忠実な侍女
侯爵邸にいたのはほんの一時間ほどだというのに、フランクリン公爵邸に戻ってすぐソファに倒れこんだ。
「淑女らしからぬ姿ですね」
アンは笑い、いたわるような手つきでドレスを脱がせていく。
「夜遊びの好きな主人を持つと侍女も大変らしいです。酔っぱらった人を着替えさせるのは重労働だそうですよ。もしかしたらこんな感じでしょうか」
「アン、気持ちはうれしいけど、私への態度は変えない方がいいわ。あなたにまで悪評が立ったらモーラ伯爵に申し訳ないもの」
「ラニア様が変わったのですから、悪評はいずれなくなります」
「思っていたより楽観的なのね。悪評はたった一人の企みで簡単に広まるのよ。せめて、この屋敷の中ではこれまで通りにしてちょうだい。公爵夫人に目をつけられたらあなたも巻き込まれる。そうなったら、無理やりにでもモーラ伯爵領に追い返すから」
コルセットが緩み、アンの手が背をなでた。
そこには傷の塞がった躾の痕がある。
「アリシア様は、前からあのような方でしたでしょうか?」
アンの声が沈んでいた。
「何か違った?」
「ラニア様がアリシア様を避けているという話をされていましたよね。もしラニア様が否定されなかったら、聞いていた人々はラニア様を冷たい姉だと批判したはずです。妹に嫉妬して無視しているのだろうと」
「そうでしょうね。私も、今日のアリシアは少し変だと思ったわ。あの舞踏会の後、アリシアは変わってしまったのかも――」
「のっぺりしてないとこがあったぞ。ほんの一部だけどな」
突然、出目ちゃんが話に入ってきた。もちろんアンには聞こえていないし見えてもいない。
「王子にも面白いことがあった。果菜が何か言った拍子に、のっぺりの一部が動き出したんだ」
「レイモンド王太子殿下も今日はいつもと印象が違いました」
アンが妙にかみ合った発言をし、出目ちゃんが「そうだろ」と返事をする。果菜のマンションでも出目ちゃんはこんなふうに会話していたのかもしれない。
「ねえ、アンは殿下の行動をどう思う? 舞踏会の翌日に求婚に来たこともそうだけど、今日、侯爵邸をいきなり訪問されたのも普通では考えられないことだわ。アリシアに一目惚れして、盲目的に愛を注ごうとしているのかもしれないけれど……」
もちろん悪魔の洗脳の影響だとはわかっているが、迂闊にアンに明かせば彼女の身が危なくなる。
「ラニア様に申し上げるのは気が引けるのですが、舞踏会で殿下とアリシア様のお姿を見た貴族たちは、殿下の一目惚れを否定しないでしょう。とても熱心にアリシア様を見つめていらっしゃいました」
「そういえば、舞踏会のときアンはどこにいたの? あなたが私を放っていなくなるのはいつものことだし、気に留めていなかったけれど」
「公爵夫人の指示で、アリシア様に変な男性が接触しないよう見張っていました。それと、高貴な方とアリシア様が言葉を交わす機会があればすぐ公爵閣下に伝えるようにとも命じられました。今思い返すと、あれは最初から王太子殿下を念頭においての指示だったのですね」
「おかしな指示だわ」
私がつぶやくと、アンは「はい」と自嘲のような吐息。
「アン。今日も公爵夫人のところに報告に行くの?」
「ラニア様は私がこれまで通りでいるのをお望みですよね。でしたら、これまで通り報告に行きます。ということで、私がお手伝いできるのはここまでです。夕食はあのベルを鳴らしてメイドを呼んでください」
「メイドといえば、あのメイドは面白かったぞ、果菜」
出目ちゃんがまた話し始めた。返事がないのに勝手にしゃべり続けるのも前世の会話方式なのだろう。
「ぐるぐるしていた。ずっと、最初から最後までぐるぐるしてたんだ」
誰のことを言っているのか考え、すぐに思い当たった。アンダーヒル侯爵邸の、お茶会の部屋の前に控えていたメイド。あのメイドは出目ちゃんを目で追い、そのあと出目ちゃんは執拗に彼女を観察していた。
「では、私は失礼します。お疲れでしょうからゆっくりおやすみください」
「ごくろうさま」
アンはこれまで見せたことのない悪戯っぽい笑みを浮かべ、サイドテーブルに置かれたベルとチリンチリンと勢いよく鳴らした。
「メイドに会ったらラニア様がベルを鳴らしていたと伝えておきます」
アンが部屋から出ていくと、しばらくしてパタパタと足音が近づいてきた。




