第29話:お前の頭の中、俺だけで埋めてみろ。
アレクシスにエスコートされながら、リリアーナは煌びやかな人混みの中を進んでいく。
完璧にセットされた、リリアーナのブロンドの髪。いつもは無造作に束ねられているだけの髪は、今日は複雑に編み込まれ、緩やかなウェーブを描きながら、サファイアとパールをあしらった銀の髪飾りでハーフアップにまとめられている。歩くたびに、シャンデリアの光を浴びて、滑らかな絹のように眩しく煌めいた。
二人が移動するにつれ、周囲の注目が、隠しきれない熱を帯びて集まってくるのが分かった。特に、男性たちの視線が、リリアーナの髪や、ストールからわずかに覗くうなじ、そして愛嬌のある笑顔に注がれる。
「……おい、見ろ。あの隣の女性……あんな綺麗な令嬢、社交界にいたか?」
「第七王子殿下の婚約者だと? ろくに後ろ盾もない下級貴族だと聞いていたが……信じられん。まるでどこかの国の王女のようではないか」
その声が、アレクシスの耳に届かないはずがなかった。
「……クソッ! やっぱりだ」
彼はピタリと足を止めると、リリアーナの腰を抱く腕に一段と力を込め、彼女を自分の背後に隠すように立ちはだかった。
そして、サファイアの瞳を氷のように冷たく研ぎ澄ませ、リリアーナを見ていた男たちを一瞥する。
それは、王族の威厳などという生温いものではない。触れれば即座に凍りつき、粉砕されるかのような、凄まじい殺気を孕んだ凄絶なガン飛ばしだった。
「……俺の女に、安易な視線を向けるな。その目、潰されたいか」
地を這うような低い声。アレクシスの全身から放たれる圧倒的な『氷の俺様』オーラに、男たちは悲鳴を上げることすらできず、真っ青になって蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出した。
「……アレクシス様。怖いですよ。皆さん、お兄様の誕生日を祝いに来てるだけですよ」
「知るか。お前が綺麗すぎるのがいけないんだ。ほら、ストールをもっとギッチギチに巻き直してやる。俺以外に見せるな」
アレクシスは、照れ隠しのようにストールの襟元をキュッと直した――が、それでも彼のサファイアの瞳に宿る暗い熱は、一向に収まる気配がなかった。
それどころか、リリアーナの無防備な近さと、彼女から漂う甘い香りにあてられ、彼のなかでギリギリ保っていた理性の糸が、ついにプツリと音を立てて切れた。
「……いや、駄目だ。やっぱり我慢できねぇ」
「えっ? アレクシス様……きゃっ!?」
突然、アレクシスがリリアーナの腕を引き、夜会の喧騒から離れるように人気のない回廊へと足早に歩き出した。
「あ、あの、どこへ……っ、アレクシス様、歩くのが早いです!」
リリアーナの問いかけには答えず、アレクシスは無言のまま来賓用の個室の重厚な扉を開け、彼女を中へと引き入れた。
バタン、と扉が閉まり、ガチャリと内側から鍵がかけられる。
その小さな金属音が暗い部屋に響いた瞬間――。
「っ……!?」
逃げ場を失ったリリアーナの背中が、ドンッ、と壁に押し付けられた。
息を呑んで見上げた唇を、熱を帯びたアレクシスの唇が、有無を言わさず塞いでいた。
「ん、ぁ……っ、アレクシス、さま……っ」
いつものエスコートとは違う、荒々しくも甘い、独占欲を丸出しにしたような深いキス。
少し強引に唇をこじ開けられ、息継ぎの隙すら与えられないほどの熱烈なそれに、リリアーナの頭は一瞬で真っ白になった。
「はぁ……っ、んん……」
壁と彼の大きな体で完全に退路を断たれ、リリアーナの膝から力が抜ける。それを逃さないように、アレクシスの逞しい腕が彼女の腰をきつく抱き寄せ、さらに深く、溶かすような口付けを落としてくる。
「……っ、ぷぁ、はぁっ……あ、アレクシス様、急にどうし……っ」
ようやく唇が離れ、リリアーナが潤んだ目で彼を見上げると。
至近距離にあるアレクシスの顔は、余裕など微塵もない、ひどく切羽詰まった大人の男の顔をしていた。
「……悪い。もう、限界だった」
荒い息を吐きながら、彼がリリアーナの首元に顔を埋める。
「保育園のガキどもがお前に懐くのは、百歩譲って……許してやる。……だがな」
首筋に落とされた吐息が、ぞくりとするほど熱い。
「あんな有象無象の成人男どもが、俺の女に薄汚い欲の絡んだ視線を向けるのだけは、絶対に許せねぇ。……今すぐお前をめちゃくちゃに泣かせたくなる」
「な、泣かせるって……っ!」
「……俺以外の奴のこと考えれないようにしてやる」
低く、地を這うようなアレクシスの声が耳朶を打つ。リリアーナが言葉の意味を咀嚼する暇さえ与えず、彼は再び、逃げ場を奪うようにその唇を塞いだ。
先ほどよりも深く、強引な舌が、彼女の吐息をすべて飲み干していく。リリアーナの小さな手がアレクシスの胸元を弱々しく押し返すが、それはかえって彼の征服欲に火をつけるだけだった。
「ん、んんっ……ふ、ぁ……っ」
壁に押し付けられた背中に、ひんやりとした感触とアレクシスの熱い体温が交互に伝わる。
ブロンドの髪を飾っていた銀の髪飾りが、彼の大きな指によって乱暴に解かれ、床に小さな音を立てて落ちた。結い上げられていた髪が、滝のようにリリアーナの肩にこぼれ落ちる。
「……っ、はぁ……」
ようやく唇を離したアレクシスは、今度は獲物を見定める猛獣のような目で、リリアーナの潤んだ瞳をじっと見つめた。その指先が、ドレスのストールを無造作に引き下げ、露わになった彼女の鎖骨をなぞる。
「……リリアーナ、お前の頭の中、俺だけで埋めてみろ。他の男の視線も、兄上の言葉も、仕事のことも……全部、俺が忘れさせてやる」
そう囁きながら、アレクシスは彼女の首筋に、消えないほど深く、熱い痕を残すように唇を押し当てた。
「っ、ぁ……アレクシス、さま……っ、だめ、そんなに……っ」
甘い痺れが背筋を駆け抜け、リリアーナの腰がガクガクと震える。
いつもは強気たっぷりの俺様王子が、今は自分の感情を制御できず、必死に彼女を自分だけのものだと刻みつけようとしている。その必死さと熱量に、リリアーナの心もまた、深い愛しさと熱に浮かされていった。
「……ダメだなんて、言わせねぇぞ」
アレクシスは、彼女の耳たぶを軽く噛み、熱い吐息を吹きかける。
「今夜は、お前が泣いて縋るまで離さない」
王宮の個室に閉じ込められた二人の間に、もう夜会の喧騒は届かない。
完璧な第七王子は、理性のすべてを投げ打ち、愛しい婚約者をその腕の中で甘く、激しく、独占し続けるのだった。




