ユーリアの夜(2)
王弟殿下は相当の酒豪だ。晩餐の夜は父も相当飲まされたらしいが、王弟殿下はそれ以上に飲んで二日酔いもなく平然としていた。今夜もワインを一本空けているのに、まったく酔っているように見えない。
「殿下、洗脳についてもうひとつ申し上げたいことが」
「時間はたっぷりある。ひとつと言わず、みっつでもよっつでも言えばいい」
ニヤと私に笑いかけ、妃殿下が注いだワインに口をつける。「では」と私は先を続けた。
「洗脳のされやすさは体内のマナの量とも関係しているかもしれません」
「マナ? マナというと魔術師の資質を左右するあれか?」
「そのマナです」
殿下がスタンリー卿に視線をやった。
セラヴィと繋がりのあるアンダーヒル侯爵家の後継者スタンリー・アンダーヒル。彼なら問題ないと判断して話したことだったが、ひとまず「この場で魔法の話はしないほうが?」と尋ねた。殿下は「いや」と首を振る。
「スタンリーは興味があるだろうと思っただけだ。マナ量だけならそこそこの魔術師になれるとセラヴィに言われていたからな。だが王室に忠誠を誓った騎士に魔法は使えんし、声変わりした男も音域が限定されているから無理だそうだ」
「スタンリー卿は魔法使いになりたかったのですか?」
私が問いかけると、スタンリー卿はひょいっと肩をすくめた。
「資質があったと言われたら未練がましい気持ちも生まれます。一度くらい魔法を使ってみたかったですね。魔法が使えたら公女様のファミリアにも会えたんでしょうけど」
当のファミリアはこの場にいないが、ちょうど精霊の話をしようとしていたところだった。出目ちゃんが出会った鯨の精霊が、興味深い話をしてくれたらしい。
その精霊が言うには、ミレー周辺の住人はおおむねマナが少なく、マナの多い来訪者もミレーで過ごしているとマナが減るという。この話を父の状況と照らし合わせて考えると、ひとつの仮説が立てられる。
「――つまり、体内のマナ量と肉の摂取量は関連しており、肉を食してマナが多い状態になっていると洗脳を受けやすいのではないかと思います。豊穣会のことを考えてみてください。肉と酒を餌に人々を集め、ロードレス信仰を広めているのです」
当然ながら王弟殿下は仮説を疑ってかかる。いくら肉を食べても、マナがあっても、こういうタイプはきっと洗脳を受けにくい。
殿下はしばらく沈黙していたが、「しかしだ」とおもむろに口を開いた。
「マナが多いほど洗脳されやすいのなら、魔法使いは洗脳されやすいということになる。もしそうだとすれば、五百年前に大魔道士イマヘラが悪魔ロードレスを倒すことはできなかったのではないか?」
「マナを持ちながらも洗脳を受けない理由が魔法使いにはあるのではないでしょうか」
「即答するということは考えがあるのだろう?」
殿下は話を促すようにクイッと顎をしゃくる。
「おっしゃる通りです。まず洗脳についてですが、悪魔は洗脳対象者のマナを使って〝中身〟の動きを止め、洗脳状態にするのではないかと考えています。だからこそマナの多い人ほど影響を受けやすい。けれど、魔法使いの〝中身〟は常に激しく動いており、止めようとしても止まらない」
納得しがたいという様子で殿下は低く唸る。
「そもそも〝中身〟とマナは違うものなのか?」
「〝中身〟が具体的に何かはわかりませんが、マナそのものでないのは確かです。マナが多くても少なくても〝中身〟の大きさには関係ないようですから。〝中身〟についてわかっていることと言えば、その動きが思考や精神的な自由度と関係していることくらいでしょうか」
「魔女の中身はぐるぐると激しく動き、洗脳されるとのっぺりする――か」
王弟殿下は眉間に皺をつくり、話を咀嚼するようにつぶやいた。疑問は呈しても否定はせず、真面目に向き合う姿勢は尊敬に値する。
「殿下。例えば、思考が水のように流動的なものだと考えてみてください。出目ちゃんが見ているのは〝思考の水たまり〟で、マナはそこに溶けている。悪魔の力は〝思考の水たまり〟そのものに対してではなく、そこに溶けたマナに作用し、水の動きを鈍らせる。魔法使いの〝思考の水たまり〟は流れが激しいため、その作用に抵抗できる。そんなふうに考えています。
そもそも、魔法使いは〝思考の水たまり〟の水を自由に操れるのではないかと思います。歌で〝思考の水たまり〟に波紋を起こし、そこに溶けたマナに固有の振動を与え、それが水たまりの外に流れ出て自然に干渉する。それが魔法なのでは――と」
王弟殿下の眉間の皺は消えたが、それは疑念が晴れたわけではなく、これ以上ここで議論する意味はないと判断したようだ。
「セラヴィがいる場で話す内容だな。私には公女の推論に信憑性があるかどうか判断できん。ただ、肉とマナの話を聞いて少し思い出したことがある」
王弟殿下は突然立ち上がり、スタンリー卿に歩み寄るとその腰から剣を抜いた。そして「剣気だ」と、どこか少年じみた無垢な顔で言ったのだった。




