第46話:き、きらきら……りん……っ
第一王子レオンハルト夫妻の盛大な結婚式から数日後。
王立貴族保育園の朝は、かつてないほど異様な熱気に包まれていた。
「リリアーナ先生! おはようございますっ!」
登園の時間。門の前で出迎える私の元へ、普段は王宮で気難しい顔をして国政を担っているはずの公爵や伯爵といった高位貴族の保護者たちが、なぜか目をキラキラさせて殺到してくる。
「……っ! 見ろ、あれが噂の……!」
「おおお……なんと深く、慈愛に満ちた輝き……! リリアーナ先生の瞳をそのまま写し取ったような、極上のブルーサファイア……!」
公爵様たちが一斉に私の左手に釘付けになり、まるで女神の彫像でも見るかのように感極まって拝み始めたのだ。
アレクシス様が「不届きな男を近づけないための印」として贈ってくれたあの指輪は、今や社交界で「氷の王子を一瞬で融かした、おとぎ話の真実の証明」として大バズり散らかしていた。
「氷の第七王子が一目惚れして、男爵令嬢を情熱的に攫っていった……。なんてドラマチックな愛の結晶なのでしょう!」
「先生、うちの妻も『王子様が、最愛の女性の瞳の色をどうやってあんなに完璧な宝石で見つけ出し、どんな甘い言葉で贈られたのか知りたい』と毎日泣きながら拝み倒してきます。どうか、少しだけお話をお聞かせいただけませんか!」
(あ、甘い愛の言葉……っ。おとぎ話を信じている皆様には、口が裂けても真実は言えないわ……!)
私は引きつりそうになる笑顔を必死に保った。
実はこの指輪、王都一の老舗宝飾店『グラン・エトワール』の職人たちが、アレクシス様の狂気的な「設計」によって半泣きで作らされた代物なのだ。
彼は伝統的なダイヤモンドを「構造が甘い」「子どもを抱く時に彼女の肌を傷つける」と物理法則で切り捨て、自ら鉱山へ出向いて私の瞳と同じ色の原石を厳選。さらに「彼女が子どもを見守る際の見下ろしの角度(約十五度から三十度)で輝きが最大になるようにカットしろ」と光学理論まで押し付け、マイクロン単位の誤差も許さなかったという、激重仕様の結晶である。
おまけにプロポーズの言葉も「強度の計算書と三十層の絶対防御魔法の仕様書だ。死んでも外すな」だった。
「ま、まあ……皆様が想像されるような、そんな大層なお話ではございません。それより公爵様、レオくんが昨夜から少しお野菜を避けていると伺いました。今朝のお腹の調子はいかがですか?」
熱狂する貴族たちを前にしても、私は二人の秘密(狂気の仕様書)を隠し通すため、いつもの『保育士モード』を崩さない。他人の子どもであっても、お預かりしている以上は全力で向き合う。それが私の誇りだった。
「……っ! さ、流石はリリアーナ先生」
私のまったくブレない対応に、公爵様はハッと息を呑み、さらに尊敬の眼差しを深める。
「あの第七王子の寵愛を一身に受けながらも、少しも浮き足立つことなく、我らが子の些細な体調変化を第一に案じてくださるその深い愛情……! やはり貴女は、王立貴族保育園の『聖女様』だ……!」
「「「おおお……! 聖女様……!!」」」
アレクシス様の、完全に大誤算である。
男除けのつもりでつけさせたあの指輪は、かえって保護者たちのロマンス心に火をつけ、私の注目度を爆発的に引き上げてしまっていた。
子育ての悩みを完璧に解決する保育スキルと、他人の子どもにも全力で愛情を注ぐ姿勢。それが貴族の親たちの心を完全に打ち抜き、私はいつしか、国中の親たちがひれ伏す「アシュレイ家の凄腕保育士」改め「王立貴族保育園の聖女様」と呼ばれるようになってしまったのだ。
その人気は保育園内にとどまらず、ついに王宮のトップをも動かすことになる。
「アシュレイ男爵。……いや、これからはアシュレイ伯爵とお呼びすべきですな」
宰相閣下の執務室に呼び出された私の父は、震える手で爵位の昇進状を受け取っていた。
第七王子の正妃にふさわしい地位を与えるためという名目だったが、その裏には「リリアーナを正式な家族として堂々と可愛がりたい」という第一王子夫人エレノア様や第三王子の婚約者ロザリー様たちの猛プッシュと、「これほど見事な教育の天才を、下位貴族のままにしておく手はない」という宰相閣下の思惑が合致した結果だった。
こうして我が家は、ただの男爵家から一躍「王室お気に入りの伯爵家」へと飛び級で昇進してしまったのだ。
* * *
