第45話:俺の印、死んでも外すな
大広間に、優雅なワルツの調べが響き渡った。
主役であるレオンハルト殿下たちのファーストダンスが終わり、周囲の貴族たちが次々とフロアへ歩み出ていく。
「……行くぞ」
アレクシス様は私の手を取ると、いまだに生温かい視線を送ってくるエドワード殿下や保護者たちから逃げるように、足早にダンスフロアへと私を連れ出した。
スッと腰を抱き寄せられ、ワルツのステップを踏み始める。
周囲の喧騒が音楽に紛れ、お互いの息遣いが聞こえるほどの近い距離。彼の手は少しだけ熱を帯びていて、不規則に速い心音がドレス越しに伝わってきた。
「……さっきから、ニヤニヤ笑うな」
少しうつむき加減の彼から、耳元で低い声が降ってくる。拗ねた子どものように唇を尖らせたその顔が愛おしくて、私は小さく首を振った。
「笑ってなんかいませんよ。ただ、嬉しいんです」
「……俺は、別に隠していたわけじゃない。ただ、あれは職人としての最低限の仕事で、わざわざ恩着せがましく言うようなことでもないと……」
「わかっていますよ」
言い訳をするように視線を逸らす彼に、私は微笑みかけた。
「見返りなんか求めず、ただ純粋に、子どもたちが怪我をしないようにって……見えないところまで丁寧に角を削ってくださったんですよね。だから、あんなに温かい遊具ができたんです」
「……」
「あの保育園の遊具は、世界で一番優しくて、愛に溢れた最高傑作です。私、あんなに素敵なものを作れる『天才職人さん』と婚約できて、本当に幸せ者ですね」
私が真っ直ぐに見上げて褒めちぎると、アレクシス様はパチクリとサファイアの目を瞬かせた。
みるみるうちに気まずそうな表情が消え去り、代わりに「そうだろう?」と言わんばかりの、どこか誇らしげでパッと明るい表情が浮かんでくる。
(本当に、真っ直ぐでわかりやすい人だ)
「……ふん。まぁ、あれくらい俺にかかれば造作もないことだ。図面の引き方から、木材の選定、塗料の成分に至るまで、俺の完璧な計算が……」
すっかり機嫌を直し、活き活きと得意分野(DIY)のウンチクを語り始めようとする彼を見つめながら、私は愛おしさが爆発して、思わず口を開いていた。
「ええ。ですから……いつか私たちに子どもができた時も、パパとしておもちゃやベッドをたくさん作ってくださいね」
「――っ!?」
私のその言葉に、アレクシス様は眉間に皺を寄せピタッとステップを止めた。
「あの時約束した通り、最低でも『三人』は欲しいですからね。ベッドも三つ必要ですよ。パパが作ったおもちゃで子どもたちが遊んだら、きっとすごく幸せ……わっ!?」
言い終わる前に、私の言葉は遮られた。
アレクシス様は私の腰をグッと引き寄せ、息が触れ合うほどの近さで私を見下ろした。耳の先から首筋にかけては茹で上がったように真っ赤に染まっているが、そのサファイアの瞳には、先ほどまでの照れとは違う、ぞくっとするほどの熱と真剣な光が宿っていた。
「……お前というやつは。先生のくせに、一番大事な順序をすっ飛ばすのはやめろ!」
「あ、アレクシス様……?」
「俺が、どんな思いで今日という日を迎えたか……お前にはまだ分かっていないようだな」
「え?」
低く、掠れた声が耳元をくすぐる。
アレクシス様は私の手を強く、けれど大切に握り直すと、周囲の視線などもうどうでもいいというように踵を返した。
「……人が多すぎる。来い」
それは照れ隠しで逃げ出すような足取りではなく、どこか切羽詰まった、男としての決意に満ちた熱を帯びていて。
私は急にドクンと跳ねた心臓を持て余しながら、彼に手を引かれるまま、雪が舞うバルコニーへと向かうのだった。
* * *
大広間の喧騒を背に、重厚なガラス扉が閉ざされる。
雪が舞うバルコニーに出た瞬間、冷たい冬の夜風が頬を撫でたが、アレクシス様がすぐに自身の着ていた分厚い礼装のマントをバサリと私の肩に掛け、すっぽりと包み込んでくれた。
「……手を出せ」
マントの中でドギマギしていると、彼が唐突にそう言った。
おずおずと両手を差し出すと、なぜかそこに、分厚い羊皮紙の束がドサッと乗せられた。
「え、重っ!? アレクシス様、これは……?」
「これからお前に渡す指輪の設計図と、強度の計算書、そして金属に編み込んだ三十層の絶対防御魔法の仕様書だ。俺が原石の買い付けからカッティングの角度、ミリ単位の装飾まで計算し尽くして図面を引いた。……後で熟読しておけ」
「し、仕様書……!?」
(婚約指輪を渡す前に分厚い書類を渡してくる男の人、世界中探しても絶対この人だけだわ……!!)
