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玻璃宮訪問(3)

 王都新聞『サヴァ・ライナ・ポスト』のオーナーは、一切社交場に顔を出さず長らく謎に包まれていたが、マダム・クロエという女性だという噂があった。


 ゴシップばかりの大衆新聞とは一線を画した、硬派な記事を掲載するサヴァ・ライナ・ポスト。特に外交や王室関連の政治記事について、速報性はないが、詳細な内容と多角的分析により専門家からも信頼を得ている。


 王室が公式に発表していない情報も載せていることから、マダム・クロエは王族関係者ではないかと考える者もいたが、時には王室批判記事なども掲載しており、王族と距離のある大貴族ではないかとも囁かれている。正体は謎に包まれたまま。マダムという呼び名は目眩ましで、実は男性ではないかという声もあった。マダム・クロエとして名が挙がった人物は二十人以上。


 一方、話題になりそうな謎めいた人物にも関わらず、マダム・クロエという呼び名を知る貴族女性はごく少数だった。社交場でマダムの話題が出たこともない。これは、女性が政治に首を突っ込むものではないという考え方からきている。ゴシップ記事を話題にする女性はいても、サヴァ・ライナ・ポストを人前で広げる淑女はいないのだ。


 私がマダム・クロエについて知ったのは、サヴァ・ライナ・ポストが『王室広報と化した』と批判されはじめてから。一度目の人生の、王宮侍女になって一年か二年経ったくらいの頃。


『マダム・クロエは死んだかもしれない』


 王宮官吏たちがしきりにそう囁き合っていた。何度か耳にするうちに、それがサヴァ・ライナ・ポストの影の女主人の呼び名だとわかった。


 王宮官吏たちは日々サヴァ・ライナ・ポストに目を通し、必要に応じて公式に反論したり、対策を講じていた。その紙面から耳の痛い政治批判や王室批判が消えた。


『仕事は楽になったが、新聞を買う意味もなくなった』


 官吏たちは喜ぶ以前に戸惑っていたが、そういえば、あのとき官吏の一人がグレイアム家の火災の話をしていたはずだ。


『サヴァ・ライナ・ポストが以前のままだったなら、グレイアム侯爵夫妻の死について記事にしていたかもしれない。ルアーナ地区の封鎖焼却についても』


 この記憶に間違いがなければ、サヴァ・ライナ・ポストが変わったのはモアナ伯爵領ルアーナ地区で流行り病が発生し、封鎖焼却が秘密裏に行われた頃ということになる。


 別の日に盗み聞きした官吏の言葉が、連鎖するように脳裏を駆け抜けていった。


『グレイアム家の火災の件なんだが、やはり侯爵夫妻は殺されたようだ。火災の少し前にモアナ伯爵領のルアーナ地区が封鎖焼却されただろう? グレイアム侯爵夫妻はルアーナ地区を訪問して流行り病に罹ったらしい。グレイアムと言えばアリシア王太子妃殿下の母君のご実家だし、グレイアム侯爵領での患者は侯爵夫妻しか出ていないようだったから、ことを大きくしないよう二人だけを処理したってことだ』


 これは、アリシアによる〝用済みの処分〟の可能性が高い。不安に突き動かされるように、私はマダムを見た。


 手の届く距離にいるマダム・クロエことクリスティーナ・ヤリスィス。彼女は穏やかに微笑み、その顔に無数の皺が刻まれる。声の張りも、ピンと伸ばした背筋も、死の気配を感じさせない。


「公女様、私のことはマダム・クリスティーナとお呼びください。その名は内緒でお願いします」


「わかりました。私のことも気楽にラニアとお呼びください」


 互いの呼び方が落ち着くと、マダムはおもむろに「ラニア様は私の名をどこで?」と聞いた。しまったと思ったが顔には出さない。


「はっきりとは覚えていませんが、侍女のアン・モーラから聞いたのかもしれません。サヴァ・ライナ・ポストの謎めいたオーナーの名前として」


「モーラ伯爵家の三女ですね。モーラ伯爵ならご家庭でそういう話もされそうです」


「マダム・クリスティーナはモーラ伯爵と懇意にされているのですか?」


「伯爵とは顔見知り程度ですが、モーラ伯爵夫人は友人のひとりです。私はもう二十年くらい賑やかな社交場には顔を出していないのですが、モーラ伯爵夫人とはモアナ前伯爵夫人のお宅で何度かお会いしました」


 モアナ伯爵という言葉に、胸がずしりと重くなる。


「モアナ伯爵家というと、領地はたしか中部でしたでしょうか」


「ええ。王国中部のモアナ領と、西部のヤリスィス領は隣接しているんです。前伯爵夫妻とは年が同じこともあって、一昨年亡くなられるまで親しくしていました。私はこの年まで一度も結婚していませんし、モアナ前伯爵夫人は夫を早くに亡くされているから、独り身同士、女同士、気軽に会って気楽に過ごしていたんです」


 ヤリスィス公爵の妹クリスティーナが、結婚しないまま王都を拠点に国内各地を飛び回っていたというのはよく知られた話だ。博識で、交友関係が広く、神出鬼没。しかも姪が王族。だからこそマダム・クロエではないかと言われていた。


「入ってもかまわないか」


 何の前触れもなく、部屋の外から不躾な声が聞こえた。


「あなたの夫は相変わらず王族らしくない方ね」


 マダムが小声で囁き、ミローナ王弟妃殿下は肩をすくめる。

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