第28話:暴れ回る三十人の集団を『お片付けの歌』一つで完璧に統率する圧倒的な指揮能力
ガタゴトと規則正しい音を立てて、豪華な馬車が夜の王都を進んでいく。
しかし、車内は先ほどのエスコートの甘い余韻……とは裏腹に、妙に静かだった。
(……アレクシス様、全然こっちを見てくれない)
向かい合わせの席に座るアレクシス様は、乗車してからずっと、無言で窓の方ばかりを向いている。
怒っているわけではないようだが、先ほどあんなにスマートにエスコートしてくれたのに、なんだか避けられているみたいで少しだけ胸がチクリとした。
「あの、アレクシス様……」
私が恐る恐る声をかけようと顔を上げた、その時だった。
夜の闇を映す暗い窓ガラス越しに、彼とバッチリ目が合ったのだ。
(えっ?)
外の景色を見ていると思っていた彼は、窓ガラスを鏡代わりにして、ずっと私を……それも、穴が開くほどの熱い視線で、じっと見つめていたらしい。
私がそれに気づいて瞬きをした瞬間。
アレクシス様は「ッ!」と小さく肩を揺らし、サッと不自然なほど素早く視線を窓の外、今度こそ本物の外の景色へと逸らした。
「……なんだ」
「い、いえ……ずっと窓の外を見てらっしゃるので、退屈させてしまったかなと……」
「退屈などしていない。ただ……直接見つめるのは、色々と目に毒というか……っ、いや、なんでもない。夜風が少し冷たいだけだ」
口元を片手で覆い、わずかに早口で言い訳をするアレクシス様。
分かりやすく取り乱しているわけではないけれど、その不自然な視線そらしと、窓ガラス越しの熱い眼差しに、彼の『限界ギリギリ』な余裕のなさが痛いほど伝わってくる。
「アレクシス様も、お兄様の誕生日は緊張されるものですか?」
私が小首を傾げてそう尋ねると、アレクシス様は少しだけ目を丸くした後、ふっと小さく息を吐き出した。
「……まさか。兄上や有象無象の貴族たちを相手に、俺が今さら緊張などするか」
「じゃあ、どうしてそんなに上の空なんですか?」
「だっ、だから、それは……」
彼はそこまで言いかけて、今度は逃げずに、真っ直ぐに私へと視線を向けた。
サファイアの瞳が、馬車の中の薄暗いランプに照らされて、ひどく甘く、そして独占欲に揺れている。
「……こんな綺麗なお前を、俺以外の男たちの目に晒さなければならないという現実に、ひたすら焦りを感じているだけだ。今からでも馬車を引き返して、俺の部屋に閉じ込めたい衝動を抑えるのに、必死なんだよ」
「 もう! すぐそういうこと言うんですから!」
直球すぎる言葉に、私は真っ赤になりながら、思わずアレクシス様の腕をペチッと軽く叩いてしまった。
王族に対する見事なツッコミ……というより完全に不敬な振る舞いだったが、アレクシス様は怒るどころか、私のそんな反応を見てようやくいつもの調子を取り戻したらしい。
意地悪く、けれどひどく優しく微笑んだ。
「冗談だ。……いや、多分。心配すんな、今日のお前は誰よりも美しい。俺の自慢だ。俺の隣で、堂々としていろ」
そう言って彼が手を伸ばし、私のストールの襟元を少しでも肌が見えないようにキュッと直したところで、馬車がゆっくりと停止した。
「到着いたしました、殿下」
御者の声と共に、扉が開かれる。
外には、煌びやかな光に包まれた第一殿下の宮殿と、着飾った貴族たちが集まる華やかな光景が広がっていた。
先に降り立ったアレクシス様が、私に向かってスッとスマートに手を差し出す。
その顔はもう、私だけに見せる甘いものではなく、誰もが平伏す『完璧で冷徹な第七王子』の顔になっていた。
「さあ、行くぞ。リリアーナ。……俺の腕から、一秒たりとも離れるなよ」
「はい、アレクシス様」
私はその大きくて温かい手を取り、大きく深呼吸をしてから、王宮のきらびやかな夜会へと足を踏み出したのだった。
* * *
煌びやかなシャンデリアが照らすパーティー会場に足を踏み入れた瞬間、ざわめいていた貴族たちの視線が、一斉に私たちへと注がれた。
「……見ろ、あの第七王子殿下が、女性をエスコートしているぞ」
「それにあの女性、なんて美しいんだ……淡いのドレスが、殿下の瞳と見事に調和している……!」
周囲の感嘆の声と突き刺さるような視線に、私は思わず肩をすくめた。
しかし、アレクシス様は私の腰にグッと力強く腕を回し、「俺の女だ、見惚れるな」と言わんばかりの圧倒的なオーラで周囲を威圧しながら、悠然と会場の中心へと歩を進めていく。