私がその重すぎる仕様書の束を持て余して呆然としていると、アレクシス様はマントの隙間から私の左手を取り、小さなベルベットの箱を開いた。
――雪明かりの中、現れたのは。
慈愛に満ちた海のように温かく、陽光に透ければあの『深い青』を煌めかせる、極上のブルーサファイアがあしらわれた、この世の物とは思えないほど美しい指輪だった。
「あっ……」
「すでに婚約の誓いは立てているが……あれはあくまで、公的なものに過ぎない。これは、俺の個人的なエゴだ」
少しだけ震える大きな手が、私の薬指に冷たいリングを滑り込ませる。
当然のように、サイズはミリの狂いもなく私の指にぴったりと収まった。いつのまにか指の太さを完璧に測られていたのだ。
アレクシス様は指輪をはめた私の左手を両手で包み込むと、その薬指の宝石に、誓うように深く、熱いキスを落とした。
「ひっ……」
指先から伝わる彼の唇の熱に、背筋がゾクッと粟立つ。
顔を上げた彼のサファイアの瞳は、普段の冷徹さなど微塵もない、ひどく暗くて熱を帯びた『独占欲の塊』のような色をしていた。
「……これは、俺の印だ」
「俺の……印……」
「そうだ。お前がどこで誰に微笑みかけようと、どこの馬の骨とも知らん男やガキ共に好かれようと……お前は俺のものだという、誰の目にも明らかな絶対の証明だ」
逃げ場をなくすように腰を引き寄せられ、吐息が混ざるほど至近距離で囁かれる。彼の強すぎる愛情と執着が、低い声に乗って私の心臓を激しく打ち据えた。
「俺たちの正式な婚儀はまだ少し先になるが、今からずっと、左手にそれをつけておけ」
「俺は、お前が思っている以上に嫉妬深い。だから、たとえ死んでも外すな」
「っ……!」
狂気的なまでの職人魂で作られた指輪と、不器用で、重くて、どこまでも真っ直ぐな彼からの愛の宣告。
呆れてしまうほどの独占欲なのに、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
私は仕様書の束をぎゅっと胸に抱きしめると、熱くなった目元を彼に向け、とびきりの笑顔で頷いた。
「ふふっ。仕様書までつけられたら、もう一生外せませんね。覚悟しておきます」
「……ッくそ!!これ以上、好きにさせてどうする気だ」
私の返事に、アレクシス様は限界を迎えたように短く呻くと、仕様書ごと私を力強く腕の中に閉じ込めた。
私の肩口に顔を埋めた彼から、ひどく甘くて、微かに震える声が降ってくる。
「……愛している」
「……アレクシス、様」
「冷え切っていた俺の世界を、お前が温めてくれたんだ。……世界中の何よりも、誰よりもお前を愛している。お前が俺を信じてくれて、俺を選んでくれて、本当に良かった」
ただの独占欲なんかじゃない。
その言葉の奥にあるのは、一度手に入れた温もりを絶対に手放したくないという、彼なりの不器用で切実な、深すぎる愛情だった。
彼自身の熱を帯びたマントに包まれながら、私も背中に腕を回して、彼を力強く抱きしめ返す。
「私も、アレクシス様を愛しています。世界で一番大好きです」
私の言葉に、彼が嬉しそうに低く笑う音が胸に響いた。
冷たい雪が舞うバルコニーで、彼に抱きしめられた体温と、左手の薬指に光るサファイアだけが、熱いほどに私の心を焦がし続けていた。




