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絶望の舞踏会(3)

 王宮舞踏会の広間の隅に、貴族たちの好奇の視線が注がれていた。レイモンド殿下から向けられるのは氷のような冷たい眼差し、笑みのない義務的な表情。


「ラニア、体調が悪いのなら別室で休むといい。案内させよう」


「一人で行けますのでお気遣いなく。それよりも殿下、この舞踏会は妹の社交界デビューの場です。どうか彼女と踊ってくださいませんか?」


 私の進言に殿下の瞳がわずかに揺れ、しかし訝しむようにじっと私の目をのぞき込んだ。私は耐え切れず瞼を伏せる。


「ラニア、そなた……」


 その言葉は中途半端に立ち消え、殿下はひとつ息を吐いて広間の人だかりに視線をやった。


「あの中心にいるのがそなたの妹のようだ。もう十六歳か」


「はい、殿下とはたったの五歳違い。明るく聡明で、あのように何曲踊っても疲れることを知りません」


「ラニア」


 声に叱責するような響きがあった。


 ――私は王太子妃にはふさわしくありません。いずれ国王となる殿下をお支えするのは、聡明で、健康なご令嬢がふさわしいのではありませんか。


 婚約破棄の噂が広まってから、殿下と王宮庭園で面会したのは二度。今更と思いながらも、私はその二度の面会で殿下にそんな話をした。殿下は今と同じく咎めるような眼差しを向け、ため息とともに「そなたが口出しすることではない」とわずかに怒りを吐き出した。婚約を継続するにしろ、破棄するにしろ、主導権は王家が握っているのだという警告。


「レイモンド殿下、あの噂はすでにこの会場の――」


「ラニア、ここでする話ではない」


 殿下は一歩距離を詰めて囁く。その時「フランクリン公爵令嬢」と妹を呼ぶ男性の声が聞こえ、殿下が広間を振り返った。その視線の先でアリシアはこちらに気づいて手を振っている。彼女は迷いなく私たちの前にやってくると、優雅にカーテシーをした。


 甘美なバラの香りがふわりと漂い、人々は女神か妖精を見るような目を異母妹に向ける。


「王国の小さき太陽にご挨拶申し上げます。アリシア・フランクリンと申します」


 王族の声掛けを待たず自己紹介したが、私が取り繕う必要もなかった。レイモンド殿下の眼差しには好奇が宿り、シャンデリアの光を映したその瞳は夏の海のように輝いた。


「顔をあげよ。そなたは社交の場が性に合っているようだが、舞踏会は楽しんでいるか?」


「はい。こうして多くの方々と交流を持てるのは、とても楽しく、勉強になります」


「物怖じしないたちのようだな」


「与えられた機会はイマヘラ神の加護だと考えております。それを活かすことが、神の子である私たちの使命ですから」


「敬虔なイマヘラ信徒でもあるようだ」


 状況を察して駆けつけた父フランクリン公爵が、人だかりから一歩前に出た。殿下と挨拶を交わすと、私とは目を合わせないままアリシアの背を押す。


「レイモンド王太子殿下、めでたく社交の場に踏み出した娘アリシアと一曲踊ってはいただけませんか」


 公爵の背後には公爵夫人が立っていた。彼女は私を一瞥し、口元にかざした扇子の奥で笑っているようだった。レイモンド殿下はバラの香りに誘われるように足を踏み出し、ふと思い出して私を見る。


「かまわないか、ラニア」


「もちろんです。どうぞ楽しんでいらしてください」


 これで、私の役目は終わりだった。そして、これは私が望んだこと。


 婚約破棄されれば、私は早々にどこかの貴族に嫁がされるだろう。もしかしたら他国に嫁ぐことになるかもしれない。そこが安全かどうかはわからないけれど、レイモンド殿下から遠ければ遠いほどいい。


 殿下の手にアリシアの華奢な手が添えられ、ふたりは並んで会場中央へと向かっていった。アリシアはその途中で私を振り返り、花のような笑みを寄越した。


 広間中央に舞う二輪の華。ふたりを見ていると胸が痛む。それは次第にひどくなり、突然、釘を打ち付けられるような頭痛に襲われた。視界がかすみ、私は一人壁伝いに会場を抜けて通路の隅にしゃがみ込む。


「ご令嬢! 大丈夫ですか?」


 駆け寄って来たのは王宮の若い使用人。柔らかい癖っ毛の、緑色の目をしたアリシアくらいの年頃の少年だった。その顔を見た途端、雷が落ちたような衝撃と激痛とが体を駆け抜け、意識は一瞬で闇にのまれた。

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