さらに数日後。
朝、保育園に出勤した私は、デスクの上に置かれていた差出人不明の巨大な小包を開けて、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「なんだこりゃ!!!」
箱の中に入っていたのは、ピカピカの真新しい絵本が数十冊。
表紙には『氷の王子様とお日様の聖女様』というタイトルが金色の箔押しで輝いている。
「せんせー、それなあに!?」
「あたらしいえほん!? よんで! よんでー!」
登園してきた子どもたちが、さっそく私の足元に群がってきた。
お昼下がりの読み聞かせの時間。私は子どもたちのリクエストに応え、仕方なくその新しい絵本を手に取って椅子に座った。
「それじゃあ、今日は新しく届いたこのお話を読みますね。……ええと、『氷の王子様とお日様の聖女様』」
私が表紙をめくって読み始めようとした、ちょうどその時。
園舎の扉が静かに開き、視察という名目でやってきたアレクシス様が姿を現した。
「……」
彼は私の読み聞かせの邪魔をしないよう、声をかけずに部屋の後ろの壁に寄りかかり、静かに腕を組んでこちらを見守り始めた。
私は彼に軽く会釈をしてから、絵本のページに視線を落とす。
『むかしむかし、お城の冷たい塔に、氷の王子様が住んでいました』
『ある日、王子様は、子どもたちに囲まれて笑う、お日様の聖女様に出会いました』
(……ん?)
なんだか、既視感のある設定だ。
私は首を傾げながらも、次のページをめくる。壁際にいるアレクシス様も、真剣な顔で絵本の朗読に耳を傾けている。
『聖女様は、子どもたちが遊ぶための遊具がなくて困っていました。それを見た王子様は、子どもたちが怪我をしないように、角がまぁるく削られた、温かい木の滑り台を作ってあげました』
(……えっ)
私と、アレクシス様の視線が、空中でバチッと交差した。
アレクシス様の眉間がピクッと引きつり、腕を組む手にギュッと力が入るのが見えた。
これ、絶対に私たちのおとぎ話(美化バージョン)だ。保護者の皆様がパトロンになって勝手に出版したに違いない。
『すっかり聖女様に恋をした王子様は、彼女の瞳と同じ、深い青色の宝石を探す旅に出ました』
「っ……」
これ以上読むのは、あまりにも羞恥プレイすぎる。しかし、子どもたちが「それでそれで!?」と目を輝かせて待っているため、途中でやめるわけにもいかない。
私はじわじわと顔に熱が集まっていくのを感じながら、どんどん小さくなっていく声で続きを読んだ。
『王子様は、愛する聖女様を守るため、魔法の石を指輪にして贈りました』
アレクシス様が、片手で顔を覆って天を仰いだ。
(あああ……職人の意地と光学理論のブルーサファイアが、魔法の石の一言で片付けられてる……っ!)
「……ぷ、プロポーズの言葉は、こうです。……『君の色を、いつも僕のそばに置いておきたい。僕のお嫁さんになってください』……」
私の声は、もはや消え入りそうなほどのウィスパーボイスになっていた。
三十層の絶対防御魔法も、物理法則も、ミリ単位の計算もそこにはない。ただただ、甘くてロマンチックな王道のおとぎ話が綴られている。
『聖女様が嬉しそうに頷くと、王子様の指先から魔法が溢れました。……き、きらきら……りん……っ』
「「「わぁぁぁぁっ!!」」」
私が蚊の鳴くような声で最後の擬音を絞り出すと、子どもたちは大歓声を上げて拍手をした。
……沈黙が、落ちた。
私は顔から火が出そうなほど真っ赤になりながら、恐る恐る壁際のアレクシス様を見た。
「…………」
アレクシス様もまた、口元を覆った手の隙間から見える耳の先から首筋までを真っ赤に染めて硬直していた。
(きらきらりんで指輪を渡す、氷の王子様……)
(きらきらりんって言わされた、お日様の聖女様……)
お互いに、自分たちの馴れ初めがここまで恥ずかしいおとぎ話に改変されて世に出回っている事実を突きつけられ、もはやツッコミを入れる気力すら湧かない。
「……アレクシス、様」
「…………なんだその、きらきらりん、というのは……」
子どもたちが「王子様だー!」「きらきらりんしてー!」と彼の足元に群がっていく中。
不器用で重すぎる愛の職人(王子)と、彼に溺愛される元下級貴族(伯爵)の保育士は、二人揃って赤面したまま、しばらくの間お互いから目を逸らすことしかできないのだった。




