秘めた想い(3)
「兄上こそ、玻璃宮にご用事が?」
ウォルト殿下は階段を下りようとし、ふと振り返って私の顔をのぞき込んだ。その距離の近さは王弟殿下の影響なのか、それともレイモンド殿下の視線を意識してのことなのか。
ウォルト殿下が繋いだ手に力を込め、自分の手が震えていることに気づく。
「大丈夫か、公女」
返事をする前に、「なんだ、修羅場か?」と頭上から野太い声が降ってきた。軽い足取りで階段を駆け下りてきたのはフレディ王弟殿下。一部始終を見ていたのかもしれない。
「ラニア公女はもう少し体力をつけたほうがいい。北部までほぼ鉄道で移動する予定だからそこまで心配はいらないが、旅先でくたびれて動けないのはもったいないからな」
フレディ王弟殿下は横目にレイモンド殿下の反応を確認し、私の手を自分の腕にかけて「両手に花だろう?」と笑う。反対側に立つウォルト殿下が「花ではなく巨木でしょう」と返し、それをながめるレイモンド殿下は無表情、アーロン卿は困惑した様子だ。
「レイモンド、忙しい最中の王太子が玻璃宮に何の用だ?」
「時間が空いたので、久しぶりに玻璃宮に足を運んでみたのです。普段は住人が居ませんが、今は叔父上がいらっしゃるので」
「ラニア公女が今日この時間に玻璃宮に来ることを知らなかったというのなら、近衛を入れ替えるべきだ。なあ、アーロン・カーティス」
アーロン卿は返す言葉もなくグッと顎を引いた。ここでも王弟殿下の独壇場かと思ったが、「何を企んでいるのです?」とレイモンド殿下が鋭利な視線を叔父に向ける。もちろん王弟が動じることはない。
「妻がな、ラニア公女のことを考えると心が痛んで眠れないと言うんだ。王都中が公女の異母妹とおまえの婚約で沸いているし、さぞ居づらいだろうと思ってな。気晴らしに北部に行かないかと誘ったところだ。王都を離れればこんなふうに元婚約者と顔を合わせることもない。いくら政略での婚約とはいえ、六年も婚約者をしていて突然捨てられたら傷つくだろう。そういう配慮はおまえがすべきだったんだが」
「私に、公女を王都外に追いやれとおっしゃるのですか?」
「違う。おまえが急ぎ過ぎたと言っているんだ。出会った翌日に公爵家に押しかけるなんて王族としての品位に欠ける。女にうつつを抜かすと国が傾くぞ」
「うつつを抜かすなど。アリシアは国母に相応しい資質を――」
突然、レイモンド殿下が痛みに耐えるように顔をしかめた。それは一瞬で、顔をあげた彼は私と目が合うとすぐにそらす。
「レイモンド。私はアリシア公女のことはよく知らんが、そこまで言うなら別れた女に執着するのはやめろ。元婚約者に見張られては、ラニア公女はおちおちデートもできやしない」
「叔父上、少々兄上に厳し過ぎるのでは?」
ウォルト殿下が機を見計らっていたように口を挟んだ。
「公女を見張っていたというのは兄の配慮ではないでしょうか。兄上とラニア公女の婚約式後はフランクリン邸前で婚約反対を叫ぶ民衆がいたと聞きます。ラニア公女に関しては突拍子もない悪評ばかり広まっていて、いつ暴徒に襲われないとも限りません」
「ものは言いようだな。まあ、だから北部に誘ったんだが」
「ということです、兄上。私もラニア公女は王都を離れるべきと思います。叔父上が一緒なら安全ですし、私もいますからね」
「果菜」
どこかから声がして出目ちゃんを探すと、レイモンド殿下の頭上にいた。
「ちょっとほぐれた気がする。どうしてパランはこれが見えないんだ?」
どうやら出目ちゃんの視線の先にはパランがいるらしい。セラヴィが情報収集のために寄越したのだろう。
「公女、誘いを受けるつもりなのか」
レイモンド殿下の表情も口調も、見慣れた事務的なものだった。私は小さく息を吸って、吐く。
「私が王都にいると祝賀ムードに水を差してしまいそうですし、王弟殿下のお言葉に甘えて北部に行こうと思います」
「そうか」
短い返事。ウォルト殿下が「良い旅路になりそうですね」と私の手の甲に口づけたのは、兄の嫉妬を煽ろうとしているのだろう。けれど、彼は弟ではなく王弟殿下に視線を向けていた。
「邪魔したようですので私はそろそろ戻ります。ウォルト、噂が立つようなことは控えるように」
「おまえがそれを言うか?」
叔父の言葉にレイモンド殿下は答えず、「では」と足早に去っていった。アーロン卿は後ろ髪引かれるように何度かこちらを振り返り、じきにその赤髪も見えなくなった。




