第44話:不器用な天才職人
知っていると思っていた宰相と、全く知らなかった私。大広間に気まずい沈黙が流れる。
「――ふっ、くくく……っ、あっはっはっはっは!」
その静寂を優雅に、けれど盛大に破ったのは、低く艶やかな笑い声だった。
人だかりを割って現れたのは、女たらしで有名な第三王子エドワード殿下だ。彼は目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら私の近くまでやってくると、腰が抜けかけている私を面白そうに眺めた。
「おいおいアレクシス、お前というやつは……。そこまで筋金入りの『堅物』を極めてどうするつもりだい?」
「あ、アレクシス様……?」
兄の笑い声に呼び寄せられたのか、挨拶を終えたばかりのアレクシス様が戻ってきた。大広間のただならぬ気配に、彼は不審そうに眉を寄せる。
「……随分と、俺のいない間に騒がしかったようだな。ルーク、空調を……」
「空調なんて今はどうでもいいんだよ、可愛い弟君?」
エドワード殿下がアレクシス様の肩を親しげに、けれど容赦なく叩く。
「お前、あれだけ狂ったように工房に引きこもって、木屑まみれになって保育園を作ったんだろう? なのに潜入した時も、正体を明かしたあとも、愛しの婚約者に『あの遊具を作ったのは俺だ』って一言も言わなかったのかい? 自分の手柄をひけらかすのは不誠実だとでも? いやはや、見事なまでの『恋愛弱者』っぷりだね。宝の持ち腐れにも程があるよ」
「……なぜそんなことを言う必要がある。俺は職人として当たり前の仕事をしたまでで、恩を売るような真似は……」
「そういうとこだよ。その無駄にストイックな『職人根性』が、恋においては致命的な失策だって気づかないのかい?」
エドワード殿下は大袈裟に両手を広げ、やれやれと肩をすくめてみせた。
「リリアーナ先生は子どもが大好きだろう? だったら普通はさ、『これは子どもたちのために俺が作ったんだ、凄いだろ?』って、その自慢の顔と特技をフル活用して一気に口説き落とすものだよ。それをお前ときたら……」
エドワード殿下は、あやすように首を左右に振った。
「一発でなびくチャンスを自らお蔵入りさせて、あろうことか正体を隠して同じ職場の保育士になるなんて。……わざわざ遠回りして下働きに行くとはね。君は本当に、最高の素材を台無しにする天才だよ」
「……っ、ぐ……っ」
図星を突かれたアレクシス様は、致命傷を負ったように言葉に詰まり、ワナワナと震えている。
「ちょっと、エドワード様!」
そこへ、ふんわりとしたおっとりした声が響いた。
第三王子エドワード殿下の婚約者である伯爵令嬢のロザリー様だ。
「笑いすぎです! お祝いの席でそんなにはしたない笑い方をしてはいけません! 『めっ』、ですよ!」
「おっと……悪かったね、ロザリー」
まるで保育士の私のように、腰に手を当てて嗜めるロザリー様の迫力に、余裕たっぷりだったエドワード殿下が苦笑いして引き下がる。
その横では、騒ぎの元凶だったイザベラ王女が、王宮中を敵に回した恐怖で顔面を蒼白にし、逃げるように大広間から走り去っていくところだった。
「……これは申し訳ないことをいたしました、アレクシス殿下。よもやご自身から一言も仰っていないとは思いもよらず」
うっかり秘密を暴露してしまった宰相閣下が、コホンと静かに咳払いをして深く頭を下げた。
――『考えもしなかった』と。
あんなに冷徹無比と言われているのに、エドワード殿下の言う通り、自分の顔の良さも特技の凄さも、恋愛にはまったく活用できていないのだ。
思えば、以前の王宮内の散歩デートで彼が国の建築に関わっている凄腕の設計者だとは知っていたけれど、まさか『私が赴任したあの保育園の遊具を作った張本人』だとは、いまだに一言も知らされていなかった。彼にとってはそれが「当たり前の仕事」すぎて、わざわざ私に自慢してアピールするという発想すらなかったのだろう。
(確かに、エドワード殿下の言う通り。もしあの時、「この遊具、俺が作ったんだ」なんてドヤ顔で言われていたら……私の心はあっさりと陥落していたかもしれない)
あんなに小さな「メンダコちゃんの木彫り」は耳を赤くしてプレゼントしてくれたくせに。どうしてこんなスケールが大きすぎる愛情表現に限って、愚直なまでに隠し通そうとしてしまうのか。
ふと、私の脳裏に以前の『お遊戯会』での光景がよぎった。
何事にも全力すぎるアレク先生が、子どもたちのためにと本気を出しすぎて作り上げてしまった、あの凄まじいクオリティの巨大要塞――。あの時も彼は、自分の才能をひけらかすどころか、子どもたちが安全に遊べるようにと、ただひたすらに裏方として実直な職人魂を燃やしていた。
エドワード殿下が言うような、スマートに計算して気を引くような真似なんてできるはずがない。彼はいつだって、ただ私と同じ目線に立ち、飾り気のない本心で真っ直ぐに向き合ってくれたのだ。
なんて不器用で、なんて一生懸命で――なんて愛おしい人なんだろう。
私が熱を帯びた瞳で見上げていると、アレクシス様は茹で上がったように顔を真っ赤にしたまま、バッと腕を組んでプイッとそっぽを向いた。
「……フン。だが、兄上のように姑息な手を使わなくても、リリアーナは俺に落ちた。……だから結果的に、俺の勝ちだ!」
必死に威厳を保とうとしているその耳の先まで、恥ずかしさで真っ赤に染まっている。
もはや恐ろしい氷の王子の面影はどこにもなく、ただ不器用に強がるだけの、恋に一生懸命な青年にしか見えなかった。
「ふふっ……あの冷酷無比と恐れられた『氷の王子』が、あんなにも可愛らしいお顔をなさるなんて」
その様子を見ていたベネット侯爵夫人が、扇子で口元を隠しながら楽しげに囁いた。すると、隣にいた伯爵夫人たちもくすくすと笑い声を漏らしながら深く頷く。
「ええ、本当に。リリアーナ先生の溢れる愛情と『教育』は、子どもたちだけでなく……殿下の凍てついたお心まですっかり温かく、立派に育て上げてしまったようですわね」
「違いありませんな。さすがは、我らが誇る最高の先生だ」
保護者たちのその言葉に、私は思わず顔を熱くして俯いた。アレクシス様は「お前たち、聞こえているぞ!」と凄もうとしたが、その声にもかつてのような冷たい威圧感は欠片もなかった。
周囲の保護者たちや宰相閣下までもが、なんとも言えない生温かく慈しむような視線で彼を見守っている。大広間は、逃げ出した王女のことなど誰もが忘れ、どこか平和で甘い空気に包まれていた。




