第36話:キラキラ王子様アンコール
王宮でのあのお茶会から馬車で直行。
16時過ぎの保育園は、人影もなく静まり返っている。
本来なら休園日だが、来週末に迫った「秋の運動会」の準備が絶望的に終わっていないのだ。私とアレクシス様は、二人きりで万国旗を張り、入場門の装飾に追われていた。
「……よし、これで反対側の支柱も固定した。リリアーナ、ロープを引け」
軍隊仕込みの手際の良さで杭を打ち込むアレクシス様。でも、その横顔はさっきからずっと不機嫌なままだ。
そりゃそうよね。レオンハルト殿下に「形無し」なんて言われ、エドワード殿下には「尻に敷かれてる」って爆笑されたんだもの。プライドの高い彼には、相当シャクに触っているはずだ。
「アレクシス様……まだ、お兄様方の言葉、気にしてるんですか?」
「……兄上たちに、随分と好き勝手言われたからな。俺ばかりがお前に手懐けられているようで、実に不快だ」
杭を打つ手を止め、彼は一歩、また一歩と私に詰め寄る。
逃げる間もなく背後の支柱にドン!と腕をつかれ、私は彼の腕の中に閉じ込められた。
「……ッ、アレクシス様!?」
「今から俺が、お前を形無しにさせてやる。……覚悟しろ」
至近距離で見つめてくるサファイアの瞳。
そこには、かつて王立図書館のロマンス小説を読み耽って特訓した、あの『キラキラ王子様スタイル』が、彼本来の強引な色気と混ざり合って完成形で宿っていた。
彼はとろけるような眼差しで、私の髪を一房、指先で愛おしそうになぞりながら囁いた。
「……ふっ、俺の可愛いリリアーナ。陽だまりを溶かしたようなこの金の髪も、海のように温かく俺を包み込むブルーの瞳も……。透き通るような白い肌に、愛嬌あふれる愛らしい顔も、抱き心地のいい柔らかい肌も……。すべてが、俺の理性を狂わせるほどに素晴らしい」
「あ、アレクシス様……っ」
「……このピンク色の唇から、俺以外の名を呼ばせない方法を、君は知っているかな? 俺の『誠実さ』と『余裕』の前に、君の心も……その、白旗を上げているんじゃないかな?」
低く、甘く、鼓膜を直接愛撫するような完璧な王子様スマイル。
いつもは「氷の王子様」な彼が、物語の騎士様のように優雅に、けれど執拗に私のすべてを褒めちぎって口説きにかかってくる。
(――……っ、待って、何これ。以前の『付け焼き刃』の時とは比べものにならない……! 破壊力が天元突破してて、心臓が持たない……無理……っ!)
私は顔面が爆発しそうなほど赤くなり、言葉も出ないまま、あの時と同じようにうっとりと彼を見上げて完全に固まってしまった。
すると、私のその「マジで落ちた」反応を間近で見たアレクシス様が、今度は急に余裕をなくしたように「ッ……!」と耳まで真っ赤にさせた。
「お、お前な……! そんな顔をするな!! こっちが照れるじゃねーか!」
せっかくの王子様モードも一瞬で霧散。いつもの不器用で照れ屋なアレクシス様に逆戻りだ。
彼は気まずそうに顔を逸らし、でも私の肩を掴む手にはギュッと力がこもっている。
「……いいか、よく聞け。もし他の男に、特にエドワード兄上のような浮ついた奴に口説かれそうになったら、一秒以内に逃げろ。その後、必ず俺に報告しろ。分かったな」
「は、はい……」
「お前は本当に、誰かれ構わず愛想を振り撒いて! 貴族令嬢としての自覚が足りないというか、全く隙だらけなんだ!!あんな男たちに囲まれて楽しそうに笑いおって。……俺がどれほど気が気でないか、少しは自覚しろ!」
ぶつぶつと文句を言いながら、彼は私の首筋に顔を埋め、深く、重い溜息を吐き出した。
独占欲の塊みたいな言葉。でも、その耳まで真っ赤な様子が可笑しくて、愛おしくて、私は先ほどまでの「うっとり」が、柔らかな幸せに変わっていくのを感じる。
「……アレクシス様。以前より腕を上げましたね。私、本当にもうメロメロです」
「だ、黙れ。二度と言わん。……さっさと準備を終わらせるぞ。今度会っても『尻に敷かれてる』だなんて絶対に言わせないからな」
そう言って、耳まで真っ赤にしたまま背を向け、逃げるように万国旗のロープの結び目を直し始めるアレクシス様。
けれど、一度あんな極上の甘い劇薬を浴びせられて、素直に「はいそうですか」と引き下がれるはずがない。
「ええーっ! ずるいです、アレクシス様! もう一回! もう一回だけやってください!」
「ば、バカッ! 今『二度と言わん』と言ったばかりだろうが!」
私が彼を追いかけてクマのアップリケがついたエプロンの裾をキュッと掴むと、アレクシス様はビクッと肩を揺らして振り返った。
「そこをなんとか! すっごく、すっごくかっこよかったんです! 私、もう完全に白旗上がっちゃってるので、もう一回トドメを刺してください!」
「お前! 恥じらいというものがないのか!? 自分で言っていて恥ずかしくないのか!」
「だってアレクシス様がカッコよすぎるのがいけないんです! ほら、さっきみたいに壁ドンして、私の髪に触れながら甘い声で……っ、お願いします、私の王子様!」
私が両手で彼のエプロンを握りしめ、上目遣いでキラキラと期待の眼差しを向けて迫り寄ると、アレクシス様は「ヒッ」と短く息を呑んで後ずさる。
完全に形勢逆転だ。
「こ、こっちへ来るな! その、やたらと期待に満ちた熱い目で俺を見るな! 心臓が破裂するだろうが!」
「ええー! ケチです! アレク先生のケチ! あんなに私をメロメロにしておいて、放置するなんてひどいです!」
「放置などしていないだろう! だから離れろ、これ以上お前にそんな顔で迫られたら、俺は……ッ!」
ジリジリと後ずさるアレクシス様と、グイグイと迫る私。
ついには園庭の隅にある百葉箱の前に追い詰められ、背中をドンとぶつけた彼を見て、今度は私から距離を詰めた。
「ほら、逃げ場はないですよ? さあ、私をもう一度うっとりさせてみてください!」
「…………ッ、ああもう! 分かった! 俺の負けだ、完全に俺の負けだから!!」
ついに限界を迎えたアレクシス様は、自暴自棄になったように叫ぶと、私の腕を引いて自分の胸の中にガッチリと閉じ込めた。
「えっ」
「……頼むから、これ以上俺をからかうな。お前にそんな風に真っ直ぐ求められたら、俺の方がどうにかなってしまいそうなんだ……」
頭の上から降ってきたのは、王子様の甘い声ではなく、切羽詰まったような、ひどく掠れた本音の声。
ギュッと抱きしめられた腕の力強さと、胸越しに伝わってくる彼の心臓の音が、とんでもない早鐘を打っているのが分かる。
(あ、あれ……? これ、私がからかってたはずなのに……結局、私がドキドキさせられてる……?)
「ふふ。アレクシス様、顔、すっごく熱いですよ」
「……誰のせいだと思っている」
百葉箱の影。夕闇に包まれた無人の園庭で、彼は私を誰の目にも触れさせないように、大きな体で包み込んで離してくれない。
結局、兄上たちの前で宣言した「尻に敷かれていない」照明はできず。
私は彼の胸の中で、この不器用で可愛すぎる『大きな子ども』を、一生かけてよしよししていこうと、改めて幸せを噛み締めるのだった。




