第43話:最強の「味方」
吐く息が白く染まる、本格的な冬の到来。
王宮の大広間は、第一王子レオンハルト殿下とエレノア公爵の盛大な結婚式が開かれ、かつてないほどの熱気に包まれていた。
シャンパンゴールドの豪奢なドレスに身を包んだ私は、アレクシス様に完璧なエスコートをされながら、周囲の若い貴族たちに彼が放つ絶対零度の眼力(ガン飛ばし)を必死になだめていた。
「アレクシス。少しこっちへ来い」
主役であるレオンハルト殿下から声がかかり、アレクシス様は「すぐ戻る。誰にも隙を見せるな」と念を押し、少しだけ私のそばを離れた。
(フラグ建築完了、という音が聞こえた気がした)
彼がいなくなった途端、一人になった私の元に、大勢の貴族たちが押し寄せてきた。
「リリアーナ先生! 実はうちの娘が最近どうしてもニンジンを食べなくて……」
「お片付けを何度言っても聞かなくて、どうしたらいいでしょう!?」
殺到したのは、保育園に子どもを預けている貴族のパパとママたちだった。私は笑顔で『青空子育て相談会』を開始し、一人ひとりにアドバイスを送る。
「……ちょっと。なんなの、この泥臭い集まりは」
その和やかな空気を、冷ややかな声が切り裂いた。
現れたのは、派手なドレスを纏い、きつい香水を漂わせた隣国の王女、イザベラ様だった。
「下級貴族の、しかも泥にまみれた保育士なんていう卑しい仕事をしている女が、アレクシス殿下の隣に立つなんて。身の程をわきまえなさいな。そんな下らない育児の話、この高貴な場には相応しくなくてよ」
扇子で口元を隠し、蔑むように見下してくるイザベラ様。
(言い返したい……!)と、前世の保育士としてのプライドが疼いたけれど、私はギュッとドレスの裾を握りしめて俯いた。ここは爵位に関係なくみんな仲良くの保育園でもない、第一王子の祝いの席で騒ぎを起こし大ごとになれば、取り返しがつかない。ただでさえ「下級貴族」と陰口を叩かれている私が、これくらいの悪意は黙って耐えなければならないのだ。
「……不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
私が身分差を弁えて静かに頭を下げた、その瞬間だった。
パァンッ!!
耳を劈くような扇子の音が、大広間の一角に響き渡った。
「……聞き捨てなりませんわね。王女様、今、私たちの『大切な子どもたちの学び舎』と、我が恩人を泥臭いと仰いましたか?」
すっと前に進み出て、イザベラ様を射抜くような鋭い視線で睨みつけたのは――かつて私を没落令嬢と見下し、潰そうと乗り込んできた、ベネット侯爵夫人だった。
「ベ、ベネット侯爵夫人……?」
「わたくしも以前は、貴女のように身分ばかりを気にする愚かな女でしたわ。ですがリリアーナ先生は、親の顔色など一切気にせず、ただ純粋に『子どもたちの健やかな成長』だけを考えて、わたくしたち親に真の愛情と教育を教えてくださった。この方の教えのおかげで、娘のエマがどれほど笑顔を取り戻したことか!」
ベネット侯爵夫人の言葉に呼応するように、周囲の貴族たちが次々と壁を作るように私の前に立ち塞がった。驚くべきことに、そこには下位の騎士爵から高位の公爵まで、身分も派閥もまったく違う親たちが入り乱れていた。
「そうだ! 先生はどんな子にも真正面から向き合い、溢れるほどの愛情を注いでくださる。うちの癇癪持ちだった息子も、先生のおかげでお友達を思いやれるようになったんだ!」
「ええ! 親である我々以上に子どもの可能性を信じ、全身全霊で導いてくださる先生の仕事を卑しいと? それは我々への侮辱と受け取ってよろしいのかな!」
爵位も建前も関係なく、ただ『我が子の成長を喜ぶ親』として完全に団結した保護者たち。
それは、リリアーナが日々の仕事に全力で取り組み、一人ひとりに愛情深く向き合い続けたことで築き上げた、どんな権力にも屈しない最強の「味方」だった。
「えっ……? な、何を……」
予想外の反撃と、会場にいる貴族たちの怒りの包囲網にたじろぎながらも、イザベラ様は顔を真っ赤にして、さらに保育園そのものを侮辱し始めた。
「事実でしょう!? あんな木屑の匂いがするような安っぽい園舎と、泥だらけの庭! 王室の敷地内にあるのが信じられないくらい、粗末な作りじゃないの! あんな場所、豚小屋と大差ないわ!」
――豚小屋。
その決定的な侮辱に、保護者たちが激昂しようとした、その時。
「――ほう。あの園舎を『粗末な豚小屋』と断じるその感性。それは我が国全体を敵に回す発言ですな」
重厚な足音と共に、ちびっこ宰相レオくんの父親……本物の宰相閣下が現れた。王宮のトップ権力者の登場に、周囲が静まり返る。
「さ、宰相閣下……っ!」
「イザベラ王女。貴女は、あの保育園がなぜ王宮内に新設されたかご存知ないようだ。あれは元々、王宮で昼夜問わず働く文官や近衛騎士たちが『少しでも近くで、安心して子どもを預けられる場所が欲しい』と切実に上げた要望に対し、王族と我々上層部が総出で企画し、認可したものなのです」
「え……っ」
「つまり、あの学び舎を愚弄するということは、リリアーナ先生への侮辱にとどまらない。この王宮を支えるすべての文官、騎士、そして我々上層部の切なる願いと忠誠を、泥足で踏みにじる行為にほかならないのですよ」
宰相閣下の峻烈な宣告に合わせるように、会場の警備に当たっていた騎士たちや、周囲にいた文官たちが、一斉に鋭く険しい視線をイザベラ様へと向けた。その場に満ちた静かな怒りの圧力に、イザベラ様の顔からスッと血の気が引いていく。
「それに、もう一つ。貴女は致命的な勘違いをしている」
宰相閣下は、さらにトドメを刺すように一歩距離を詰めた。
「子どもたちが怪我をしないようにミリ単位で角が削られ、衝撃耐性まで計算し尽くされた家具や遊具の数々……。あれをすべて設計し、自らの手で木を削って作り上げたのは、どこの誰だと思っているのですか」
「……えっ?」
宰相閣下の言葉に、イザベラ様だけでなく、私もポカンと息を呑んだ。
「あの保育園は、第七王子アレクシス殿下ご自身が、子どもたちのために心血を注いで作り上げた『最高傑作』ですよ。それを豚小屋と呼ぶとは……殿下への、ひいては我が王室への重大な冒涜ですな」
(――嘘、でしょう?)
頭の中で、激しい雷が落ちたような衝撃が走った。
開園したばかりの頃。私が「作った職人さん、子どもたちのことを一生懸命考えてくれた天才だわ!」と大絶賛した、あの優しさに満ちた滑り台も、椅子も。
全部……アレクシス様が、ご自身の手で作ったものだったの!?
「あ、アレクシス殿下が……そんな、泥臭い大工仕事なんて……っ」
完全に四面楚歌となり、真っ青になって震えるイザベラ様を他所に、私はあまりの衝撃に足の力が抜け、その場にへたり込みそうになった。
「う、嘘でしょ……!? あの、滑り台も、椅子も全部……殿下が……?」
愕然として呟いた私に、宰相閣下が「おや?」と不思議そうに眉を寄せた。
「……リリアーナ先生。まさか、ご存知なかったのですか? 貴女が『天才職人だ』と褒めてくださったと、殿下はそれはもう誇らしげになさっていましたが……」




