第7話:氷の王子のキラキラ・スマイル
(やってしまった……、自分よりも歳上の人を『あんなに若いとなかなかできないんですよね』なんて言ってしまったー!!!)
全身の血の気が一気に引いていくのが分かった。
そうだった。今の私は、前世の「酸いも甘いも噛み分けたアラサーのベテラン保育士」ではない。
世間知らずで、子育て経験などあるはずもない「うら若き男爵令嬢、リリアーナ・フォン・アシュレイ(18歳)」なのだ!
「え、ええと!本です! 育児書をたくさん読んだんです!」
「育児書?」
「はい! 保育園で働くにあたって、王立図書館の『児童心理学』や『幼児教育のすゝめ』みたいな本を端から端まで読み漁りまして……っ!」
冷や汗をダラダラ流しながら、必死に言い訳を並べ立てる。
アレク先生は疑わしげに眉をひそめ、私の顔をじっと観察している。王族特有の、嘘を見抜くような鋭い眼光だ。
「……見た目によらず、お前はたくさん努力してるんだな。俺も探して読んでみるよ」
(よかった……! なんとか誤魔化せた……っ)
「はっ、はい! アレク先生の、そういうなんでも真面目に向き合うところいいな!って思ってます」
「エドワード様の良さが『余裕』なら、アレク先生の良さは『誠実性』って感じでしょうか。余裕のある指導は学べば習得できますが、アレク先生の誠実性は本人の素質によるものなので素晴らしいことだと思います!」
勢いだけで押し切ろうとする私を、アレク先生はしばらく無言で見つめていた。
やがて、彼は小さくため息をつき、頭をガシガシと掻きむしった。
「……ペラペラと、よく口の回るやつだ」
呆れたような低い声を出したものの、アレク先生はそれ以上言葉を続けることができず、完全に口を閉ざした。大声で誤魔化すこともできず、静かに目を逸らす彼の耳の先だけが、隠しきれないほど真っ赤に染まっている。
その無言の動揺は、彼が彼女の言葉を誤魔化せないほど本気で受け止めていることを雄弁に物語っていた。
保育士として沢山の人の成長を指導してきた私は、
アレク先生と一緒にいるうちに、わかってきたことがある。
それは、アレク先生はとっても照れ屋で、
褒めると『めっちゃちょろい!!』ということだ。
氷の王子が溶けて沸騰しそうなほど、そのサファイアの瞳が熱を帯びて激しく揺れている。
どうやら前世バレの危機を脱しただけでなく、私の誤魔化し交じりの大絶賛は、アレク先生の純情に見事な一撃を入れてしまったらしい。
「あ、あの、アレク先生……?」
「……なんでもない! とにかく、お前がそこまで言うなら……俺は俺のやり方でやってやる!」
アレク先生はバンッと立ち上がると、そっぽを向いたまま言い放った。
(疑う余地のない、ツンデレだ)
「リリアーナせんせー! おそと、いくー!!」
ちょうどその時、廊下から子どもたちの元気な声が響いてきた。
私は「あ、はいはーい! 今行くね!」と返事をし、「それじゃあアレク先生、また後で!」と足早に保育室を後にした。
パタパタという私の足音が遠ざかり、完全に姿が視界から消えた瞬間。
「…………っ、…………はぁっ!!」
一人残されたアレクシスは、肺に溜まっていた熱い空気を一気に吐き出し、机に両手をついた。
激しく打ち鳴らされる心臓の音が、静かな教室にうるさいほど響く。
彼は顔を覆い、指の間から漏れる熱い吐息を殺した。
先ほどまでの兄に対する敗北感など、今の彼には一欠片も残っていない。ただ、リリアーナが向けてくれた「誠実性」への称賛と、あの曇りのない笑顔だけが脳裏に焼き付いて離れなかった。
「……誠実性、か」
彼は顔を覆っていた手を下ろし、ふっと不敵な、それでいてどこか陶酔したような笑みを浮かべた。
絶望のどん底にいたはずの瞳には、今や野心的な炎が煌々と宿っている。
「……いいだろう。俺そのものの素質!誠実さ勝っているというのなら。そこに兄上の持っていた『余裕という技術』とやらを上乗せすれば、俺の完全勝利だ!!」
何に対する「勝利」なのか。
それはもはや兄への対抗心を超え、リリアーナにとっての「理想の男」の座を誰にも譲らないという、壮大で極端な決意へと変わっていた。
「……見ていろ、リリアーナ。兄上のことなど一瞬で忘れさせてやる」
