第32話:あいつが保育園で『クマのアップリケ』つけてるって本当?
庭園の入り口から、相変わらず宝石のようなキラキラとしたオーラを放つ男性が二人、歩いてきたのは、エドワード第三殿下と、そしてレオンハルト第一殿下だ。
「リリアーナ先生! 相変わらず可愛いね。うちの不出来な弟を待たされてるの? 僕が代わりにエスコートしようか?」
エドワード殿下がウインクを飛ばしながら私に顔を近づけてきた。
私はスッと一歩下がり、人差し指を立ててビシッと言い放った。
「エドワード殿下、お疲れ様です! でもダメですよ、ロザリー様という素敵な婚約者がいらっしゃるのに他の女性を口説くなんて! いけません!!」
勢いよく言い放った直後、私はハッと我に返った。
(し、しまったぁぁっ!? 私ったら、また無意識に保育園の先生のトーンで怒っちゃった……! 相手は王族なのに!!)
「あっ、い、いえっ! 申し訳ございません! 今のはその、つい園児を叱る時の癖が……っ! 大変失礼いたしました、エドワード殿下ぁ!」
私は顔から火が出るほど真っ赤になり、慌ててペコペコと何度も頭を下げた。不敬罪で牢屋行きかもしれないと冷や汗が吹き出す。
しかし、エドワード殿下は怒るどころか、目を丸くした後に堪えきれないように噴き出した。
「おっと。あははっ! いいよいいよ、謝らないで! いや〜、リリアーナ先生はいつも面白いね」
私の『保育士モード』からの大パニックに、エドワード殿下はすっかり毒気を抜かれたように笑い、大人しくロザリー様の隣に座った。ロザリー様もクスクスとホッとしたように微笑んでいる。
そのやり取りを見ていたレオンハルト殿下が、深く頷いた。
「……見事だ。この自由奔放なエドワードを、たった一言で大人しくさせるとは。リリアーナ嬢、君は王宮の空気を明るくするだけでなく、猛獣を手懐ける才もあるらしい」
レオンハルト殿下の言葉に、私はサーッと全身の血の気が引いていくのを感じた。
(ど、どうしよう……! 次期国王陛下の前で、第三殿下を叱りつけてしまった……! 不敬罪……打ち首……!?)
「あ、あの……っ、そ、それは……っ」
弁解しようにも極度の焦りと申し訳なさで声が震え、背中から滝のような冷や汗がドッと吹き出す。完全に言葉を失い、パクパクと口を開閉させることしかできない私を見て、ロザリー様とエレノア様がすかさず助け舟を出してくれた。
「もう、エドワード殿下。リリアーナ様をあのようにからかうから、思わずお仕事の癖が出てしまわれたのですよ」
「私を思って、エドワード殿下に叱ってくれてありがとう。私もリリアーナ様を見習って手綱を厳しく握っていかねばなりませんね!」
「え、え!ちょっとロザリー!!!!!」
ロザリー様がクスリと笑いながらエドワード殿下をたしなめると、エレノア様も優雅に扇を広げてレオンハルト殿下へ微笑みかけた。
「ええ、本当に。グランツ王国の王子殿下は皆様、少々やんちゃが過ぎますわね。リリアーナ様のように愛のある『お叱り』ができる存在は、王宮にも必要かもしれませんわ」
「ふっ……ははは! 違いない。エドワードも、少しは彼女に叱られて落ち着くことだな」
お二人の完璧なフォローのおかげで、超絶真面目なレオンハルト殿下までもが堪えきれないように声を出して笑った。
「ええーっ、レオン兄上もロザリーも酷いなぁ!」
エドワード殿下がわざとらしく唇を尖らせるのを見て、私はヘナヘナと安堵の息を吐き出した。お二人の優しさに、心の中で(一生ついていきます、お姉様方……!)と深く拝む。
エレノア様は、レオンハルト殿下に紅茶を勧めながら優しく微笑んだ。
「本当に、リリアーナ様は私たちの救世主ですわ。レオンハルト殿下も、少しお仕事のお休みが必要なのではなくて?」
「そうだな。君が淹れてくれる茶は、やはり格別だ」
完璧な第一王子カップルの甘い雰囲気に、私は少しホッとして肩の力を抜いた。
こうして五人で和やかにテーブルを囲んでいると、雲の上の存在だと思っていた王族の方々も、温かくて普通の家族なのだと実感できる。
「それにしても、アレクシス遅いねぇ」
エドワード殿下が、面白そうにマカロンをつまみながら言った。
「あいつ、帰還報告の後も俺の執務をいくつか手伝うと言って聞かなくてな。優秀な弟がいて助かるが……まさか、婚約者をこんなに待たせているとは思わなかった。すまないな、リリアーナ先生」
「い、いえ! アレクシス様はお仕事が大好きですし、私もこうして皆様とお話しできて楽しいですから」
「健気だなぁ。……ねぇリリアーナ先生、あいつが保育園で『クマのアップリケ』つけてるって本当? さっきチラッと聞こえちゃったんだけど」
エドワード殿下が、目をキラキラさせて身を乗り出してきた。エレノア様もロザリー様も、待ってましたとばかりに耳を傾けている。
「あ、はい……。私がエプロンに縫い付けた物なんですけど。最初は渋い顔をしていたんですが、子どもたちが喜ぶので、今ではすっかり……」
「――誰が、すっかり何だって?」
その瞬間、地獄の底から響くような低い声が、庭園の空気を一瞬で凍りつかせた。
入り口に立っていたのは、公務を通常の半分の時間で終わらせたらしい、肩で息をするアレクシス様だった。
「……レオンハルト兄上。ご機嫌麗しゅう。まさか兄上までこちらにいらっしゃるとは」
「公務の合間の息抜きだ。アレクシスも大儀だったな」
レオンハルト殿下の労いの言葉に「はっ」と恭しく応えるアレクシス様。しかし、その隣でニヤニヤとマカロンを頬張るエドワード殿下に視線を移した途端、分かりやすく眉間に深い皺を寄せた。
「……で。エドワード兄上は、俺の婚約者のそばで一体何をしているんですか。気安く話しかけないでいただきたい」
「おや、冷たいなぁ。遅いから僕がリリアーナ先生の相手をしてあげてたんだよ? 感謝してほしいくらいさ」
「兄上が絡むとろくなことにならない。……リリアーナ、こっちへ来い」
エドワード殿下のからかいにペースを乱されまいと、アレクシス様はズカズカと歩み寄り、私を背後からガッチリとホールドして自分の陣地に収めた。
「アレクシス、エドワードをそう睨むな。私たちはただ、彼女の『空気を和ませる手腕』に感心していただけだ」
絶対に尊敬している長兄からの、愛する婚約者への純粋な称賛。それを聞いた途端、アレクシス様の瞳に「俺の女、すごいだろ」という強烈な自慢欲が宿ったのが分かった。
(あ、また始まった……!)
「光栄です、レオンハルト兄上。ですが兄上たちはまだ、彼女の真の恐ろしさを分かっていない!」
急に自信満々に胸を張り、演説でも始めるかのような勢いの彼に、私は慌ててその腕をペチリと叩いた。
「リリアーナは暴れ回る園児を完璧に統率するだけでなく、あの自由奔放なエドワード兄上すら、ただの『手のかかる園児』と同類! 彼女の『よしよし』の魔術と包容力の前では、王族すらも無力化されるのです! これぞ、我が国の未来を照らす真の――」
「そ、そこまでです! お口チャック!!」
私が思わず彼の口を両手でムギュッと塞ぐと、王宮の氷の王子は「ムグッ!?」と情けない声を上げて黙り込んだ。
一瞬の静寂の後。
ガゼボ内には、これまでにないほどの爆笑が渦巻いた。
「……っ、ふふ、あはははは! お口チャックですって! 殿下、本当に形無しですわね!」
「あはは! まさかアレクシスが、こんなにデレデレで尻に敷かれているところを見られるなんて。最高だよ、リリアーナ先生!」
お腹を抱えて笑うロザリー様とエドワード殿下。エレノア様も「……ふふ、本当に仲がよろしいこと」と、楽しそうに目を細めている。
レオンハルト殿下までもが、珍しく声を上げて笑いながら、アレクシス様の肩をポンと叩いた。
「……そうか。アレクシスもリリアーナ嬢の前では形無しだな。いや、お前がこれほど幸せそうなら、兄としてこれ以上の安心はない」
「……兄上まで、茶化さないでください」
私の手から解放されたアレクシス様は、耳まで真っ赤にして顔を逸らしたが、その腕は依然として私を離そうとしない。
むしろ、より一層力を込めて、ギュッと私を抱きしめ直した。
「……行くぞ、リリアーナ。兄上たちに毒される前に、保育園へ帰る」
「あ、ちょっと、アレクシス様! 皆様、失礼いたします……っ!」
照れ隠しで私を抱え上げんばかりの勢いで歩き出すアレクシス様。
背後からは「また明日もお茶会しましょうね!」「お馬さんごっこの話、今度詳しく聞かせてねー!」という楽しげな声が追いかけてくる。
(ああもう、本当に……! 恥ずかしいけれど、でも……)
アレクシス様のトク、トク、と刻まれる早鐘のような鼓動を感じながら、私は「仕方ないなぁ」と心の中で苦笑した。
この不器用で、重すぎるほど愛してくれる私の『大きな子ども』を、これからもずっと、この手で手懐けていこうと、改めて決意したのだった。




