第49話:俺の最高級の『誕生日プレゼント』
茜色に染まり始めた空を背に、巨大な観覧車がゆっくりと回っている。
案内されたゴンドラに乗り込み、スタッフによって外からカチャリと扉が施錠されると、外の喧騒が嘘のように遠ざかった。
夕暮れの空に浮かぶ、二人きりの完全な密室。
向かい合わせに座ったアレクシスは、先ほどまでの「昼間の照れ屋な青年」から一転して、足を組み、頬杖をつきながら熱を帯びた瞳でこちらを見つめていた。
「……なんだか、急に静かになりましたね」
その視線の甘さに耐えきれず、リリアーナが誤魔化すように窓の外へ目を向けると、アレクシスがふっと短く息を吐き、立ち上がって彼女の隣に腰を下ろした。
「わっ……」
「……逃げるな」
肩が触れ合うほどの距離。逃げ場のない密室で、彼から漂う大人の男の香りと、隠しきれない『氷の王子』の独占欲が、リリアーナを絡め取るように包み込む。
アレクシスは、リリアーナの肩を抱き寄せると、空いている方の手でジャケットの内ポケットから小さな木箱を取り出した。
「……誕生日おめでとう、リリアーナ」
「あ……ありがとうございます! これは……?」
リリアーナが両手で受け取ったその木箱は、手のひらサイズで、表面には美しい花の模様が一面に見事に透かし彫りされていた。
あのメンダコと同じく、彼が自分のために時間をかけて木を削り、磨き上げてくれたものだということが、指先から伝わる滑らかな手触りで分かる。
「開けてみろ」
彼の低い声に促され、リリアーナはそっと木箱の蓋を開けた。
中には、精巧な金属の歯車が組み込まれている。側面の小さなゼンマイを回すと、ポロン、ポロン……と、素朴で優しいメロディがゴンドラ内に響き渡った。
「あっ……この曲……!」
リリアーナは目を見開いた。
それは、有名なクラシックでも、王宮のきらびやかなワルツでもない。
「毎日、お前が保育園で子どもたちに向けて歌っているだろう。……聞いていたら、耳から離れなくなってな」
それは、リリアーナがいつも歌っている『お片づけの歌』だった。
世界で一番高貴で、恐れられているはずの王族の彼が。わざわざ自分の職場の、子ども向けの素朴なメロディの音階を一つ一つ拾い上げ、手作業でオルゴールに仕立ててくれたのだ。
「俺の金と権力を使えば、南の保養地に別荘を買うことも、国宝級の宝石を買い与えることも簡単だが。……お前が一番喜ぶのは、俺の手間がかかったこういう物だろ?」
少し意地悪に、けれどこの上なく優しく微笑む彼を見て、リリアーナの視界がじわりと滲んだ。
(ああ、もう……なんて素敵な人なんだろう!!)
超庶民派な自分の価値観を誰よりも理解し、一番欲しいものを、一番嬉しい形で与えてくれる。
彼がどれほどの時間をかけてこれを作ってくれたのかを想像するだけで、愛おしさで胸が張り裂けそうだった。
「はい……っ、アレクシス様が一生懸命作ってくれたプレゼントなら、何百倍も嬉しいです」
涙ぐみながら満面の笑みを向けるリリアーナを見て、アレクシスは限界を迎えたように深く息を吸い込み、彼女の顎を指先でそっと持ち上げた。
「……あの時は」
「え?」
「靴を買ってやったあの初デートの時は……触れることすらためらって、キスひとつできなかったが。……今は違う」
夕焼けの光を反射するサファイアの瞳が、至近距離でリリアーナを射抜く。
ちゅ、と。
最初は啄むような、確かめ合うような優しいキス。そこから次第に角度を変え、甘く濃厚に絡め取られる深い口づけへと変わっていく。
「ん……っ、あ……」
密室の中で響く、小さな水音。
完全に『夜の顔』になった彼に腰を強く抱き寄せられ、リリアーナは身をよじることもできず、ただ彼の熱に甘く溶かされていった。
やがて、ゴンドラがゆっくりと地上へと近づき始めた頃。
唇を離したアレクシスは、とろけたように潤んだリリアーナの瞳を見つめ、嗜虐的な色気を孕んだ笑みを浮かべた。
「さて……。外での『普通のデート』はここまでだ」
「へ……?」
熱でぼんやりとした頭のまま瞬きをする彼女の耳元に、アレクシスが顔を寄せ、低く艶やかな声で囁いた。
「ここからは俺の部屋に帰って、本当の誕生日祝いをしてやる。……そういえば言ってなかったが、お前は明日も休みだ、俺の権力で勝手に『二連休』にしておいたからな」
「ええっ!? そ、そんなの聞いてないですよ! 完全な職権濫用です!」
