執事との庭園散歩
私が階段を降りると、執事も周りをうかがいつつ追って来た。使用人に紛れて連絡通路を抜け、別棟から外に出る。彼が声をかけてきたのは、前庭の人けのない場所にたどり着いてからだ。
「ラニアお嬢様、どちらへ?」
「ちょっと散歩しようかなって」
くだけた口調で返事をすると、ハルフォードさんは面食らったように目を瞬かせる。
「ハルフォードさんも大変ね。家令と侍女長とが大きな顔してるでしょう? みんな公爵夫人の言いなりで、アリシアの虜」
異母妹の名前を出すと、ハルフォードさんは怯えた表情で東棟二階のバルコニーに目をやった。あそこにあるのはアリシアの居室。窓にカーテンが引かれたままになっている。執事は安堵したように息を吐き、すぐ表情を引き締めた。
正門を入ってすぐのところに王室馬車が停まっていた。殿下に帯同して屋敷に入ったのはアーロン卿を含めて五人。それ以外にライニール騎士団の制服を着た男は玄関前に二人、正門前に二人。
「ハルフォードさん、騎士団員に見咎められないよう歩きながら話しましょう。散歩らしくしないと」
広々とした庭には使用人の姿があったけれど、私が地味な格好をしているせいか気にとめる様子はなかった。緑溢れる庭園で麦藁帽の庭師が水やりをしている風景は、どこか絵画的な美しさがある。そう感じるのは、無機質な建物に囲まれて生活していた果菜の記憶のせい。
照りつける夏の日差し、地面に焼きつけられた濃い木々の陰、ブリキジョウロの鈍い光と、きらめく水飛沫。水路に足を浸したらきっと気持ちいいだろう。残念ながら、庭園水路も噴水もアリシアの部屋がある東棟前だ。
「あっ」
私がしゃがみ込むと、執事が「お嬢様!」と青ざめた顔で駆け寄った。
「大丈夫よ。これを見つけただけだから」
花壇の縁に、花茎を伸ばし、濃い緑色の葉を広げたオオバコがあった。庭師の目を逃れて生き延びたようだ。
「お嬢様、それは?」
「オオバコだと思うんだけど合ってる? 食べれるはずなんだけど」
見た目も匂いもまごうことなきオオバコ。しかし、それだけで可食と判断するわけにはいかない。土壌も違えば空気も違う。魔法に必要な〝マナ〟だけでなく、未知の物質は他にも存在するかもしれない。
ハルフォードさんは困惑していた。
「私は野草には詳しくありませんので、食べれるかどうか。空腹でしたら私が厨房の者に」
実際には厨房に強く言えないから、執事の語尾は小さくしぼんでいく。私は「必要ないわ」と散歩を再開した。東棟側の噴水の奥にあるローズガーデンは色とりどりのバラが咲き乱れているけれど、バラの花びらは腹を満たすために食べるようなものではない。
「お嬢様。裏にある使用人の炊事場に行ってみられませんか?」
別棟前庭の端にたどり着いたとき、ハルフォードさんが躊躇いがちに言ってきた。炊事という言葉で私は内心歓喜したが、執事はどこかきまり悪そうにしている。
「使用人と言っても汚れ仕事をする下働きばかりで、彼らが自炊するための場所です。ただ、彼らは高貴な方と接する機会がないので、アリシアお嬢様に心酔しているということはありません」
思いがけない情報だった。
悪魔の洗脳は直接顔を合わせなければ避けられるということだろうか。
それとも、他にも何か洗脳されない要因が存在する?
もしくは、洗脳する必要をアリシアが感じていない。
洗脳がアリシアにとって赤子の手をひねる程度のものなのか、それともアリシア自身にも負担がかかるのか。
「ハルフォードさん、そこに案内してもらえる?」
「承知しました。しかし、彼らに用意される食材が不足しがちで、できる料理も粗末なものですから、お嬢様がお召し上がりになるようなものはないかもしれません。それでも、オオバコを召し上がられるよりは」
私が握りしめた葉に執事がチラと目をやる。公爵令嬢が口にするものではないのは確かだが、
「朝食のサラダにはタンポポが入っていたわ」
執事は「まさか」と微笑し、その顔が突然こわばった。皺の寄った瞼を持ち上げて彼が見つめるもの。
中央棟玄関前に、赤髪の騎士アーロン卿が立っていた。隣にいる部下がこちらを指さし、彼の瞳が私をとらえたようだ。
「ハルフォードさん、炊事場に行きましょう。今、すぐ」
「え、しかし……」
ハルフォードさんは私とアーロン卿とを見比べる。
王太子殿下の右腕と呼ばれる近衛騎士カーティス・アーロン。視界の端で、彼が駆け出すのが見えた。
「あなたが案内してくれないなら勝手に探すわ。中央棟の裏あたりでしょう?」
細い煉瓦道を、私は足早に歩いた。
「お嬢様、近衛騎士が」
執事は私を引き留めたいようだ。けれど、ここで捕まりたくはない。
あの由緒正しきアーロン侯爵家の令息は、私が踊り場にいたことを知っている。婚約者にも家族にも無視され、みすぼらしいドレスで、使用人の背後にいたことを。
たいして意味のない、ささやかなプライド。
別棟の裏手に回ると私は迷わず駆け出した。背後の足音も速まる。執事だけではない、ガシャガシャとうるさい金属音はアーロン卿の携えた二本の剣が擦れる音。
「フランクリン公爵令嬢!」
近くでアーロン・カーティスの声がした。アリシアの侍女をしていた時の、彼の冷ややかな視線を思い出した。




