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オニユリと騎士(2)

 執事が広げたハンカチに、アーロン卿が採取したムカゴを置いていく。しばらく会話もなく黙々と作業していたが、不意に「このあとどうされるおつもりなのです?」と聞いてきた。


「使用人の炊事場に行く予定です」


「そうではなく、……殿下との婚約がなくなったあとのことです」


「それは私ではなく公爵閣下が決められることです。体裁を考えると、間をおかずどこかの貴族に嫁がせるおつもりでしょう。私が〝不貞をはたらいた裏切り者の娘〟であっても、フランクリン公爵家と縁を結びたい貴族はいますから」


 自虐的な発言に、ふたりが手を止めてこっちを見た。しかし、彼らはなにも言わない。


「アーロン卿に私の今後のことをご心配いただく必要はありません。婚約破棄は私の望むところでもあるのです」


「それは、本音ですか?」


「ええ。私が隣にいるだけでレイモンド殿下の評判は下がりますし、それが国政に響かないとも限りません。私は王太子妃の座にふさわしくないのです。殿下にも何度かそう申し上げました。昨夜の舞踏会でもです。わが妹のアリシアはいかがですかと。

 もしかしたら、殿下は妹が社交界デビューするのを待っていたのかもしれません。昨日の今日でこれですもの。婚約して六年、殿下が一度も私を訪問したことがないのは卿もご存知でしょう?」


 ハルフォードさんのハンカチはムカゴでいっぱいになっていた。前かがみに採取していた騎士が腰を伸ばすと、執事は作業終了と判断したのか巾着のようにハンカチを閉じる。


 アーロン卿は雑草を踏んで煉瓦道へと戻ってきた。

 容赦ない日差しのせいか、一房の赤髪が汗で額に張りついている。堅苦しい騎士団の制服はずいぶん暑そうだ。

 日傘を持ってくるべきだっただろうか。

 私のドレスは五分袖で、彼の服よりは涼しい。

 けれど、日にさらされた肌が赤みを帯びている。


 視線をふたりに戻すと、アーロン卿が何か言いたげにじっと私を見つめていた。


「婚約破棄された憐れな女に何か言いたそうですね。求婚でもされますか?」


「そんなことは考えていません。ただ、この婚約破棄は、公女様の願いを殿下が聞き入れたわけではないと思います」


「そんなことはわかっています。王家と公爵家の契約ですもの。それ相応の理由があるのでしょう。いずれにせよ、ライニール王家にも、フランクリン公爵家にも、私の居場所などないのです」


 ハルフォードさんが手の甲で目元を拭った。私を憐れんで涙したのかと思ったら、流れ落ちる汗を拭いたようだった。黒い服を着た老執事の顔は汗びっしょりだ。


「ハルフォードさん、暑ければ上着を脱いで下さい。日陰で……、あっ、炊事場に行って休みましょう。アーロン卿はもうお戻りください」


 騎士に背を向け足を踏み出そうとした途端、ぐらりと視界が歪んだ。


「公女様!」

「お嬢様!」


 気づけば私はアーロン卿の胸に抱きかかえられていた。老執事の心配をしている場合ではなかったようだ。


「アーロン卿、私は平気ですから」


「平気ではないでしょう。熱があるのではありませんか」


 体温を確かめるように、彼の手が私の腕をつかんだ。肌は赤みを帯びても、彼の手のひらと体温はそう変わらない。


「肌が日に弱いだけですから、日陰で涼めばじきにおさまります」


「執事殿、ご令嬢の部屋まで案内していただけますか」


「ダメよ、ハルフォードさん。お願い、炊事場に行きたいの。……おなかが減って力が出ないわ」


 恥を忍んで口にすると頬が熱くなった。アーロン卿の顔には安堵と呆れと同情。フッと笑い混じりに息を吐くと、「炊事場へ」とハルフォードさんに命じる。


「ご令嬢、失礼します」


 拒否する隙も与えず、アーロン卿は私の膝に手をかけて横抱きにした。


「降ろして下さい。一人で歩けます」


「無理だと思います。執事殿もそう思いませんか?」


 結局、彼が私の命令を聞くことはなかった。


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