秘密の誘い(1)
婚約式の熱気は一夜明けても冷めることがなかった。商魂たくましい王都民が便乗したというのが実際のところだが、大通りの店々や大聖堂前広場の露天商を押さえて一番稼いだのは各新聞社だろう。記事は王太子殿下と未来の王太子妃の人柄や才能を褒め称えるものばかりで、国内外から祝辞が寄せられ、ふたりをモデルにした戯曲を人気の脚本家が執筆中だという報じている新聞もあった。
私はその戯曲を知っている。王宮や貴族家で演じるような格式高いものではなく、大衆向けの短くわかりやすい内容で、簡易野外劇場を使用して格安で観られるのがウリだった。
政略により侯爵令嬢と婚約した王子。王子には密かに愛する人がいたが、年の差と、相手が男爵令嬢であるゆえの身分の差により口にすることはできなかった。しかし、敵国との間に戦争が起き、王子は婚約者が敵国のスパイだと知る。そのスパイに偽情報を流し、戦功をあげて敵国を制圧した。スパイは人々の前で裁かれ、王子は晴れて男爵令嬢に求婚し、王国に平和が訪れる。
果菜が読んだラノベと比べても、ありきたりで陳腐な話だった。
主人公の王子はレイモンド殿下、スパイの婚約者はラニア・フランクリン、身分差と年の差のある男爵令嬢はアリシア・フランクリン。観劇したすべての人が私たちを物語に重ねた。じきにオペラまで製作されて地方公演も行われるようになったのは、巨大な後援者がついたからと言われている。その後援者は名を明かさなかったが、私はフランクリン公爵夫人本人か、彼女の父親のグレイアム侯爵だとほぼ確信していた。なにしろ、オペラと地方公演とで私の悪評が王国中に一気に広まったのだから。
放っておけば同じことが起きるだろう。
あの戯曲の成功により、アリシアは悪魔の力を使うことなく民衆の心を掴んだのだ。何かしら対策を講じるべきかもしれないが――、
「……アお嬢様。いらっしゃいませんか? ラニアお嬢様」
考えごとに集中していた私は、部屋の外からの声にハッとした。「下にもいなかったのに、眠ってらっしゃるのかしら」と、ひとり言が聞こえてくる。メイドのようだった。
「入って」
失礼しますと扉を開けて入ってきたのは、今日、別棟を担当しているのとは違うメイドだった。彼女は「これを」と捧げるように一通の封筒を差し出す。宛名も送り先も書かれていないが、封蝋の印章はお茶会の招待状にあったレイラ・アンダーヒルのものだ。
「あなたは誰からこれを?」
何気なく尋ねると、メイドは挙動不審に手を擦り合わせて目を泳がせる。
「やましいことがあるの?」
「あっ、いえ……」
「それならどういうこと?」
「えっと……、実はさっき侍女長のお使いで仕立て屋まで行ってたんですが、戻る途中に声をかけられて、この手紙を内緒でラニア公女様に渡してほしいって言われたんです。どこかの貴族のメイドのようでした。名前はミントだって」
「それで、あなたは侍女長か家令に報告したりした? スパイが外部と連絡をとったようですって」
メイドは「まさか」と千切れそうなほど首を振る。
「なぜ? 報告したほうが待遇が良くなるんじゃないの?」
「……あ、えっと。実は、そのメイドからこれをもらって……」
エプロンのポケットからメイドが取り出したのは、小さな宝石がついたネックレスだった。それほど価値のあるものではないが、メイドの給金を考えれば口止めには十分な代物だ。下手にメイド仲間に話せば根掘り葉掘り聞かれるだろうし、面倒なことにもなりかねない。盗まれたりとか、嫉妬からおかしな噂を流されたりだとか。
「そのネックレス、大事になさい。名のある貴族のご令嬢からのものだから。この手紙のことは今後も話さないのが身のためよ。ごくろうさま」
メイドは家宝でも扱うように大事そうにポケットにしまい、部屋を出ていった。
ペーパーナイフを滑らせながら、レイラ・アンダーヒルからの手紙か、ミントからの連絡か、それとも二人ともから――と想像して便箋を広げた。しかし、最初に確認した末尾の署名はそのどちらでもなく、
『フレディ・エス・ライニール』
王弟殿下の名前だった。




