気にしているのは父親の目に自分がどう映るか。これが洗脳に近い状態を生み出しているのではないだろうか。
とはいえ、デリックにまったく反抗心がないわけではない。渋々ながらイーノックに付き合って服を交換したり、公爵夫妻の目を盗んで中央棟裏の炊事場まで行ってみたりしている。
そして、今日もどうやら二人でどこかへ行ってしまったようだった。双子の部屋の前に立って扉をノックしようとした時、
「出かけられましたよ」
通路奥に立っていた警備の騎士が声をかけてきた。アリシアがガゼボで倒れた日、外で警備にあたっていた王室派遣の騎士だ。
「弟たちの行き先をご存じですか?」
私は騎士に歩み寄りながら話しかける。
「存じません。ただ、公子様方の部屋を誰かが訪ねてきたら、ここの出窓の花瓶を移動するようにと頼まれています。すぐに走って戻るからと。おそらく、家庭教師が来られる予定なのだと思います」
「なら、窓が見える場所に行ったのね」
「そうだと思います」
以前は私に敵意の眼差しを向けた騎士だったが、今の態度に警戒の色は見られなかった。目的地が弟の部屋だったせいか、私と王弟に繋がりがあると知ったからか、ここにアリシアがいないからか。
騎士の言う「出窓」は、通路を曲がったところにあった。小さな縦長の窓が等間隔にみっつ。その先にあるのはアリシアの部屋。アリシアも夫人も外出しているからか、警備は東棟二階全体を見渡せる通路の曲がり角に一人だけのようだ。
「この花瓶です」
騎士が指し示したのは、一番手前の出窓に置かれた花瓶。淡い翡翠色をしたガラス製で、燃え盛る炎のような赤い花が飾られている。グロリオサだ。
グロリオサはユリ科の球根植物で、根にコルヒチンを含む有毒植物。山芋と間違えて食中毒になったという事例が載っていたのは、果菜がワンルームマンションに積み上げた書籍城塞の中の一冊。
「卿はこの花をご存じ?」
「私はあまり花には詳しくなくて」
「あまり見かけない花よね。卿はどこかで見たことがある?」
「ずいぶん派手な花ですから印象に残っていそうなものですけど、他のところでも、王宮でも見た記憶はありません。あの温室に咲いているのを見ましたが」
あれですよね、と騎士は窓の向こうに見える温室を指さした。
王宮の大温室はビル五、六階分の高さがあるが、フランクリン公爵家の温室は二階建ての民家くらいの大きさ。鉄骨に板状ガラスで全体を覆い、天井はドーム状になっている。バナナやヤシのような背の高い南国植物は見当たらず、蔓性植物が何種類もの実や花をぶら下げていた。
ガラス扉や窓などの開閉部はすべてが開け放たれ、東棟横手の出入り口に緑の蔦が揺れている。その緑のカーテンの隙間から濃い赤がチラチラとのぞいていた。
「少し見えにくいですが、あそこの赤いのがこれと同じ花だったと思います。巡回中に外から見ただけですが」
「そう。私は今初めて見たわ。余計な疑いをかけられたくないから、東棟周辺にはなるべく近づかないようにしていたの。誘われたら散歩くらいはするけれど」
騎士がきまり悪そうに「あ……」と声を漏らしたそのとき、少年がグロリオサの前を横切って温室から顔を出した。イーノックかデリックか。少年は周囲をうかがい、二階にいる私を見つけると顔をしかめた。
「デリックだわ」
「よくおわかりになりますね」
「あのふたり、表情がまるで違うのよ」
デリックは温室の中に戻っていく。イーノックを呼びに行っているのだろう。
「じゃあ、私は行くわ。ありがとう」
「どちらへ」
「弟たちのところ」
足早に一階へ下り、中央ロビーから東棟一階通路を抜け、東棟横手の扉から外に出た。




