第23話:れんらくちょう
第七王子の執務室は、まるで氷点下のようなピリピリとした空気に包まれていた。
「殿下、例の反対派貴族たちの嘆願書ですが」
「却下だ。裏で横領している証拠はすでに押さえてある。今日の夕刻までに追い込め。それと、南部のインフラ整備の予算案、計算が甘い。やり直しだ」
「は、はいっ!」
山積みになった書類を恐ろしいスピードで処理していくアレクシス。
リリアーナを正式な妃として迎えるため、彼は反対派の貴族を牽制し、身辺を完璧に固めるべく、ここ数日、寝る間も惜しんで執務室に缶詰状態になっていた。
その有能さと冷徹さは、まさに「完璧な王族」そのものである。
「……ルーク」
「は、はい。何でしょうか」
側近のルークがビクッと肩を揺らすと、アレクシスは羽ペンを置き、スッと目を細めた。
「俺はこれから会議だ。お前は今すぐ、リリアーナの保育園へ行け」
「えっ? 護衛でしたら、すでに優秀な影を配置しておりますが」
「足りん。お前の目で、彼女が無理をしていないか、貴族の嫌がらせを受けていないか確かめてこい。……それと、彼女が笑っていたか、あとで俺に報告しろ」
冷たい声の中に、隠しきれないほどの過保護と愛情が滲んでいる。
ルークは「……はっ。承知いたしました」と深く頭を下げ、執務室を後にした。
* * *
「ルーク様! わぁ、お久しぶりです!」
お昼休憩中の保育園。
こっそりと裏口にやってきたルーク様を見て、私はパッと顔を輝かせた。
「リリアーナ様、お変わりないようで何よりです。殿下が、貴女の様子を見てくるようにと」
「アレクシス様が? ふふっ、私は全然平気ですよ! 園児たちも元気いっぱいですし」
私が笑うと、ルーク様は少しだけホッとしたように目尻を下げ、それから深くため息をついた。
「……殿下は、貴女を安全に王宮へ迎えるため、現在一人で国の上層部と戦っておられます。有能な方ゆえに仕事は完璧ですが……ここ数日、食事もろくに取らず、睡眠時間も削っておいでです。私から注意しても、全く聞く耳を持たれません」
「えっ……ご飯、食べてないんですか?」
その言葉に、私は眉をひそめた。
忙しいのは分かっていたけれど、自分の体を大切にしないのはよくない。
(会えないからって、無茶ばかりして……。よし)
「ルーク様、ちょっと待っててください!」
私は保育室に戻ると、余っていた小さなノートに手書きで線を引き、表紙に『れんらくちょう』と書き、可愛らしいアレクシス様の似顔絵を添えた。
そして、さらさらと文字を書き込み、ルーク様に手渡した。
「これを、アレクシス様に渡してもらえますか?」
「これは……?」
「保育園で、保護者の方とやり取りする『連絡帳』です! 直接会えなくても、これならお互いのことが分かりますから!」
* * *
数時間後。王宮の執務室。
相変わらず氷のオーラを纏って書類を捌くアレクシスに、ルークは恐る恐るそのノートを差し出した。
「殿下、リリアーナ様から、こちらを……」
アレクシスは訝しげに『れんらくちょう』と書かれたノートを受け取り、パラリとページをめくった。
『きょうの リリアーナ:おひるごはんを ぜんぶたべました! おさんぽで、きれいなおはなをみつけましたよ。』
『アレクシスさまへ:ルークさまから、アレクシスさまがご飯を抜いてお仕事をしていると聞きました。どんなにかっこいい王子様も、お野菜を食べてちゃんと寝ないとダメですよ! しっかり頑張れたら、次に会えた時に、いっぱい「よしよし」しますからね!』
――その瞬間。
執務室を包んでいた氷点下の空気が、嘘のようにパァァァッと春の陽気に変わった。
「…………リリアーナッ!」
ルークが目を見張る中、冷徹な第七王子の表情が一瞬にしてだらしなく緩み、そのまま机に突っ伏した。
アレクシスはノートを顔の前に掲げ、その文字を穴が空くほど見つめ、口元を片手で覆ってプルプルと震え始めた。
「……ルーク」
「は、はい」
「……っ、俺の体を気遣って……しかも、よしよしだと……? なんて愛おしいんだ。おいルーク、至急この紙を入れる『純金製の額縁』を手配しろ」
「いや、れんらくちょうを額縁に飾るのは」
思わずツッコミを入れてしまったルークを無視し、アレクシスは真剣な顔で羽ペンを握り直した。
「すぐにお返事を書く! 早く俺の返事を彼女に届けろ!!」
「は、はい!」
* * *
夕方。再び保育園にやってきたルーク様は、死んだ魚のような目で私にノートを突き出した。
「リリアーナ様……殿下から、お返事です……」
「わぁ、ありがとうございます! どれどれ……?」
ページを開くと、そこには王族の公文書に使われるような、惚れ惚れするほど美しく流麗な文字で、こう書かれていた。
『きょうの アレクシス:反対派の貴族を完璧に論破し、予算案の修正を終わらせた。夕食のトマトも残さず食べた。』
『リリアーナへ:早くお前に会いたい。約束通り、よしよしという『ご褒美』を心待ちにしている』
(……文章は立派なのに、書いてる内容が完全に園児だ!!)
「ふふっ、あはははっ!」
私はたまらず噴き出し、ノートを胸に抱きしめた。
どんなに遠くにいても、どんなに忙しくても、彼は私を思ってくれている。それが痛いほど伝わってきて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……あの、リリアーナ様。私の気のせいでしたら申し訳ないのですが」
「はい?」
「私は国を動かす第七王子殿下の側近のはずなのですが、いつの間にか『園児の保護者』になった気分です……」
「た、たしかに!!! あっははは!お、おもしろ!おもしろすぎる!!!!」
「ぶ、あっはっはっは」
涙目で訴えるルーク様もついには耐えられなくなり、二人で涙が出てくるほど笑って、明日渡す連絡帳のページに、また新しいメッセージを書き始めるのだった。