アレクシスは力強く立ち上がると、王族の天才的な学習能力を間違った方向へとフル回転させ始めた。
「まずは……あの癪に障る『キラキラした笑顔』の再現からだ……っ」
鏡もない室内で、彼は一人、引き攣ったような「営業スマイル」を浮かべる練習を開始した。
誠実さと技術。その両方を手に入れた時こそ、彼女を真の意味で振り向かせることができると信じて疑わない(=めっちゃちょろい)アレクシスだった。
* * *
翌朝。
王立貴族保育園には、いつも通りの平和な朝の空気が流れていた。
子どもたちは元気に登園し、私は「おはよう!」と一人ひとりを笑顔で出迎える。
「リリアーナせんせー、おはよー!」
「おはよう、レオくん。今日も元気だね!」
そんな穏やかな日常が、保育室のドアが開いた瞬間に凍りついた。
「――おはよう。愛らしい子猫ちゃんたち」
甘く、吐息混じりの声。
振り返ると、そこには昨日のエドワード様を彷彿とさせる、やけに優雅なポーズで立つアレク先生の姿があった。
「あ、アレク先生……?」
私は自分の目を疑った。
いつもなら「今日も騒がしいな」と眉間にシワを寄せているはずのアレク先生が、なんと口角を不自然なまでに吊り上げ、歯をキラリと見せて笑っているではないか。
瞬きをした次の瞬間、彼の周りには幻覚の薔薇が咲き乱れていた。
王族という最強の美形の遺伝子に、持ち前の天才的な学習能力が完全にアジャストした結果。徹夜の特訓の末に彼が叩き出したのは、エドワード様をも凌駕するほどの「完璧で圧倒的な王子の微笑み」だったのだ。
(破壊力が、エグい……ッ!!)
前世でアイドルやイケメン俳優を見慣れていたはずの私でさえ、息を呑むほどの美しさ。
普段の氷のように冷たい表情とのギャップも相まって、その笑顔は暴力的なまでの引力を放っていた。
「アレクせんせい……お、おうじさまみたい……!」
「きらきらしてるー!」
いつもなら彼の不機嫌オーラに怯えがちな子どもたちも、今日ばかりは頬をピンク色に染め、ぽかんと口を開けて魅入っている。
なんと、子どもたち相手に大成功である。
アレク先生は子どもたちの反応に手応えを感じたのか、さらにそのキラキラ度を増して、今度は私の方へゆっくりと歩み寄ってきた。
「おはよう、リリアーナ先生」
(せっ、先生、って初めてつけてくれた!?)
甘く、鼓膜を直接撫でるような低音。
彼は私の目の前で立ち止まると、スッと流し目を送り、甘い微笑みのまま私の手を取った。
「き、今日の君は、一段と素晴らしいね。……まるで、朝露に濡れた一輪の白百合のようだ。俺の『誠実さ』と『余裕』の前に、君の心も……その、奪われてしまったんじゃないかな?」
明らかに王立図書館の『ロマンス小説』から引っ張ってきたような、甘ったるいセリフ。
普段なら「何言ってるんですか」と笑い飛ばせるところだが――今の彼には、そのセリフすらも成立させてしまうほどの「顔面の説得力」があった。
「っ……~~~!!」
至近距離で浴びる、国宝級の超絶キラキラスマイル。
私の心臓はドックン!と大きく跳ね上がり、顔から火が出るほどの熱を帯びていくのが分かった。
(だめだ! アレク先生が本気を出したら、こんなにカッコいいなんて聞いてない!! ちょろいのは私の方だったーー!!)
私が顔を真っ赤にし、両手を重ね、お祈りのポーズで『ごちそうさまです』なんて思いながら、潤んだ目で見上げていると、アレク先生の動きが、ピタリと止まった。
「リリアーナ!!!!」
完璧だったキラキラスマイルが、パリンッ!と音を立てて砕け散った。
余裕たっぷりの王子の顔面が、みるみるうちに耳の先まで毒が回ったよう真っ赤に染め上がっていく。
「お、お前!!」
「お前、なんて、顔してんだよ!!!」
アレク先生はと、そのままその場にしゃがみ込んで、ダンゴムシのように丸まってしまった。
「あー! いつものアレクせんせいだ!」
「お顔、まっかかー!」
キラキラオーラが消え去り、いつもの不器用で照れ屋なアレク先生に戻った途端、子どもたちがキャッキャと笑いながら彼に飛びついていく。
私は丸まったまま子どもたちにツンツンされている彼を見て、思わず吹き出してしまった。
――この日、アレク先生、もとい第七王子アレクシス・フォン・グランツは、生まれて初めて兄エドワードに感謝した。