向かった先には、この夜会の主役である第一殿下の姿があった。
第一王子であるレオンハルト殿下はアレクシス様よりも少し年上で、隙のない洗練された立ち姿と、理知的で厳格な顔立ちをしている。次期国王と目される彼に対し、アレクシス様は普段の俺様態度をスッと引っ込め、深い敬意を込めて恭しく頭を下げた。
「兄上。誕生日、おめでとうございます。他の夜会ならばすべて断るところですが、兄上の祝いとあらば、馳せ参じないわけにはいきません」
アレクシス様の言葉に、第一殿下は厳格だった表情をわずかに緩め、深く頷いた。
「よく来てくれた、アレクシス。国政に忙殺されているお前が顔を出すとは珍しい。……して、そちらが噂の婚約者か」
「はい。俺のたった一人のパートナー、リリアーナです」
紹介され、私は第一殿下の前に進み出ると、粗相のないよう深く、静かに淑女の礼を行った。第一殿下は値踏みするように、じっと私を見下ろす。
「派手さはないが、芯のある品格を感じる佇まいだ。あの氷のように冷徹なお前が、誰の反対を押し切ってでも選んだ女性なのだ。さぞ、優れた知見と、我が国を根底から支えるほどの確固たる才覚を持っているのだろうな」
王族らしい、重みと威厳のある問いかけ。
私は(ただの保育士なんですけどどうしよう……!)と内心冷や汗を流しながらも、出しゃばるわけにはいかず、ただ口を閉じて微かに微笑みを保っていた。
すると、アレクシス様は「当然です」と自信満々に胸を張り、信じられないことを言い出した。
「彼女の能力は、並の将軍など足元にも及びません。暴れ回る三十人の集団を『お片付けの歌』一つで完璧に統率する圧倒的な指揮能力。さらには、どんな殺伐とした執務室も、彼女の手作りである弁当一つで制圧されます。極め付けは、彼女の『よしよし』と『寝かしつけの技術』だ。あれはもはや魔術……」
(ア、アレクシス様ァァァ!? 第一殿下の前で、堂々と何の自慢をしてるんですか!?)
私は顔から火が出そうになりながら、アレクシス様の服の袖を後ろからこっそりと引い張った。しかし、アレクシス様は「待っていろ、今兄上に俺の女の凄さを伝えている」とばかりに私の手をポンと叩き、全く止まる気配がない。
第一殿下は、しばらく無言だった。
『お片付けの歌』に『寝かしつけの技術』。およそ社交界の政治において、全く意味をなさない単語の羅列。
当然、「貴様、ふざけているのか」と怒られるものだと、私はギュッと目を瞑ったのだが――。
「…………そうか」
第一殿下は、震える声でポツリと呟いた。
私が恐る恐る目を開けると、超絶真面目そうな第一殿下は、口元を手で覆い、なぜか目頭を熱くして天を仰いでいた。
「あ、兄上?」
「……まさか、お前が……ここまで誇らしげに、ひとりの女性を愛おしそうに語る日が来るとはな」
第一殿下は、目元を指で拭いながら、どこか安心したような、深い深い慈愛の目をアレクシス様に向けた。
「幼い頃からあまり他人とは干渉せず、国のために『氷の刃』として生きることを選んだお前が……こんなにも、穏やかで、熱を帯びた人間らしい瞳をするようになるとは。……兄として、これほど嬉しいことはない」
「なっ……! 兄上、いきなり何を……!」
尊敬する長兄からの思わぬ言葉に、今度はアレクシス様が顔を真っ赤にして狼狽える番だった。
第一殿下は私の方へ向き直ると、厳格な表情を崩し、本当に嬉しそうに微笑みかけてくれた。
「リリアーナ嬢。……不器用で、孤独だった弟の心を救ってくれて、本当にありがとう。アレクシスを、どうかこれからも支えてやってほしい」
「は、はい……っ! 恐れ多いお言葉、ありがとうございます。私の方こそ、彼にたくさん救われていますから」
私が深く頭を下げると、第一殿下は満足そうに頷き、「私にも子どもができたら是非技を伝授してほしい」と笑ってくれた。
「兄上、彼女をあまり甘やかさないでください! リリアーナ、行くぞ! 別の連中にも挨拶に行く!」
「あっ、アレクシス様! 引っ張らないでくださいってば!」
照れ隠しで私の腕を引き、足早に歩き出すアレクシス様。
第一殿下の優しさと、アレクシス様の意外なほど素直な弟の一面に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、彼の広い背中を追いかけた。




