玻璃宮訪問(2)
王宮にはレイモンド殿下の婚約者だった頃に何度も訪問していたため、私もアンも支度に手間どることはなかった。
迎えは王室馬車が一台と騎士が一人。王室馬車といっても以前とは違うシンプルなデザインで、四人体制の護衛もなく、改めて自分の立場が変わったことを実感する。
「そういえば、本日の玻璃宮訪問のことを両親に話してしまったのですが、問題ありませんか?」
王宮へ向かう馬車の中で、アンがふと口にした。弁解するように「他で話すことは無いと思いますが」と付け加える。
「かまわないわ。王弟妃殿下の遣いとしてアンバー伯爵夫人が来られたことはうちの使用人も知っているし、アンバー伯爵夫人も隠す気はないようだったから。それより、あなたのご両親は何かおっしゃっていた?」
「母からミローナ王弟妃殿下について聞きました。ご結婚なさる前、当時王太子だった現国王陛下との結婚話が出ていたそうです。でも、その話は流れて今の王妃陛下が選ばれたので、母が言うには、王弟妃殿下がラニア様とご自分を重ねているのかもしれないと」
婚約が流れたという部分はたしかに同じだけれど、
「六年婚約者だった私と、婚約もされていなかった妃殿下とではずいぶん違う気がするわ。それに、私が王族に嫁ぐことはないだろうし」
「姉妹ですものね」
アンは常識的な考えを口にする。多くの人が集い、非常識な考えがまことしやかに囁かれるのが社交界。
「ミローナ妃殿下がフレディ王弟殿下とご結婚なさったのは飢饉のせいだと父が言っていました。当時、王国南部と東部で雨が続いて農作物の収穫量が激減し、西部のヤレスィス公爵家が穀物支援を行ったそうです。食料代の結婚と揶揄する者もいたとか」
「あら、私の聞いた話は違うわ」
おそらくアンの情報のほうが正しいが、私は死に戻る前に社交場で耳にした話を披露する。
「ミローナ妃殿下は成人するまで領地で過ごされたそうよ。王太子の婚約者候補となったと報せが入って領地からはるばる王宮を訪れた時に、王族の前で淑女らしからぬ話し方をされたそうなの。同席されていた王弟殿下がその屈託ない態度をいたく気に入られて、婚約の話を兄から奪ったんですって」
「初耳です。そんなロマンチックな話があったなんて」
自身も領地で育ったからか、アンの反応は期待以上だ。
「ただの噂よ。いかにも貴族令嬢が好きそうな話じゃない。でも、王弟殿下はご自分にふさわしい妻を選ばれたのだと思うわ。プライドの高い王都育ちの淑女は、夫について北部の鉱山まで行こうなんて思わないもの」
王弟夫妻には息子と娘が一人ずつ。十九歳の長男は数年前からミローナ妃殿下の実家であるヤレスィス公爵領で生物学研究に勤しみ、十七歳の娘は海を渡り、大陸の国々を点々としながら見聞を広めているらしい。そして、娘を送り出した夫妻は去年ウォルト第二王子殿下を連れて北部炭鉱調査に向かった。
玻璃宮に出入りするのは使用人ばかりで、弟と従弟たちがいないと王宮が静かだ――と、去年の暮れ頃にレイモンド殿下がこぼされていたのを思い出す。
「西門から入るのは初めてですね」
「このあたりは静かでいいわ」
窓の外には正門よりふた回りほど小さな西門が見えていた。同行していた騎士が警備兵と言葉を交わし、じきに門扉が開かれる。正門から入ると大勢の官吏たちが忙しなく行き来しているが、西門からだと閑静な貴族邸宅といった趣だ。
淡緑色の実をつけた葡萄のパーゴラのそばを抜けて道を曲がると、日差しに白く輝く玻璃宮が見えてくる。その前に馬車が一台停まっていた。紋章はなく、王室馬車でも貴族のものでもなさそうだ。
「本日のご招待はラニア様だけではないのでしょうか?」
「わからないわ」
王弟殿下と第二王子殿下は同席するだろうと考えていたけれど、それ以外で思い当たるのはアンダーヒル侯爵家。馬車に家紋がないのは素性を隠すためだろうか。
馬車を下りて一階でアンと別れ、私はアンバー伯爵夫人に案内されて二階の部屋に通された。待っていたのは王弟妃殿下と、白髪の女性。ドレスのデザインは地味だが質の良さそうな生地を使っており、品のある着こなしをされている。その面差しに既視感を覚えながら、私はあいさつの言葉を口にした。
「ラニア公女、よく来てくれました。あまり畏まらないで、こちらにお座りになって」
妃殿下に勧められて着席すると、円卓が思いのほか小さいことに驚く。膝がつくほどではないけれど、互いに手を伸ばせば簡単に届きそうだ。アンバー伯爵夫人はその小さなテーブルにアイスティーと氷菓子を置いて出ていった。
「やはり、王都のご令嬢は西部の距離感に驚くようね」
老婦人が妃殿下に気安い口調で話しかけ、私はふたりがどことなく似ていることに気づいた。心のうちを読んだように、「私の叔母なのよ」と妃殿下。
「公女様、私はクリスティーナ・ヤリスィスと申します。先日、アンダーヒル侯爵家でお目にかかったのですが、覚えておいででしょうか?」
頭の中にあの日の光景がパッと思い浮かんだ。お茶会の部屋の前で中年紳士と話していた老婦人。連鎖するように、死に戻る前に耳にした別の名前が脳裏を過った。
「もしかして、マダム・クロエですか?」
私が問うと、彼女は「あら、その呼び名をご存じ?」と年に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべる。




