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図書室と蒸留室(3)

 炊事場の使用人たちはほぼ食事を終えていたが、素知らぬふりをして会話に聞き耳を立てているようだった。エマとハンスを蒸留室に入れて話そうかとも思ったけれど、他の使用人からも情報が得られるかもしれないと考え直し、扉を開けたまま話を続ける。


「エマは毎日家令を見かけるの?」


「はい。ハンスさんは屋敷にいる時間帯だから知らないだろうけど、本邸の厨房横の半地下に食材保管庫があるじゃないですか。商人がいつも本邸裏口のところに馬車で運んできて、家令様が納品に立ち会ってるみたいなんです。本当は執事様の仕事なのに」


 最後の一言を言うときエマは口を尖らせた。そのあと、何か思い出したようにアッと声をあげる。


「そう言えば、レイラング産の猪肉や鹿肉を最近よく仕入れられてるみたいなんですよ。言葉に訛りがある人がいるな思ってたら、グリッジ地方の商人みたいで。あんな遠くから氷漬けにして腐らないようにして運んで来るんですって。ものすごく高いんだろうけど、さすがフランクリン公爵家ですね」


 初耳だった。


 グリッジ地方というのはライニール王国ができる前に存在した旧グリッジ王国領。そして、レイラングというのは建国伝説で大魔導士が悪魔を倒したとされるレイラング山のことだ。


 レイラング産ジビエが特に有名というわけではないから、アリシアが何かしらの目的で仕入れさせたと考えるべきだろう。高級肉を使用人にふるまうことはないだろうし、ということは悪魔自身がそれを必要としているのかもしれない。


 気になるのは、公爵夫人の実家であるグレイアム侯爵領がグリッジ地方にあるということだ。レイラング山とは離れた場所だったはずだが、アリシアが悪魔に体を乗っ取られたことと無関係とは思えない。


「エマ、その話は誰かから聞いたの?」


「本邸調理場で洗い物してる子です。料理人の人たちが話してたって」


「そう。仕事中に見聞きしたことは口外しないようにって、その子に伝えておいて。それと、ここの食事がよくなったのは公爵様の計らいだから、私に感謝する必要はないわ」


「えっ、……でも」


「ハンス。あなたなら私が言ってる意味わかるわよね?」


 ハンスだけではなく、炊事場にいる使用人たちにも聞こえるように言った。年長の者は意味を察して気まずそうに目を逸らし、一方不満げにこっちを見ているのはエマと同年代かそれより幼い子たち。


「みんな知ってると思うけど、私の立場は公爵家でも世間的にもあまりよくないの。だから、私を支持するようなことを言ったりすれば、せっかく良くなった食事が元に戻ってしまうかもしれないわ。実際、私は今回の件について何もしていない。だから、感謝するのならこの屋敷の主である公爵様になさい。私が今日ここに来たことも、他のところで話してはダメよ」


 双子には見られてしまったが、彼らもここにいたことを知られたくないだろうから口外はしないだろう。エマは不満そうにしていたけれど、それ以上は反論してこなかった。


 ふと戸口に目をやると、黒いジャケットを腕にかけ執事が立っている。


「ちょうどよかった。ハルフォードさんと少し話したいことがあったんです」


 私は執事を連れて炊事場を出た。一緒にいるところを見られるのはなるべく避けたいけれど、炊事場に長居して使用人たちの邪魔をするわけにもいかない。目立たないように別棟の裏口から入って二階へ上がると、通路には誰の姿もなかった。


「メイドが減らされたとは聞いていましたが」


 ハルフォードさんは呆気にとられている。


「最近はいつも一階の図書室にいたんです。メイドには部屋に戻るまで用事はないって言ってあるし、仕方ありません。今日も図書室に行ったのですが、蔵書の移動のために追い出されてしまって」


 私は自分の部屋の前を素通りし、滅多に行くことのない別棟書斎へと執事を案内した。埃をかぶっているかと思ったら、窓は半分開けられ、拭き掃除もされている。毎日交代でやって来るメイドも、掃除でもして時間を潰すしかないのだろう。


「ハルフォードさん、領地に戻って休む気はない?」


 私は立ったまま本題を切り出した。老執事は困惑している。


「ハルフォードさんにとって、今の状況は良くありません。執事の仕事は家令と侍女長がやっているようだし、それが公爵夫人のせいだということはわかっていますよね? どうにかしてあげたくても私ではどうにもならないし、あなたの身に何かあったらと心配なんです」


 執事の表情は次第に憂いを帯び、その胸の奥には重い事実をしまい込んでいるように見えた。


「ラニアお嬢様、私は自分のことよりもお嬢様が心配です。食事のことや、侍女長がやっていることだけではありません。この屋敷は……」


 涼しいとは言えない夏の室内で、執事はブルッと肩を震わせた。


「ハルフォードさんが言いづらそうなのは、公爵夫人に関することだからですか? それとも、……アリシア?」


 試しに名前を出すと執事は大きく目を見開いた。


「ラニアお嬢様は、何かをご存じなのでしょうか。アリシアお嬢様のことで、何か……」


「今は私が質問しているんです。ハルフォードさんこそ、何か知っているんでしょう?」


 握りしめたこぶしを震わせているのは、怒りではなく恐怖からのようだった。老執事がこのまま倒れてしまいそうで、椅子を勧めて私も向かい合って座る。ふと、執事も過去に戻ってきているのかもしれないという考えが頭を過った。だが、それは違ったようだ。


「公爵様が変わられたのは、公爵夫人と出会った頃からだと思います」


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