第9話:モンスターペアレント
今日の王立貴族保育園の活動は、私が前世から温めていた企画――「廃材アート」の時間だ。
お菓子の空き箱、使い古した布の端切れ、ワインのコルク。貴族の屋敷なら毎日大量に捨てられる「ゴミ」たちが、今日の子どもたちの宝物になる。
「いい? みんな。これは魔法の材料よ。工夫次第で、お城にもお姫様のティアラにもなるんだから!」
「わあぁ! ぼく、これでかっこいい、けんをつくる!」
「わたしは、きらきらの、ほうせきバコにするの!」
子どもたちは目を輝かせて、山積みの廃材に飛びついた。
その隣で、右腕に包帯を巻いたアレク先生は、空き瓶の蓋を器用に左手で積み上げながら眉間にシワを寄せていた。
「……リリアーナ。お前の実家が苦しいのは知っているが、まさか子どもたちにまでゴミを拾わせて遊ばせるとは。……正気か?」
「失礼ですね! これは『創造力』と『資源の再利用』を学ぶ立派な教育プログラムなんです。何でも買い与えられるのが当たり前の貴族の子にこそ、無から有を生み出す経験が必要なんですよ」
「……ふん。屁理屈だけは一人前だな」
そう言いながらも、アレク先生は男の子が作ろうとしている「最強の城」の土台がグラついているのを見逃せず、「おい、ここは糊じゃなくて紐で縛れ」と、左手一本で驚くほど頑丈な構造をアドバイスし始めていた。
そんな平和な創作の時間を切り裂いたのは、鋭い足音と、ヒステリックな女性の声だった。
「――まあっ! なんという不潔な光景ですの!?」
振り返ると、そこには扇子を広げ、信じられないものを見るような目で園庭を凝視する、豪奢なドレスの女性が立っていた。
エマちゃんの母親、ベネット侯爵夫人だ。今日は随分とお迎えが早い。
「お、お母様……!」
「エマ! すぐにその薄汚い箱を捨てなさい! 病気になったらどうするのです!」
夫人は軍隊のような勢いで詰め寄ると、エマちゃんが一生懸命作っていた「お花の冠(トイレットペーパーの芯製)」をひったくり、地面に叩きつけた。
「リリアーナ先生! 説明を求めますわ。我が侯爵家の大切な令嬢に、ゴミを触らせるなんて……これだから、貧乏な下級令嬢が運営する園は程度が低くて困りますのよ!」
夫人は私の家柄を露骨に蔑み、周囲に聞こえるような大きな声で罵倒を始めた。
他の保育士たちが身分差に萎縮して青ざめる中、私は前世で培った「対モンスターペアレント用・完全無欠の営業スマイル」を顔面に貼り付けた。
「ごきげんよう、侯爵夫人。お言葉ですが、これはゴミではありません。子どもには、身分に関係なく自ら創造する権利と喜びがあります。貴族の尺度ではなく、彼ら自身の心を豊かにするための大切な時間なのです」
私が言い切った瞬間、背後でアレク先生が小さく息を呑む気配がした。
その毅然とした言葉は、背後で息を潜めていたアレクシスの心を強く揺さぶった。
王位継承権が低く、血筋や身分でしか価値を測られないこの息苦しい世界で、「身分に囚われない平等の精神」を貫く彼女の姿は、彼を長年のコンプレックスから解放する確かな救いだったのだ。
そんな彼の内面の変化など露知らず、夫人は顔を真っ赤にして逆上した。
「黙りなさい! 言い訳は聞き飽きましたわ!」
私の完璧な正論パンチは、火に油を注いだだけだったらしい。
夫人は顔を真っ赤にして逆上した。
「それに、なんですの? そんな小汚い靴履いて、不潔極まりないわ」
「……く、靴は」
(……た、確かに汚いけど!)
