第35話:氷の王子の融点 ~孤独なDIY男子は、太陽の保育士に一目惚れする~
第七王子、アレクシス・フォン・グランツの人生は、常に「誤解」と「孤独」と共にあった。
艶やかな銀糸の髪に、切れ長でサファイアの瞳。誰もが振り返る美貌を持って生まれた彼だが、王位継承権は絶望的に低く、権力闘争とは無縁の場所で放置されるように育った。
しがらみがないのは気楽だったが、その弊害として、彼は極度の「人見知り」に育ってしまった。
そんな彼の唯一の心の拠り所は、「工作」だった。
木を切り出し、カンナをかけ、図面を引き、家具や小物を組み立てる。木は裏切らない。計算通りの美しさと温もりを返してくれる。
しかし、成長して美貌に磨きがかかると、彼を利用しようとする打算的な令嬢たちがこぞって群がってきた。
恋愛偏差値がゼロのアレクシスは、純粋に自分の「本当の姿」を知ってもらおうと、丹精込めて作った木彫りの小物や図面を彼女たちに見せた。
『まあ……殿下自ら、そのような泥臭い職人のような真似事を?』
『第七王子ともあろうお方が、木屑まみれだなんて。ふふっ、ご冗談を』
扇子の向こうで、クスクスと嘲笑う女たち。
彼女たちが見ているのは「王族という肩書き」と「顔」だけ。彼自身のことなど誰も見てはいなかった。
深く傷ついたアレクシスは、それ以来、心を固く閉ざし、周囲を氷のような態度で威圧するようになった。
ある夜会でのことだ。
国内でも有数の権力を持つ侯爵家の令嬢が、アレクシスに色目を使いながらすり寄ってきた。
「アレクシス殿下。殿下は木を弄るのがお好きだとか? 珍しいご趣味ですけれど……殿下のような美しい方には、もっと高雅な芸術や、わたくしとの語らいの方がお似合いですわ」
取り入ろうとする見え透いたお世辞と、彼の大切な趣味を「泥臭いもの」と見下す傲慢さ。
アレクシスはサファイアの瞳をスゥッと細め、絶対零度の声で言い放った。
「……俺の趣味に口出しする権限が、お前にあるとでも?」
「えっ……で、殿下……?」
「着飾ったドレスと化粧で誤魔化しているようだが、お前のその頭の中は、腐った木材よりも中身がない。……俺の視界を塞ぐな。目障りだ」
ピシャリと一刀両断された令嬢は、あまりの恐ろしさと冷酷さにその場で泣き崩れた。
またある時は、擦り寄ってきた他国の王女に対して「お前の香水は、木々の香りを殺す。息を止めてから出直してこい」と言い放ち、外交問題スレスレの騒ぎになったこともある。
誰も寄せ付けず、打算で近づく者を容赦なく切り捨てる姿から、いつしか彼は王宮内で「近寄りがたい氷の王子」「氷の刃」として恐れられるようになっていた。
(本人はただ、放っておいて工房に引きこもりたいだけなのだが)
* * *
そんな彼の極端な女性嫌いと引きこもりぶりを、周囲の兄たちは放っておかなかった。
「アレクシス。お前、また夜会で令嬢を泣かせたそうじゃないか。おまけに他国の王女にまで『息を止めて出直せ』だなんて……相変わらず容赦がないねえ」
王宮の談話室。ソファーで優雅に茶を飲みながらニヤニヤとからかってきたのは、女たらしで有名な第三王子、エドワードだった。
彼の言葉に、同席していた他の上位の王子たちもクスクスと笑い声を上げる。
「まったくだ。20歳にもなって色恋の一つもないなんて。お前、毎晩工房に引きこもってばかりで……将来は『木彫りの人形』と結婚する気か?」
「……木彫りの人形の方が、兄上たちの周りにいる打算的な女たちより百倍マシです。俺の顔と肩書きしか見ていない薄っぺらい輩と、語り合うことなどありません」
アレクシスが不機嫌そうに吐き捨てると、エドワードは「うわぁ、こじらせてる」とわざとらしく肩をすくめた。
「……そこまでにしておけ、お前たち」
凛とした、しかし重みのある低い声が響き、談話室の空気がピリリと引き締まる。
声の主は、王位継承権第一位である第一王子レオンハルトだった。
誰に対しても傲岸不遜なアレクシスが、唯一心から尊敬し、絶対に頭の上がらない優秀な長兄である。アレクシスは反射的に背筋を伸ばした。
「レオンハルト兄上……」
「アレクシス。エドワードたちのからかいはともかく、私もお前のことは心底心配しているのだ。誰にでも冷たく当たる『氷の刃』のままでは、いつかお前自身の心まで凍り付いてしまうぞ」
レオンハルトは深い憂いを帯びた瞳で末の弟を見つめると、一枚の企画書を机に置いた。
「……というわけで。血も涙もないお前には、少し『温もり』を学ぶ情操教育が必要だ。ある役目をお前に任せることにした」
「役目、ですか……?」
尊敬する兄の頼みとあらば、無下にはできない。アレクシスが訝しげに企画書を手に取ると、レオンハルトは静かに告げた。
「王宮の敷地内に、貴族専用の保育園を新設する。お前、そこの設立責任者をやれ」
「……は? なぜ俺が。子どもなど、うるさくて面倒なだけだろうが」
「文句を言うな。その代わり、園舎の内装設計や、遊具・家具の製作はすべてお前の好きにやっていいから」
「……!!」
その一言で、アレクシスの中の『建築魂』に猛烈な火がついた。
彼は直ちに御用達の家具職人と建築業者を呼び寄せ、保育園の建設に取り掛かった。……が、ここでも彼の「氷の刃」が猛威を振るうことになる。
