蘇る二つの記憶(2)
――ああ、そうか。私は処刑されて死んだんだ。
ラニア・フランクリンは死んだ。
ゆらゆら揺蕩う意識に、ふと、ある小説のことが浮かんだ。
『虐げられ令嬢は救国の魔女』
それは、主人公「ラニア」が異母妹アリシアの憑依した悪魔に嵌められて断罪され、王宮舞踏会の日に死に戻って二度目の人生を送るという内容のもの。
過去に戻ったラニアは前世が大魔道士だったことを思い出し、獅子精霊デミュチューンを従え、魔法を使って王家と公爵家に復讐を果たそうとする。しかし、アリシアが悪魔だと気づき、王太子の洗脳を解いて一緒に悪魔を退治する。
この物語を読んだのは、――高槻果菜。
そうだ、私は悪魔の言った通り「来世」に生まれ変わった。高槻果菜として日本に生まれ、そして死んだ。二十八年という、短い人生だった。
職場は中堅食品メーカー。直属の上司であるクソ主任はその美貌を利用して関係各所に媚び、その裏で私の陰口を広めていた。何が気に障ったのかはわからない。私は仕事も趣味も料理一筋の、平凡なアラサーだった。ワンルームマンションで城塞を形成しているのは料理本と食材本。
『カナカナは料理の魔術師なのよ。この魔導書から唯一無二のレシピを生み出す、孤高の魔女なんだからぁ〜』
クソ主任から左遷を言い渡された日、私は自宅で酔っ払っていた。崩れた城塞の下から出てきたのが『虐げられ令嬢は救国の魔女』。
『おお、なつかしい。有能女子の聖遺物!』
三ヶ月前に会社を辞めた高学歴女子。彼女が遊びに来たとき「実は私が書いたんです。あげます」と置いていった文庫本だった。
『私も辞めてやる! 辞表よ、辞表! レシピ本を出版してひと儲けするんだから!』
缶ビールを空にして立ち上がった瞬間、天井が回った。散乱した空き缶で足がもつれ、掴んだのは金魚鉢。ガシャンとガラスの割れる音がし、倒れ込むとガラス片がザクリと腹を刺した。たぶん、叫んだ気がする。
意識は朦朧とし、濡れそぼって肌に貼り付いた服が気持ち悪かった。
――あ、出目ちゃんを水に戻してあげなきゃ。
去年の夏祭りで元彼がとってくれた金魚の出目ちゃん。未練を断ち切るために彼からもらったものは処分したけれど、唯一捨てれなかった出目ちゃん。疲れて帰宅した私を迎えてくれ、何時間でも愚痴を聞いてくれる、私だけのかわいい出目ちゃん。
生臭い出目ちゃんの尾びれが私の頬を打った。真っ暗な世界。このまま、私も出目ちゃんも死んじゃうんだ――、
「――おい、起きろ、果菜。ここはどこだ?」
頬を何かがつついた。触れるか触れないかくらいで。
「……誰?」
痛む頭を押さえて瞼を持ち上げると、出目ちゃんがいた。出目ちゃんは部屋を見回し、パクパクと口を動かす。
「なんだかテレビに出てきそうな部屋だ。果菜、引っ越したのか?」
広々とした部屋に、豪華絢爛なヴィクトリア朝風の調度品。空中を泳ぐ出目金。
ソファーに横たわったまま、ガラスの刺さった腹部をさすった。血は出ておらず、濡れてもいない。着ているのはジャージではなくバッスルドレス。
「出目ちゃん?」
「なんだ、果菜」
タメ口の出目金が、私を見て体をかしげる。
――死に戻ったラニアが目を覚ますのは、義妹アリシアの社交界デビューとなる王宮舞踏会の日。王宮の休憩室にあるソファーで目覚めると、大魔道士の契約精霊である獅子精霊デミュチューンが目の前にいた――。
それは、高槻果菜が読んだ『虐げられ令嬢は救国の魔女』の話のはずだ。