「そうだ。……今日は俺がお前を、たくさん可愛がって、寝かしつけしてやる」
* * *
すっかり日が落ちた後、お忍びの馬車で王宮へと帰り着いた二人は、誰の目にも触れることなくアレクシスの私室へと直行した。
重厚な扉が開くと、そこには薄暗い間接照明に照らされた、広々とした豪奢なベッドルームが広がっていた。
「わぁ……」
そして部屋の中央には、見事な装飾が施された銀のワゴンが置かれている。
その上には、王宮専属のパティシエが腕によりをかけて作った色とりどりの小さなスイーツたちと、真ん中に鎮座する宝石のように美しい『最高級のイチゴのタルト』。さらに、ふわりと良い香りを漂わせる温かい紅茶のセットまで用意されていた。
「お酒はまだ飲めないお前のための、特別製だ。……こっちへ来い」
アレクシスはベッドの縁にゆったりと腰を下ろすと、まだ部屋の光景に圧倒されて立ち尽くしているリリアーナの手を引き、ごく自然な動作で自分の膝の上へと抱え込んだ。
「あっ、アレクシス様!? ベッドの上で、しかもそんな……っ」
完全に背中から抱きすくめられる『バックハグ』の体勢。背中越しに密着する彼の広い胸板と、腰に回された力強い腕のホールド感に、リリアーナの心臓が大きく跳ねる。
「今日は誕生日なんだ。お前は指一本動かさなくていい。……いつも子どもたちの世話ばかり焼いているんだから、今日くらい俺に徹底的に甘やかされておけ」
耳元で低く囁かれ、逃げ出すことなど到底許されないと悟る。
アレクシスは片手でリリアーナの腰をしっかりと抱き寄せたまま、もう片方の手でフォークを取り、イチゴのタルトを小さく切り分けた。
「ほら、口を開けろ。あーん、だ」
「ええっ!? じ、自分で食べられますっ!」
「ダメだ。今日は俺がお前を世話すると決めたんだ。……開けないなら、口移しで食わせるぞ?」
余裕たっぷりの意地悪な笑顔で退路を断たれ、リリアーナは観念したようにギュッと目をつぶり、「あーん」と小さく口を開けた。
そこに、絶妙なサイズに切り分けられたタルトが放り込まれる。
「んっ……! わぁ、すっごく美味しいです! 甘酸っぱくて、クリームがフワフワで……あの初デートの時のタルトより、もっと美味しいかも!」
口いっぱいに広がる極上の甘さに、先ほどの恥ずかしさも忘れて目を輝かせるリリアーナ。その無防備で幸せそうな顔を見て、アレクシスは喉の奥で低く笑った。
「そうか。そりゃあ良かったな。……口元にクリームがついてるぞ」
「えっ? あっ、すみま――」
リリアーナが手で拭おうとした瞬間、アレクシスの大きな手が彼女の顎をクイッと上に向かせた。
そして、彼女の唇の端にちょこんとついた生クリームを、彼の長い親指が優しく拭う。
「あ……」
次の瞬間、アレクシスはその親指についたクリームを、自分の舌でペロッと舐め取ったのだ。
「〜〜〜ッ!?」
あまりに艶やかなその仕草に、リリアーナの顔が一瞬で沸騰する。
完全に言葉を失い、真っ赤になって固まっている彼女の耳元に、アレクシスが顔を寄せた。
「……美味しいですか、って聞かないのか?」
「あ、あ、あの……お、美味しい、ですか……?」
パニックのままオウム返しに尋ねると、アレクシスは「あぁ」と低く艶めいた声で応え――。
ちゅっ、と。
スイーツではなく、リリアーナのうなじから耳たぶにかけて、熱を帯びた唇を這わせた。
「ひゃあっ……!?」
「あぁ、驚くほど甘くて……最高に美味いな」
びくりと身を震わせたリリアーナの首筋に、何度も何度も、甘いキスが落とされていく。
(た、タルトの感想じゃない……っ!!)
「アレク、シス様……あの、お紅茶を……紅茶が冷めちゃい、んっ……」
「酒はまだ早いが、今の俺たちなら……これでいくらでも酔えるだろ?」
完全に『夜の氷の王子』の顔になった彼の手が、リリアーナのワンピースの背中のリボンへと掛けられる。
タルトの甘い香りと、大人な紅茶の香り。そして、彼から漂う抗えない熱気。
「今日は寝かしつけてやるって言っただろ? ……俺の最高級の『誕生日プレゼント』を、これからじっくり味わい尽くさせてやる」
「ひゃっ……! アレクシス、様……っ」
「十九歳になったお前を、俺の愛で徹底的に甘やかしてやるからな」
刺激が強すぎる、極上の甘やかしと底なしの愛欲。
明日の有給(二連休)を最大限に活用した、波乱と寝不足が確約された「本当の誕生日祝い」が、甘い悲鳴と共に幕を開けるのだった。