「……なんだ、これは」
納品された幼児用の木製チェアを撫でたアレクシスは、地を這うような低い声で呟いた。
「は、はい! 最高級のオーク材を使用し、王室の紋章をあしらった特注品でございます!」
「俺が聞いているのはそんな表面上のことではない。……ここを触ってみろ」
アレクシスが指差したのは、椅子の背もたれの裏側だった。
「面取り(角を丸く削る作業)が甘い。わずかにささくれが残っている。それに、重心の計算も狂っているな。子どもが立ち上がろうと体重をかければ、後ろに倒れる危険性がある」
「そ、それは……! しかし、納期に間に合わせるためには、多少の……」
言い訳をしようとした業者の目の前で。
アレクシスは片手でその高級チェアの脚を掴むと、躊躇いもなく床に叩きつけ、バキィッ!!と粉砕した。
「ひいっ!?」
「納期だと? この程度の粗悪品を、これからこの国を背負う子どもたちに使わせるつもりだったのか。万が一怪我でもしたらどう責任を取る。……貴様らのような三流に任せた俺が間違いだった」
恐怖で震え上がる業者と役人たちを冷酷に一瞥すると、アレクシスは言い放った。
「お前たちは全員クビだ。……内装の造作も、家具も遊具も、すべてこの俺が作る」
それからの数ヶ月間、彼は公務の合間を縫っては王宮の工房に引きこもった。
幼児の身体測定データをかき集め、転んでも怪我をしないよう家具の角を極限まで丸く削り、温かみのある無垢材を使って、小さな椅子や本棚、安全な滑り台を狂ったような情熱で作り上げた。
(フン。俺の完璧な設計と職人技……。子どもどもには勿体ないほどの出来栄えだ)
そして迎えた、開園から数日後のこと。
自分の作った遊具や家具が「正しく使われているか」気になって仕方がなかったアレクシスは、側近のルークを連れ、渡り廊下からこっそりと保育園の庭を覗き見していた。
そこで彼は、一人の少女を見つけた。
「……なんだ、あの女は」
ブロンドの髪を一つに束ねた、若い保育士。彼女の青い瞳が太陽の光を反射して優しく輝いている。
貴族の令嬢であるはずなのに粗末なエプロンを着て、彼女は泥だらけになることも厭わず、太陽のような笑顔で子どもたちと駆け回っていた。着飾った令嬢しか見たことのないアレクシスにとって、それはあまりにも異質な光景だった。
その時、彼女――リリアーナが、アレクシスの作った「木製の滑り台」を優しく撫でながら、同僚の保育士と話しているのが聞こえてきた。読唇術と、風に乗って微かに届く声。
『これ、本当に素晴らしいわね!』
アレクシスの肩が、ビクッと跳ねた。
『どんなに子どもがぶつかっても痛くないように、角が全部丸く削られてる。木の温もりが生きていて、高さも絶妙。……これを作った職人さん、すごく優しくて、子どもたちのことを一生懸命考えてくれたんだわ。天才よ!』
ドックン、と。
アレクシスの心臓が、かつてないほどの激しさで跳ね上がった。
(……天才。優しくて、子どもたちのことを考えてくれた……!?)
打算など一切ない、無邪気で心からの大絶賛。
夜会で嘲笑われた趣味。業者を震え上がらせてまでこだわった安全性。
誰も見向きもしなかった自分の「本当の仕事」の価値を、彼女だけが完全に理解し、真っ直ぐに褒め称えてくれたのだ。
長年、アレクシスの心を覆っていた「分厚い氷」が、音を立てて融け落ちた瞬間だった。
『さあみんな、お花畑を作ろうか!』
柔らかな春の陽差しの中、花冠を作りながら天使のような子どもたちに囲まれ、優しく微笑む彼女。
(なっ……なんだあの輝きは。め、女神だ……!)
冷徹無慈悲な氷の王子が、人生で初めて「恋」に落ちた瞬間だった。
これが「初恋」だと自覚できない不器用なアレクシスは、それから毎日、日課の剣術稽古を抜け出しては、無意識に彼女の姿を見に行くようになってしまった。
そして――数日後。
「あの女……今日もあんな無防備に笑って……。貴族の令嬢のくせに、泥だらけになってはしたない」
「はあ。そう仰るなら、見なければよろしいのでは?」
「ば、馬鹿を言え! 視察だ、視察!」
心臓の鼓動を隠すようにルークに悪態をついていたアレクシスだったが、彼の視界にとんでもない光景が飛び込んできた。
生意気な小僧が、リリアーナにシロツメクサを差し出し、プロポーズしたのだ。
『ふふっ、ありがとうレオくん。楽しみに待ってるわね』
嬉しそうに微笑むリリアーナを見た瞬間。
ピキッ、と。アレクシスの中で、強烈な独占欲の線が焼き切れた。
「……おい、ルーク」
「は、はい。今度はなんでしょうか」
「俺は決めた。あの保育園で働く」
「…………はい?」
もはや王族の体面も「氷の刃」のプライドも何もない。
俺の家具を理解し、俺の心を奪ったあの女神を、あんな鼻垂れ小僧どもから守らなければならない。
「身分を偽装しろ。俺は明日から、あの『リリアーナ』とやらの後輩になる。新人保育士として潜入するんだ!!」
こうして、恋愛偏差値ゼロの氷の王子による、職権乱用と前代未聞の暴走が幕を開けたのだった――。
アレクシスの過去話やっと書けました。
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