秘めた想い(2)
レイモンド殿下は、二階のベランダにいる私たちに気づいて足を止めた。続いてアーロン卿がこちらを仰ぎ、目礼する。風に揺れる赤髪から、小さな黒い点がふよふよと宙に舞った。出目ちゃんだ。
「兄上、そちらでお待ちください。すぐ行きます」
ウォルト殿下が声を張り上げ、「行こう」と私の手を引く。王弟殿下は「任せた」とヒラヒラ手を振った。
行きたくないと言えない。
会いたくない、顔を見たくない、声を聞きたくない。
「殿下、お待ちください。まだ心の準備が……」
「やはり、兄に会うのは辛いか?」
穏やかな顔つきのわりに、ウォルト殿下の言葉は鋭利な刃物のようだ。階段途中で逡巡していると「果菜」と出目ちゃんの声がした。私につられ、殿下も後ろを振り返る。
「果菜、アリシアは帰ったぞ。国王たちは端っこの辺が少しのっぺりしてるくらいだ。この男は、うーん、まあ、普通だな」
出目ちゃんは値踏みするように殿下の頭の上を二周し、ふわふわと柔らかそうな金髪の中に着地した。
「公女、どうかしたか?」
「あ、……私のファミリアが殿下の頭の上に」
殿下は「えっ」と頭に手をやり、出目ちゃんは驚いて私の肩の上にやって来る。
「今はここです」
「見えない」
ウォルト殿下は何もない場所をじっと見て、フッと吹き出した。手はずっと繋がれたままだ。
「デミュチューンという名だったか。公女はそのファミリアといつも一緒にいるのか?」
「そういうわけではありません。今日、アリシアが両陛下に謁見すると聞いていたので、内緒でついて行ってもらいました。陛下の中身の状態を知りたかったので。アリシアが帰ったあとに、庭にいるおふたりについて来たようです」
「父上のことは何と?」
「端の辺が少しのっぺりしていると。たぶんそこまでひどい状態ではないと思います。私の侍女が同じような状態でしたが、自分で洗脳を解いたようなので。――あ、のっぺりという言い方は」
「叔父上から聞いた。公女、ファミリアに私のことも見てもらってくれないか? 大丈夫だとは思うが、洗脳とは自覚できないものだろうし」
「殿下は大丈夫だそうです。アリシアと接触しなければ問題ないと思うのですが、不思議なのはカーティス卿が洗脳されていないことです」
ウォルト殿下は「そうなのか」と、指先で顎を揉んだ。考える時の仕草は兄と同じらしい。
「ラニア公女のせいではないか?」
「私ですか?」
「ああ。カーティス卿は、さっき私が言ったような洗脳に抵抗している状態じゃないだろうか。最近の兄に疑問を抱いているようだし、それは兄のラニア公女への態度が原因だ」
一度目の人生でアーロン・カーティスの態度が変わったのは、彼がアリシアの護衛騎士になってからだった。その頃には、レイモンド殿下とアリシアが暮らす白亜宮の使用人のほとんどが私を敵視するようになっていた。その中で一人だけ洗脳が効かなかったのが侍従のニール。けれど最後にはそのニールも洗脳され、私の罪を偽証したのだ。
いつ、誰が豹変するかわからない。
恍惚とした表情で嘘の証言をしたニール。
豊穣会の人々もきっとあんなふうではないだろうか。
陶酔し、
熱に浮かされ、
狩った肉を頬張り、
豊かさについて語る――。
ふと、赤い発疹が脳裏を過った。
肉を食べると蕁麻疹が出ると言っていたニールの首筋にできた発疹。犯人を見つけた褒美として豪華な食事がふるまわれたのだろう、それを断れず肉を食べてしまったのだろう――死ぬ前の私はそう考えていた。
しかし、順序が逆だったのでは?
肉を食べ、
洗脳され、
偽証した。
執事も肉はあまり食べられないと言っていた。
炊事場の使用人の食事に肉はほぼ使われない。
私の食事も同じようなもの。
つまり、悪魔の力の影響を受けていない人間に共通するのは、肉の摂取量が極端に少ないこと。
肉と言えば、エマがレイラング産の肉のことを話していた。
『レイラング産の猪肉や鹿肉を最近よく仕入れられてるみたいなんですよ。グリッジ地方の商人みたいで。氷漬けにして腐らないようにして運んで来るんですって』
執事によると、レイラング産の肉を仕入れるよう家令に命じたのは公爵夫人。東棟近くの温室では、レイラング山の土で植物を栽培しているとも言っていたはずだ。
「ラニア公女。考えごとをしているところ悪いが、どうやら兄は待ちくたびれたようだ」
ウォルト殿下の声で我に返ると、聞き覚えのある足音がした。レイモンド殿下は階段下で足を止め、王族らしい鷹揚さで私たちを見上げる。
「ウォルト、ここで何を?」
彼の目は弟に向けられていた。ウォルト殿下はその視線を笑顔で受け止めると、さりげなく私を引き寄せる。レイモンド殿下はまるで私がここに存在しないかのように、目を合わせようとしない。