リリアーナの後三ヶ月は持つと思っている履き潰した汚れた靴を指差した。さらに追い詰めるように、怒鳴った。
「没落寸前の男爵家の小娘が、高貴な教育を語るなんて片腹痛い! ええい、その生意気な口を閉じさせてあげますわ!」
夫人が硬い扇子を振り上げ、私に向かって大きく振り下ろそうとした――その瞬間。
「……おい」
空気が、一瞬で凍りついた。
振り下ろされるはずだった夫人の手首を、背後から現れたアレク先生が、怪我をしていない左手でガシッと掴んでいた。
「誰の許可を得て、ここで喚いている」
その瞳は、いつもの不機嫌なものとは全く違った。
戦場を潜り抜けた騎士団の猛者たちですら、直視すれば震え上がるという、絶対的な強者だけが持つ「冷徹な殺気」。
剣技など使わなくとも、その圧倒的な体格と眼差しだけで、周囲の酸素が薄くなったかのように錯覚する。
「な、なんですの、あなた……! 手を離しなさい! この薄汚い、ただの雇われ……ひっ!?」
夫人の声が、喉の奥で引き攣った。
アレク先生は何も言わず、ただ無言で夫人を見下ろしている。
しかし、その目を見つめた夫人の顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのが分かった。
「この女の教育方針に文句があるなら、俺が相手になるが? ――保育士に手を上げたとなれば、どんな言い訳も通用しないぞ」
低く、地を這うような声。
それは間違いなく「貴族の頂点」に立つ者が放つ、本物の威圧だった。
「あ……ぅ……」
夫人はアレク先生の正体こそ分からないものの、本能で察したのだ。
目の前にいる「ただの男」が、自分たち侯爵家など一捻りにできるほどの、恐ろしい「格」の持ち主であることを。
「……し、失礼いたしますわ! エマ、帰りますわよ!」
夫人は拘束を解かれるや否や、捨て台詞を吐く余裕もなく、震える足で馬車へと逃げ帰っていった。
エマちゃんは「せんせい、ごめんなさい……またあした、つづき、つくろうね」と小さく手を振って追いかけていった。
嵐が去り、静まり返った園庭で、アレク先生がふんと鼻を鳴らした。
「……ったく。あんなヒステリックなババァにまで、へらへらと笑って対応するな。お前は少し、危機感というものを持て」
「はぁ……。アレク先生、庇ってくれてありがとうございました」
私がお礼を言うと、案の定、アレク先生はそっぽを向いた。
「勘違いするな。騒がしくて不愉快だっただけだ」
そう言いながら、彼は地面に落ちて潰れたエマちゃんの「冠」を左手で拾い上げ、器用に形を整え始めた。
その背中は、園児たちに付けられた糊や糸屑だらけで――私は、やっぱりこの「ちょろい王子様」が、誰よりも「誠実な先生」であることを確信するのだった。
「……あー、それと」
ふと、冠の形を整え終えたアレク先生が、背中を向けたまま低い声で言った。
「え?」
「……明日。保育園は休みだが……お前、暇か」
「明日、ですか? ええと、特に予定はありませんけど……」
「そうか。じゃあ、明日の昼の鐘が鳴る頃に、王都の中央広場の噴水前で待ってろ」
それだけ言うと、アレク先生は振り返ることもなく、逃げるように足早に園舎の中へと消えていった。
取り残された私は、目をパチクリと瞬かせた。
(……えっ? 休日の待ち合わせ? しかも、二人きりで?)
(デート!? これって間違いなく、休日デートのお誘いでは!!?)
私の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
* * *
翌日。
私は朝からアパートのクローゼットをひっくり返し、持っている中で一番マシな、水色の質素なワンピースを引っ張り出した。
いつもはきっちり結んでいる髪も、少しだけ巻いて下ろしてみる。
(……やばい。私、完全に浮かれてる)
鏡の前で真っ赤な顔を両手でパシンと叩き、深呼吸をしてから、約束の中央広場へと向かった。
昼の鐘が鳴る少し前。
広場の噴水前には、すでにアレク先生の姿があった。不機嫌そうに腕を組んで立っているが――私は、彼の姿を見た瞬間、息を呑んで立ち止まってしまった。
そこには、いつもの動きやすい保育士用のエプロン姿ではない、上質な黒の仕立て服を身に纏った長身の青年がいた。
装飾は少ないが、生地の良さと無駄のないシルエットが、彼の鍛え抜かれた体格と恐ろしいほどの美貌をこれでもかと引き立てている。
(……こ、攻撃力!!高すぎる!!!!)
私がポカンと見惚れていると、アレク先生も私に気づいて視線を向けた。
途端に、彼の眉間のシワがピタッと消え、切れ長なサファイアの瞳が見開かれる。
「あ、お待たせしました……!」
私が小走りで駆け寄ると、アレク先生はなぜかパッと顔を背けてしまった。
「な、なんだ、その格好は」
「えっ、変ですか……?」
「……変じゃない。……というか、その……」
アレク先生は口元を右手で覆い、目を泳がせながらポツリと呟いた。
「……似合ってる。すごく」
ドッッッッカーン!!
私の脳内で、前世と今世の乙女心が大爆発を起こした。
(やだこの人、ツンデレのツンをどこかに忘れてきたのーー!?)
顔から火が出そうになりながら俯く私に、アレク先生はゴホンとわざとらしく咳払いをした。
「……行くぞ」
「あの、どこに行くんですか?」
「商業区だ。……少し、買いたいものがあってな」




