第24話:俺の……ッ、俺のパンツ……!!
甘く騒がしい婚約劇から、数ヶ月が経ったある日のこと。
私たちの間には、ある一つの「攻防」が繰り広げられていた。
「リリアーナ。今日こそ、お前のアパートまで送っていく」
「絶対ダメです!! ここで解散です、お疲れ様でした!」
保育園の帰り道、私はいつものようにアレクシス様の申し出を全力で拒否していた。
婚約者なのだから家に行きたいと言う彼と、頑なに断る私。
(だって、壁紙は剥がれてるし、狭いし、雨漏りの跡もあるし! あんな生活感の塊みたいな貧乏くさいボロアパート、キラキラの王子様に見せられるわけないじゃない!)
「……なぜだ。俺の目から見ても、あの辺りの治安は決して良くない。せめて部屋の防犯状況だけでも確認させろ」
「大丈夫です! 戸締まりはちゃんとしてますから! 乙女の園なので王族の立ち入りは禁止です!」
私は彼を強引に押し返し、逃げるように自分のアパートへと帰るのが日課になっていた。
――しかし、悲劇はそんな見栄っ張りな私の元に、突然やってきた。
「え……」
ある夜。疲れ果ててアパートの前にたどり着いた私は、自分の部屋のドアを見て血の気を引かせた。
鍵が、不自然に壊されている。
そして薄暗い部屋の中から、物色するような物音が聞こえてきたのだ。
(ど、泥棒……っ!?)
私は咄嗟に近くの物陰に身を隠し、口を両手で塞いだ。
心臓がバクバクと音を立てる。しばらくすると、見知らぬ男が私の部屋から出てきて、足早に闇の中へ消えていった。
幸い、鉢合わせることはなかった。
しかし、荒らされた部屋を前に、私の頭の中では別の危機感が警報を鳴らしていた。
(どうしよう……! 警察や騎士団を呼んだら、間違いなくアレクシス様がすっ飛んでくる。そして、このボロアパートと散らかった部屋を、王子様に隅々まで見られてしまう……!)
命の危険より、乙女のプライドが大勝りした瞬間だった。
「……実家に帰ろう」
私はその足で、遠く離れた実家(アシュレイ男爵家)へと逃げ込み、アレクシス様には一切内緒で、そこから通勤することを選んだのだった。
* * *
しかし、そんな浅はかな誤魔化しが、あの過保護な第七王子に通用するはずがなかった。
数日後の保育園でのこと。
「……お前、最近ひどい顔をしてるな。目の下にクマができているぞ。それに、なんでいつものメンダコのエプロンじゃないんだ」
「えっ!? あ、あはは……ちょっと夜更かししちゃって。エプロンは洗濯中なんです!」
実家からの遠距離通勤で寝不足な私を、アレクシス様が不機嫌そうに覗き込んでくる。
私が必死に誤魔化そうとすると、彼はスッと目を細め、逃げ道を塞ぐように私を壁際に追いやった。
「嘘をつけ。……なぜ、最近実家から通っている? お前のアパートで、何があった」
その低く、静かな怒りを孕んだ声に、私はビクッと肩を揺らした。
完全にバレている。その剣幕に縮み上がりながらも、私は視線を泳がせて白状した。
「だって……泥棒が入ったなんて言ったら、絶対にアレクシス様が私のアパートに駆けつけてきちゃうじゃないですか……っ!」
「どっ泥棒だと!?なんでもっと早く言わなかった?! 現場を確認して、警備を手配して――」
「だからダメなんです!! 私のアパート、ボロボロなんです……っ! アレクシス様に見られることの方が、私にとっては大問題だったんです!!」
私が涙目で叫ぶと、アレクシス様はポカンと口を開けたまま数秒硬直した後――深く、深〜くため息を吐いた。
「……お前、自分の命がかかっているかもしれない時に、部屋の壁紙の心配をしてたのか」
「乙女心です!」
「馬鹿か、お前は……っ!! なぜ、警察には……!?」
「だ、だって、警察を呼んだら、アレクシス様にバレるから……。それに、盗まれたのは、その……」
私が顔を真っ赤にして、縋るように視線を泳がせる。
アレクシス様は察した。「……まさか、何か卑劣なものを……?」
「……パ、パンツ、が」
私が涙を浮かべて、か細い声で告白した瞬間。
「……は?」
アレクシス様の顔から、スッと表情が消えた。
静かな沈黙。
次の瞬間、彼のサファイアの瞳がゴォォォォと燃え上がり、理性が一瞬で吹き飛ぶのが見えた。
「……なん、だとォォォォォォォッッ!!!!!!」
「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!」
保育園中が震えるような、とんでもない咆哮が響き渡った。
隣の保育室でパズルをしていたレオくんが、「わぁぁぁん!! アレクせんせいがこわいー!!」と泣き出す声が聞こえてくる。
「俺のリリアーナの……! 俺の婚約者の……!! 俺の……ッ、俺のパンツ……!!」
(あんたのパンツではないっ!!)
アレクシス様は完全に理性を失い、周りのものを破壊しそうな勢いで、顔を真っ赤にしてキレ散らかし始めた。
「ア、アレクシス様!! 落ち着いてください!!」
私がパンツを盗まれた恥ずかしさと、彼のあまりの剣幕にパニックになりながら止めようとすると、マルタ先生たちが「わ、わわっ! アレク先生が暴走してる!!」と駆けつけ、殿下を必死に抑え込もうとする。
「離せ!! 俺ですら足を踏み入れたことのないリリアーナの部屋に上がり込んだ挙句、俺の婚約者の……っ、俺のパンツを盗んだ不届き者には、死をもって償ってもらうァァァッ!!!!」
(だからあなたのパンツじゃないですってばーー!!)
* * *
「ひっ、ひぃぃぃぃぃ!? で、ででで、殿下ァァ!?」
一時間後。
王都の端にある、こぢんまりとした私の実家。
色褪せた応接間のソファに座るアレクシス様を見て、私の父と母は、今にも泡を吹いて倒れそうなほど震え上がっていた。
「突然の訪問を許してほしい。リリアーナの父上、母上。本日は、大切なお嬢さんを私の城で預からせていただきたく、許可をいただきに参りました」
(……いや、どの口が言ってるの!?)
王族としての威厳たっぷりに、誠実で完璧な微笑みを浮かべる目の前の男を見て、私は盛大に心の中でツッコミを入れた。
(たった一時間前まで保育園で「俺のパンツ!!」ってキレ散らかして、周囲のものを破壊しかけていた人と同一人物とは思えない……! 完璧な王子様モードへの切り替えが早すぎて怖い!!)
私のそんな冷めた視線にも全く動じることなく、アレクシス様はキラキラと気品を振りまいている。
「ちっ、父上!? とんでもございません! このようなむさ苦しいあばら屋に、王族であらせられる第七王子殿下をお招きしてしまうなど……っ!」
平民同然の生活をしている没落貴族の家に、キラキラの王子様(※一時間前はパンツ泥棒に極刑を言い渡していた)。
両親は床に額を擦り付ける勢いだが、アレクシス様は真剣な顔で実家の壁や窓を指差した。
「リリアーナのアパートに賊が入ったと聞きました。現在はこちらのご実家に避難しているとのことですが……失礼ながら、この家の防犯設備はあまりにも脆弱すぎます」
「うっ……」
「先ほど門を通った時、蝶番が完全に錆びて外れかかっているのを確認しました。それに、この部屋の窓の鍵は作りが古く、ヘアピン一本あれば外から3秒で開けられます。さらに裏庭の塀は低く、足場になる木箱まで放置されている」
すらすらと、プロの建築家(DIY王子)の目線で我が家の弱点を容赦なく指摘していく。
「お言葉ですが義父上。この家の防御力は、私が保育園で作った段ボール要塞以下です」
「だ、段ボール以下……っ!?」
図星を突かれた父が膝から崩れ落ちた。
「第七王子の婚約者ともなれば、ただの泥棒だけでなく、貴族の嫌がらせや他国のスパイに狙われる可能性だってある。……私は、彼女をそんな危険な場所に置いてはおけません」
(「俺のパンツ」から見事に話をすり替えて、立派な大義名分を掲げている……っ!)
アレクシス様の真摯な言葉と、王族としての圧倒的な説得力。
それに胸を打たれた両親は、顔を見合わせた後――急にギラギラとした笑顔になり、私の背中をドンッと力強く押してアレクシス様の方へ突き出した。
「おっしゃる通りです!! 貧乏な我が家では、未来の王族をお守りする壁もお金もありません!」
「どうか娘を安全な王宮へお連れくださいませ! 荷物なら今すぐまとめさせますから!!」
「ええええっ!? お父さん!? お母さん!?」
あっさりと娘を差し出した両親に、私は目をひん剥いた。
そんな我が家のカオスな状況でも、アレクシス様は涼しい顔で頷いた。
「ご理解いただき感謝します。お義父上、お義母上。この家の修繕と最新の防犯設備の導入は、後日私のポケットマネーと手配で完璧にやっておきます。娘さんは、私が責任を持って幸せにしますので」
その言葉(特に『修繕』と『ポケットマネー』)を聞いた瞬間、両親のテンションが限界を突破した。
「でかしたわリリアーナ!! 最高の玉の輿よ!!!!」
「おお! 本当にお母さんに似て、美人に産まれてきてよかったなぁリリアーナ!!!!!!」
「ちょ、ちょっと二人とも!! 第七王子殿下のご本人の前で現金すぎない!?」
感極まって両親がハイタッチするのを見て、私はため息がでた。
しかしアレクシス様は全く気にした様子もなく、むしろ「義父母公認だ」とばかりに、有無を言わさず私をひょいっとお姫様抱っこで抱き上げた。
「いやいやいや! ちょっと待ってくださいアレクシス様、いくらなんでも展開が――ひゃっ!?」
「よし、これで邪魔するものは何もないな。行くぞ、リリアーナ」
「殿下〜〜っ!! 娘を末長くよろしくお願いしまーーす!!」
「お母さーーん!! お金に釣られないでーー!!」
涙を流してハンカチを振る両親に見送られながら、私はそのまま王宮行きの馬車へと運ばれていく。
馬車の中で、私を膝の上に乗せて抱きしめたアレクシス様は、これ以上ないほど満足げな、悪い笑顔を浮かべていた。
「言っただろう。お前を俺の部屋に閉じ込める最高の大義名分ができた、とな」
「……アレクシス様、絶対お父さんたちの反応も計算してましたよね?」
こうして私は、見栄っ張りな乙女心と、実家のザルすぎるセキュリティ、両親の現金すぎるノリ、そして彼の手回しの早さにより、半ば強制的に王宮での同棲生活をスタートさせることになったのだった。




