第3話:なんでアレクせんせいは、リリアーナせんせいのことばっかり見てるの?
「なんでアレクせんせいは、さっきからリリアーナせんせいのことばっかり見てるの?」
「な、なんだと!? そ、そんなわけないだろう!」
(っで、でた!幼児の必殺技「なぜなぜ期」!!!)
裏返った声で全力否定するアレク先生だったが、一度火がついた子どもたちの好奇心は、そう簡単には消えてくれない。
レオくんの言葉を聞いて、積み木で遊んでいた4歳のミアちゃんとオリバーくんがタタタッと駆け寄ってきた。
彼らは今、この世のすべての事象に疑問を抱く恐るべき時期――通称『なぜなぜ期』の真っ只中にいる。
「アレクせんせい、なんでおカオが、あかいの? おねつ?」
「熱などない! これは……外が暑かったからだ!」
「なんで? まだ、はるだよ? すずしいよ?」
「そ、それは俺が暑がりだからだ!」
「なんで、あつがりなの?」
「知るか!! 生まれつきだ!」
「なんでうまれつきなの?」
「くっ……!」
大国の第七王子の権力も威厳も、4歳児の『なぜなぜ攻撃』の前では無力だった。
子どもたちに詰め寄られて視線を泳がせつつ、全部の質問に真面目に答えようとする彼の姿勢は、なんだか大型犬がしっぽを丸めているようで……不覚にも、少し『可愛い』と思ってしまった。
(とはいえ、このままじゃアレク先生が可哀想ね)
私はパンッと軽く手を叩き、プロの保育士としての作り笑いを浮かべた。
「ほらほらみんな、アレク先生をいじめないの。アレク先生は保育園に来たばかりだから、先輩の私の動きを見てお勉強してくれてたのよ。ねっ、アレク先生?」
助け舟を出すと、アレク先生はハッとして、すがるような目でこちらを見た。
「お、おう! その通りだ! 俺は新人だからな!」
「しんじん!アレクせんせい!しんじんるい!」
(っなんか違う)
これ以上長引かせるとお昼ご飯の時間に響いてしまうため、私は強硬手段に出ることにした。
「さあみんな! 外は少し風が強くなってきたから、お部屋の中で遊びましょう! おままごとセットを出してちょうだい!」
「わーい! おままごと!!」
『おままごと』という魔法の言葉に、子どもたちの興味は一瞬でアレク先生からオモチャ箱へと切り替わった。
嵐が去った後のように、アレク先生は壁に手をついて深いため息を吐いている。
「……助かった」
「ふふっ。子どもって、大人が隠したいことほど鋭く見抜きますからね。気をつけないとダメですよ?」
「お、……お前、ちょっと笑ってただろ」
ジロリと睨みつけてくるサファイアの瞳。でも、その奥に隠しきれない照れが見えて、私は思わず吹き出しそうになった。
「はい、役決めするよー!」
私の言葉を遮るように、エプロンをつけたレオくんが仕切り始めた。
「ボクはおにいちゃん! ミアちゃんはあかちゃんね! オリバーくんはペットの犬!」
「わんわんっ!」
「じゃあ、リリアーナせんせいは、ママね!」
「はいはーい。ママは今日、美味しいシチューを作ろうかしら」
私がニコニコと応じると、レオくんはニヤリと笑い、部屋の隅で固まっている長身の青年に指を突きつけた。
「アレクせんせいは、パパ!」
「……はあ!?」
アレク先生の低い声が保育室に響いた。
信じられないものを見るような目で、私と子どもたちを交互に指差す。
「お、俺が……パパだと? リリアーナがママで……俺が……?」
またしても顔を真っ赤にして、ブツブツと呟き始めるアレク先生。
初めてのことばかりで緊張しているのかな。
「ほら、パパ。突っ立ってないで、お仕事に行く時間ですよ」
私が木製のフライパンでおもちゃの野菜を炒めるフリをしながら声をかけると、アレク先生はビクッと肩を震わせ、ギクシャクとしたロボットのような動きで歩き出した。
「お、おう……。じゃあ、俺は……仕事に行ってくる」
そのまま部屋の隅へ歩いて行こうとした彼の背中を、ミアちゃんの容赦ない声が引き止める。
「だめー! パパ、やりなおし!」
「なっ、なんだと!? なぜだ!」
「パパ、おしごといくまえに、ママにいってらっしゃいのチューしてない!!」
ピタリ。
保育室の空気が、完全に凍りついた。
「「…………え?」」
私とアレク先生の声が見事に重なる。
子どもたちの澄み切った瞳が、期待に満ちた眼差しで私たち二人を見上げていた。
「えっと……み、ミアちゃん? 先生たちは本物のパパとママじゃないから、チューはちょっと……」
「やだ! いつもパパとママ、おでかけのまえにしてるもん! やらないと、おしごといっちゃだめ!!」
貴族の家庭事情がこんなところで暴露されるとは思わなかった。
焦る私の視線の先で、アレク先生は――耳どころか、首の先まで茹でダコのように真っ赤になって固まっている。
「ア、アレク先生! 無理しなくていいですよ! 私から別の遊びに誘導しますから――」
「……いや」
アレク先生が、低い声で遮った。
彼は大きなため息を一つ吐くと、覚悟を決めたような、どこか切羽詰まったような表情で、私の目の前までズンッと歩み寄ってきた。
見上げるほどの長身。広い肩幅。
微かに漂う、彼特有の清々しいお日様の匂いと、微かな香水の香り。
(えっ……嘘、まさか本気で……っ!?)
