第31話:初めてのお茶会
王宮での甘い朝の余韻も束の間、アレクシスが国王陛下への帰還報告に向かった後、リリアーナの私室に一通の招待状が届いた。
差出人は、第一王子レオンハルト殿下の婚約者であるエレノア公爵令嬢と、第三王子エドワード殿下の婚約者であるロザリー伯爵令嬢。王宮の社交界の頂点に立つ、完璧で美しいお二人からのお茶会のお誘いだった。
「……チッ。レオンハルト兄上の婚約者、エレノア公爵令嬢か。あの隙のない次期王妃が、わざわざ俺の留守を狙ってお前を呼びつけるとはな」
忘れ物を取りに戻ってきたアレクシス様が、その招待状を見るなり眉間によわい皺を寄せた。
「あの人は王宮のパワーバランスを常に計算している。ただの茶会のはずがない。お前が第七王子の婚約者としてふさわしいか、品定めする気に決まっている。……俺もついていく」
「ダメですよ、アレクシス様! あなたはまだ国王陛下からまた呼び出されているって言ってたでしょう! それに、次期王妃様からのお誘いに、あなたが乗り込んだら角が立ちます!」
私が慌てて止めると、アレクシス様は不満げに舌打ちをした。
「……純粋なお前を独りで、あの社交界の頂点たる『女たちの戦場』へ行かせるわけにはいかん。骨の髄までしゃぶられるぞ」
「もう! 先日のパーティーでも、あなたがすぐに連れ出しちゃうから、全然お話しできなかったんですよ。……私だって、王族関係者にお友達が欲しいんです!」
私の「お友達が欲しい」という言葉に、アレクシス様はピタリと動きを止めた。
「確かに王族関係者にリリアーナの同性の味方ができれば」と小さく呟き、少しバツが悪そうに目を伏せる。
「……分かった。お前の社交の邪魔はせん」
彼は私の左手を取ると、薬指の付け根を愛おしそうに親指でなぞり、私の額に優しく口づけを落とした。
「だが、何かあればすぐに俺を呼べ。……それから、あまり保育園の時のような令嬢とは思えない醜態晒すなよ」
「はいはい、分かりましたから。お仕事、頑張ってきてくださいね」
名残惜しそうに振り返りながら執務室へ向かう彼を見送り、私は大きく深呼吸をしてから、お茶会の会場である王宮の庭園へと向かった。
* * *
「よく来てくださったわね、リリアーナ様」
「お待ちしておりましたわ」
美しい薔薇が咲き誇る庭園のガゼボ。そこには、一幅の絵画のように完璧な佇まいのエレノア様と、ふんわりとした癒やしオーラを纏うロザリー様が待っていた。
下級貴族で庶民育ちの私からすれば、お二人は眩しすぎて直視できないほどだ。
(……わぁ、なんて綺麗なお方たちなの……。やっぱり恐れ多いわ……)
私がガチガチに緊張して挨拶をすると、お二人は顔を見合わせてふふっと微笑んだ。
「そんなに緊張なさらないで。……先日のパーティーでは、アレクシス殿下に早急に連れ去られてしまって、もっとお話ししたかったのに残念でしたわ」
「ええ。あの冷徹なアレクシス殿下を射止めた方と聞いて、どんな隙のないお方かと身構えていたのだけれど……。あなたは本当に、愛らしい方なのね」
「いえ、私こそ、お二人がお美しくて……、お気遣いありがとうございます」
身分差で品定めされるかも、という私の不安は完全に杞憂だった。お二人は私を警戒するどころか、飾らない私に好感を持ってくれたようで、温かく歓迎してくれたのだ。
美味しい紅茶をいただきながら和やかに歓談していると、第一王子の婚約者エレノア様が少し不思議そうな顔をして切り出した。
「ところで、リリアーナ様。……先日のパーティーで、アレクシス殿下がレオンハルト殿下に自慢されていた……『暴れ回る三十人の集団を統率する圧倒的な指揮能力』と、『弁当一つでの制圧』……。あれは、一体どういうことなのですか?」
その瞬間、私は飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。
「あ、あれは……! 私の働いている保育園での話なんです!」
「ええ? そんなにお若いのにご自分で働いているの??」
驚いて目を丸くする第三王子の婚約者ロザリー様に、私はビクッと肩を揺らした。
(……ああ、やっぱり。貴族の令嬢が外で労働しているなんて、はしたないって思われるわよね……)
「は、はい……。諸事情があり、自分で働いて生計を立てないといけなくて……。貴族としては恥ずかしいことだと思って、今まであまり言えなかったんですけど……」
私が俯いて消え入るような声で答えると、エレノア様とロザリー様は顔を見合わせた。
そして、信じられないというように、小さく息を呑んだ。
「……恥ずかしいだなんて、何を仰るの。素晴らしいことじゃない!」
「えっ?」
おずおずと顔を上げると、エレノア様が真っ直ぐに私を見つめていた。
「自らの足で立ち、国のために働きに出ているなんて……。王宮という温室で守られているだけの私たちには、到底できないことだわ。とても尊敬するわ、リリアーナ様」
「ええ、本当に! そんなにお若いうちから幼い子どもたちのお世話をするなんて、とても尊くて立派なお仕事ですわ。すごいわ、リリアーナ様!」
嘲笑されるとばかり思っていたのに、お二人の瞳には純粋な称賛と尊敬の光が宿っていた。
その温かい言葉に、張り詰めていた心がほどけ、私は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「あ、ありがとうございます……っ」
私が嬉しさで目を潤ませながらお礼を言うと、お二人は優しく微笑み返してくれた。
そして、エレノア様がふと何かを納得したように、柔らかく目を細めた。
「……なんだか、アレクシス殿下のお気持ちが、少し分かった気がするわ」
「え?」
「ええ、本当に」と、ロザリー様も深く頷いた。
「こんな愛らしいリリアーナ様が、誰にも頼らず、一人で一生懸命に頑張っているのを見たら……あの氷のような殿下でさえ、自分のマントで包み込んで、絶対に守り抜きたいと思ってしまったのね」
「ぎゅっと抱きしめて、健気なリリアーナ様を誰の目にも触れないところに隠しておきたくなる殿下の独占欲……うん、とてもよく分かりますわ」
思いがけない言葉に、私は思わず顔を熱くした。
「そ、そんな……! 私はただ、無我夢中で、毎日を過ごしてきただけで……」
「ふふ。その健気さが、あの不器用な王子の心を溶かしたのよ」
エレノア様は愛おしむように微笑んだ後、コホンと一つ咳払いをして、再び扇を口元に当てた。
「……けれど、その美しい愛の物語と、お兄様への謎の自慢話は別よ。さあ、吐いてちょうだい。『暴れ回る三十人の集団を統率する圧倒的な指揮能力』と、『弁当一つでの制圧』というのは……?」
「三十人の子どもたちが散らかしていたのを、『お片付けの歌』を歌って一緒に片付けただけで……。『弁当での制圧』も、彼が執務室でピリピリされていた時に、手作りのお弁当を差し入れたら空気が和らいだというだけで……」
私が顔から火が出そうな思いで白状すると、一瞬、静まり返った庭園に、淑女にあるまじき盛大な笑い声が響き渡った。
「……くすっ、あはははっ! まぁ、なんてこと! あの冷徹な第七王子が、次期国王のレオンハルト殿下の前で『子どものお片付け』を国家規模の指揮能力として自慢されたの!?」
「あはは、面白いわ……! アレクシス殿下、本当にリリアーナ様の手作りお弁当がお好きなのね……! いつも眉間に皺を寄せたあのアレクシス殿下が!!」
扇で口元を隠しきれずにお腹を抱えて笑うお二人に、私もつられて笑ってしまった。
「アレクシス殿下は、王宮では本当に『氷の刃』のようなお方なのですよ。睨まれただけで震え上がる貴族も少なくありませんわ」とエレノア様が涙目を拭いながら言う。
「保育園でのアレクシス様は、可愛いクマのアップリケがついたエプロン姿で子どもたちに『アレクせんせいー!』って抱きつかれて、困ったような、でも嬉しそうな顔をされていて……。子どもたちと泥んこ遊びをしたり、お馬さんごっこで四つん這いになって、楽しませてくれているんですよ」
「クマのアップリケ……エプロン姿……!? 泥んこ遊び……!?」
「まぁ、なんてこと! あの冷徹王子が、保育園では愛しいエプロン先生で、もみくちゃにされているなんて!」
ロザリー様が不器用な男の可愛らしいギャップに、両手を組んでうっとりと目を輝かせた。
「リリアーナ様、あの氷のように冷徹なアレクシス殿下を……一体どうやって射止めたのですか?」
真剣な眼差しで問いかけられ、私は少し考えてから首を振った。
「射止めた、なんて……。最初は彼が王族だって知らずに、今思い返してみても沢山の不敬を働いたことしか思い出せません。それでもアレクシス様は私について来て下さって。本当に、どうしてなんでしょう」
私が首を傾げると、お二人はハッとしたように息を呑み、顔を見合わせた。
王族という肩書きも、恐ろしい氷の仮面も関係なく、ありのままの彼に真っ直ぐ向き合ったからこそ、彼の心は救われたのだと、お二人は気づいたようだった。
「……特別な駆け引きなんて、必要ないのね」
ロザリー様が、自分に言い聞かせるようにポツリとこぼし、ふにゃりとひどく優しく微笑んでくれた。
すっかり打ち解け、三人の女子会が最高潮に盛り上がっていた、その時だった。
「やぁ〜! お美しい姫君達がずいぶん楽しそうに仲良くしてるね。お邪魔してもいいかな?」




