サヴァ・ライナ・イマヘラ大聖堂(1)
アリシアの不調は大事になることなく、翌日からも変わらず東棟と中央棟には多くの人が出入りした。
別棟は静かなもので、私がしたことといえば婚約式のドレスと装身具を選んだ程度。公爵夫妻と双子は新しく服を仕立てたようだったけれど、仕立て屋はすでにどこも手いっぱいらしく、私はクローゼットルームのもので済ませることになった。アンによると、急な婚約式で出席者の大半が手持ちの服で出席するという。彼女の両親もそうだとか。
あの夜以来アリシアとは会っていない。
あのおかしな侵入者がまた来るのではと待っていたが、それもなかった。
アンダーヒル侯爵令嬢に手紙を出そうかとペンをとり、下手に動けばアリシアに警戒されるかもしれないと考えてやめた。
唯一の吉報は『テイラー・ハルフ』からの便り。
アン宛てに偽名で届いたハルフォードさんからのその手紙は、無事に私の手元に届いた。アンには事前に「公爵夫人に追い出されて実家に戻った使用人が、私宛ての手紙をモーラ伯爵邸に送るかもしれない」と言ってあった。手紙には無事に王都を出たと書かれていた。
「ラニア様は変わった人ですね」
アンはそう言って笑った。
親しみを感じる笑顔だった。
一度目の人生で私を気遣ってくれたのは王宮侍従ニールくらいで、同性と親しくした記憶がない。果菜の人生では友人もいたし気楽な関係も築いたけれど、日本のフラットな友人関係とライニール貴族社会での上下関係を伴う友人関係はまったく違うものだ。目下の相手からは尊敬が伴わないと好意を得られないし、信用がなければ忠誠心を示されことはない。
最近、アンから信頼されているような気がする。
私も、彼女を信頼したいと思っている。
一方で、親しくなるほどに恐ろしくなる。
アンをそばに置きたいと思ってはいけない。
アリシアに目をつけられたら――。
「通行規制がされても、やはり混雑してますね」
アンは窓外に目をやっていた。
王都の目抜き通りを、馬車はサヴァ・ライナ・イマヘラ大聖堂に向かっている。一般人の通行は婚約式の開始時刻までは禁止され、道沿いには警備兵。通りを行くのは関係者の馬車だけにも関わらず、大聖堂前には長い車列ができている。
アリシアは昨日から王宮に泊まり、すでに現地にいるはずだった。公爵夫妻は早朝に出かけ、私と双子の弟は同時に公爵邸を発ったけれど二人は別の馬車。
なかなか進まないと思った馬車もじきに大聖堂敷地内に入り、大勢の列席者に混じって聖堂内へと足を踏み入れた。
天を突き、人々を圧倒するこの建築物は、イマヘラ神教の聖殿。
けれど、仕える聖職者たちはイマヘラ神のような魔法使いではない。ただの人だ。
六年前、私は何に対して婚約を誓ったのだろう。
イマヘラか、
ライニール王室か。
おそらく後者。
ここは神イマヘラを称える場所ということになっているけれど、その本質はライニール王室の権威を示すもの。政治と宗教とは深く結びついており、それに違和感を覚えるのは果菜として生きた記憶があるからだ。
出目ちゃんが上へ上へと泳いでいき、小さな黒い点はじきに見えなくなった。天井を見上げていた私は、「すいません」という聞き覚えのある声で地上に視線を戻す。
「もしかして、フランクリン公爵家の方でしょうか」
助祭の祭服を着た、銀髪の少年。あの夜の侵入者〝ミント〟に間違いなかった。
「ええ。ラニア・フランクリンよ」
「では、ラニア公女様はこちらへ。侍女様はこのまままっすぐお進みください」
アンは不審がることもなく、「では後ほど」と歩いていった。ミントは人懐こい笑みを浮かべ、私を人けのない通路へと連れていく。
「フランクリン公爵家の方々のみ、こちらの通路を使うことになっています。公爵夫妻と弟君はもう控室に到着しておられますよ」
「王族はどこを使うの?」
「防犯上お答えすることはできません」
「なぜあなたがここに?」
助祭は表情も歩き方も侵入者ミントのものになる。そして「いつも質問ばかりですね」と笑った。
「王弟殿下からちょっとした依頼があって、面倒だから断ろうかとも思ったのですが気が変わってここに。なんとなく、あなたのことを思い出して――」
ミントは急に足を止め、「静かに」と耳を澄ます。それはほんのわずかな時間で、ため息とともにうんざりした口調でぼやいた。
「まったく、あいつはいつもタイミングが悪い。公女様、私とは今日が初対面ということにしてください。名前も知らないただの助祭です」
言い終わると同時にミントは助祭の笑みをつくり、通路の先からは赤髪の騎士が姿を見せた。




