玻璃宮訪問(6)
「豊穣会が北部に進出している」
王弟殿下の言葉のあとマダムはテーブルを見回して、自分以外が事情を把握していると察したようだった。
「豊穣会ですか。初めてその名を耳にしたのはずいぶん昔のことです。最近は聞かなくなったと、モアナ前伯爵夫人は亡くなる少し前に言っていましたが」
「堂々と豊穣会と名乗るのをやめたのだろう。だが、なくなってはいないし、むしろ広がっていると考えている。私は聖征記念祭を利用して豊穣会の情報を集めるつもりだ。ラニア公女は、パーセル子爵領出身の執事から豊穣会のことを聞いていたらしい。その執事は公爵家を辞めて豊穣会を調べているそうだ。それでラニア公女を聖征記念祭に連れて行こうと思った。叔母上は豊穣会についてどの程度知っている?」
王弟殿下は新たな情報を期待していたようだが、マダムは無念そうに首を左右に振った。
「被害らしい被害が出ていないでしょう? 領主やまとめ役のような方々は揃って『厄介なやつらだ』と怒っていましたが、住民は必ずしもそうではありません。『民衆が蜂起した』とか『街が変わった』と。政治結社か何かかと思って探ろうとしたこともあるのですが、逃げ水を追うようで収穫はありませんでした。そのうち名前も聞かなくなって」
「マダム・クロエでもそうか。我々もまだ調査中だが、あれは政治結社ではなくロードレス信仰だ。根本にある考えは弱肉強食。狩られる者は狩る者の礎となる。これまで得た情報から推測すると、弱者に仕事と衣食住を与えると言って連れ出し、無給で働かせているのではないかと考えているが」
「まるで悪徳業者ですね」
「信者の中には悪徳業者もいるだろうが、特定の業者が豊穣会を名乗っているわけではなさそうだ。布教活動の中心は商売とは無関係のように思う。だからこそなかなか尻尾が掴めない。放っておけば取り返しのつかないことになりそうな予感がしてな。叔母上、どうか協力してくれ」
フレディ殿下が両膝に手を置いて頭を下げると、マダムは慌てて「わかりました、わかりましたから」と半ば強制的に要求を飲まされた。
「ミローナ妃殿下がラニア公女様を気の毒に思って聖征記念祭に誘ったようだと記事にすればよろしいですか?」
「北部だ。聖征記念祭のことは触れずに、北部に公女を誘ったとしてくれ」
王弟殿下は満足そうにしている。
強引に物事を推し進めるやり方は兄の国王陛下とは対照的で、『陛下にとって王弟殿下が頼りになり過ぎた』という先ほどのマダムの言葉はきっと真実だろう。それは一王国民として頼もしくもあるけれど、二人が遠く離れた南と北をそれぞれ拠点にするとなると危うくもある。本人たちにその気はなくとも、貴族は勝手に派閥を作って神輿に担ぎたがるものだから。
「叔母上、感謝する」
フレディ王弟殿下はおもむろに椅子から立ち上がると、「行くぞ」と、第二王子殿下と私の名を呼んだ。
「ミローナ、あとは叔母上と水入らずの時間を過ごしてくれ。公女は予定ができた」
「あら。それは残念ですが、ラニア公女とは旅路でゆっくりお話できますものね」
最初からそのつもりの茶番劇。マダムは私とウォルト殿下を心配そうに見ていたが、私はむしろマダムのことが心配だった。
部屋を出ると、事前に人払いがされていたのか使用人の気配はない。第二王子殿下と並んで王弟殿下の後ろをついて歩きながら、私は「マダムが心配です」と壁のような大きな背に声をかけた。
「ラニア公女。あれはか弱い貴婦人ではなく、王国の情報網をその手に握るマダム・クロエだぞ?」
「そうかもしれませんが……、私が玻璃宮に来たことはアリシアも把握しているはずです。それに、カーティス卿は私の動向を見張るようレイモンド殿下から指示されたと言っていました。必要なら拘束せよとも」
ハッと、王弟殿下は吐き捨てるように笑った。
「洗脳か、執着か。どっちだろうな」
「……どういう意味でしょう?」
私は言葉の意図を捉えかねて問い返した。
フレディ殿下は足を止め、「風に当たろう」とベランダに私たちを連れ出す。夏の午後三時は日がまだ高いけれど、玻璃宮裏手のベランダは東向き。二階から見下ろす水路庭園に、宮をかたどった濃い影ができていた。風は心地よく汗を拭っていく。
「公女。叔母上にはこちらで護衛をつけているし、王族の三親等だから王都でも拳銃携帯できる。実際、最新型のを持ち歩いているはずだ。それと、レイモンドについてだがな――」
王弟殿下は意味深にウォルト殿下と視線を交わした。そして、
「あいつの洗脳を解く鍵はラニア公女かもしれん」
笑い混じりに言う。おそらくはウォルト殿下の意見で、王弟殿下は半信半疑なのだろう。
「なぜそのようにお考えなのでしょう? 私は魔女ではありませんのに」
王弟殿下は「おまえが答えろ」とウォルト殿下に返答を押しつけた。
レイモンド殿下よりも垂れぎみの目、湖のような澄んだ青い瞳。元婚約者の弟だというのに、こんなふうに近くで話すのは初めてだった。
たぶん、レイモンド殿下は弟を私から遠ざけていたのだ。弟だけでなく、王族を、彼の家族全員を。
私が王族になることはないから。