至近距離で見つめられ、私の心臓が警鐘を鳴らし始める。
アレク先生の大きな手が、ゆっくりと私の肩に伸びてきた。
整いすぎた顔が、すぐ目の前まで迫る。彼の吐息が頬に触れそうな距離で、私は思わずギュッと目を閉じてしまった。
こんな国宝級のイケメンに攻められたら、大抵の凡人はトキメクに決まってる。だから私は絶対無実だ。ごめんなさい、お父さん。
(やだ、私……どうして目を……!)
心臓が口から飛び出そうになる中、数秒の沈黙。
しかし、唇に触れたのは柔らかな感触ではなく、私の耳元を掠める、少し震えた低い声だった。
「……ちゅ」
「…………え?」
そっと目を開けると、アレク先生はすでに数歩後ろに下がっていた。
顔は相変わらず茹でダコのように真っ赤だが、どうにか冷静さを保とうとしているらしく、口元を片手で覆って明後日の方向を見ている。
「これでいいだろ! ほら、仕事に行ってくる!」
アレク先生はそう言い捨てると、逃げるように部屋の隅の「お仕事スペース」と評した棚の前へと足早に去っていった。
残された子どもたちは「わーい! パパいってらっしゃーい!」と無邪気に手を振っている。
(あ……フリ、よね。そりゃそうだわ)
私はホッと息を吐き出すと同時に、顔から火が出るほど熱くなるのを感じた。
エプロンの下で心臓がまだバクバクと五月蝿い。
おままごとの「ママ役」なんて前世で何百回とやってきたのに、こんなに動揺したのは初めてだった。
私は気を取り直すように、パンッと両頬を叩いて熱を散らした。
視界の端では、部屋の隅に追いやられたアレク先生が、壁に向かって大きなため息をついている。
「ガキのオママゴト……恐るべし」
彼がボソボソと何かを呟いているようだったが、子どもたちの歓声にかき消されて、私には聞き取れなかった。
* * *
「はぁ……」
お昼寝の時間。
子どもたちが静かな寝息を立て始めたのを確認し、私は職員室の丸椅子に深く腰を下ろした。
怒涛の午前中が終わり、ようやく一息つける時間だ。
「お疲れ様、リリアーナ先生。新人くんの面倒、大変でしょう?」
園長であるマルタ先生が、温かい紅茶の入ったカップをコトリと机に置いた。
「ありがとうございます。いえ……大変というよりは、なんだか毎日が嵐のようで」
「ふふっ。でも、アレク君が来てから、リリアーナ先生も少し楽しそうよ。あの子、見た目はちょっと怖いけれど、根は真面目みたいだしね」
マルタ先生の言葉に、私は苦笑いで誤魔化した。
たしかに、不器用ながらも一生懸命な彼の姿を見ていると、呆れる反面、どうしようもなく世話を焼きたくなってしまう。……午前中のおままごとの一件以来、彼を見るたびに変に意識してしまって困っているのだけど。
「そういえば、お二人さん。午後から少し、街へ買い出しをお願いできないかしら?」
マルタ先生が、一枚のメモ用紙をひらひらと揺らした。
「買い出し、ですか?」
「ええ。来月のお遊戯会で使う装飾の布地や、新しいクレヨンなんかの備品が足りなくなってしまって。業者に頼むより、直接見て選んできてほしいのよ。リリアーナ先生に品物を選んでもらって、アレク君には力仕事をお願いしたいのだけど」
(二人で、街へ……?)
ただの業務とはいえ、あの気まずいおままごとの後に二人きりのお出かけなんて。
私が戸惑って言葉に詰まっていると、職員室の入り口から低い声が響いた。
「……ああ。構わない」
振り返ると、腕を組んで壁によりかかっていたアレク先生が、こちらへ向かって歩いてくるところだった。
「俺はまだ園の備品の種類も把握していない。新人の俺が行くべきだろう」
マルタ先生が「あらあら、頼もしいわねぇ」と嬉しそうに微笑んでいる。
「それじゃあ、お願いするわね。気をつけて行ってらっしゃい」
「……はい。行ってきます」
こうして、午前中のおままごとの気まずさを引きずったまま、私と新人保育士アレク先生の、初めての『買い出し』が始まることになったのだった。




