第18話:本物の宰相
小鳥のさえずりと、天蓋の隙間から差し込む眩しい朝日で目を覚ました。
(……なんだ、この豪華すぎる天井がついたベッドは)
ふかふかすぎるベッドの中でまばたきを繰り返し、そして昨晩の――甘くて、熱くて、頭が真っ白になるほど蕩かされた記憶が鮮明になだれ込んでくる。
ガバッ!
顔から火が出そうになり、私は弾かれたようにベッドから跳ね起きた。
隣を見ると、銀糸の髪を乱したアレクシス様が、シーツから逞しい肩を覗かせて気持ちよさそうに眠っている。
(む、無理! 恥ずかしすぎる! 逃げなきゃ……!)
限界突破した羞恥心で胸がいっぱいになり、私はそそくさとベッドを抜け出し、用意されていた仕事着へと大急ぎで着替えた。
抜き足差し足で、音を立てないように部屋の重厚な扉を開ける。
しかし。
「……えっ?」
目の前に広がっていたのは、見渡す限り延々と続く、ふかふかの赤絨毯が敷かれた見知らぬ大回廊だった。
(……出口、どこ!?)
右も左もわからない王城の圧倒的な広さに絶望し、私はゆっくりと後ろを振り返った。
すると、いつの間にか目を覚ましていたアレクシス様が、ベッドに肘をつき、楽しそうな顔でこちらを眺めていた。
「おはよう。この俺を置いて逃げるなんて、不敬じゃないか? リリアーナ」
「ふ、不敬!? お、おはようございます……っ!」
シーツを腰に巻いただけの反則的な姿に、私は慌てて視線を逸らした。
そんな私を見て、彼は喉の奥でくくっと笑う。
「そんなに急がなくても、まだ時間はある。朝食ぐらい食ってけよ」
彼が手元のベルを鳴らすと、間もなくルーク様が朝食を乗せたワゴンを押して入ってきた。
「おはようございます、殿下、リリアーナ様。昨晩は『よく眠れましたか?』」
意味深な笑みを浮かべるルーク様に、私は顔を真っ赤にして俯くしかない。
すると、私が俯いているのをいいことに、ルーク様がアレクシス様に向かって無言で『グッジョブ』と親指を立てるのが、ふと顔を上げた私の視界の端にバッチリ映り込んだ。
「っ、バカやろ……!」
アレクシス様はバツが悪そうに眉間を寄せ、耳まで真っ赤にして小声でルーク様を睨みつけている。
(……ずいぶん仲良いんだな、あの主従)
そんなやり取りの後、私たちは二人でテーブルに向かい、優雅な朝食をいただいた。
「俺は今日、第七王子としての公務があるから、保育園は休みだ」
「そ、そうなんですか」
(よ、よかった……!!)
私は内心でこっそり、盛大な安堵の息を吐いた。今日一日アレク先生と一緒だったら、昨日の今日で絶対に心臓がもたないところだった。少し気を休められる。
「……なんか今、ちょっとホッとした顔しなかったか?」
「気のせいです!」
ジト目で見てくるアレクシス様から目を逸らし、私は残りの紅茶を飲み干した。
朝食後、アレクシス様は王城の玄関まで私を見送ってくれた。
「いってらっしゃい。またな」
ポン、と優しく頭を撫でられ、用意された豪華な馬車に乗り込む。そのまま馬車は、私の職場である保育園へと直行した。
* * *
リリアーナを乗せた馬車が見えなくなるまで見送り、アレクシスは振り返った。
その顔からは、彼女に向けていた甘くだらしない表情が消え、王族としての冷徹で知的な顔つきへと変わる。
「殿下。宰相閣下がお待ちです」
「ああ」
ルークの言葉に頷き、アレクシスが向かう先は、国の重鎮が集まる会議室。
目的はただ一つ。彼女が『第七王子の妃』という身分になっても、大好きな保育士の仕事を今まで通り続けられるよう、宰相たちと真っ向から交渉をするためだ。
「……俺の可愛い婚約者のためだ。何が何でも認めさせてやる」
誰にも邪魔はさせない。
そう低く呟き、第七王子は回廊を歩き出した。
重厚な扉を開け、広大な会議室に足を踏み入れると、長机の奥で白髪交じりの壮年の男が優雅に茶を飲んでいた。
この国の内政を取り仕切るトップ、宰相その人である。
「やあ、第七殿下。わざわざご苦労様です。……して、本日の議題は?」
どこか腹の底を見せない笑みを浮かべる宰相に対し、アレクシスは一切の躊躇なく、真っ直ぐに要求を突きつけた。
「……閣下。単刀直入に言う。俺は先日、アシュレイ男爵家の娘と婚約した。だが、彼女には今後も保育士の仕事を続けさせたい。貴族院の連中が何と言おうと、閣下の権限で黙らせていただきたい」
アレクシスが冷徹な声で言い放つと、宰相は手にしていた資料から顔を上げ、ふっと口角を上げた。その目は、政治家としての鋭さよりも、どこか「同好の士」を見つけたような奇妙な光を宿している。
「ほう。……あのアシュレイ男爵家のご息女……リリアーナ先生、ですか」
「……なぜ、名前を」
アレクシスが警戒して眉をひそめる。すると宰相は、懐かしむように目を細めた。
「先日のお遊戯会。実は私も、一保護者として足を運んでいましてな」
「っ……!」
「あの、毛布と廃材でできた見事な『段ボール要塞』。そして何より、パニックになった王子役の子を舞台裏から見事に支え、劇を成功に導いた彼女の献身的な姿。……実に見事でした。それと同時に――」
宰相はティーカップをコトリと置き、ひどく楽しげに目を細めた。
「風邪だと言って顔の半分を覆う不自然な布マスクを被り、劇が終わった後、私に挨拶もせずに煙のように逃げ去った『怪しい助手』のことも、しっかりと拝見しておりましたよ。第七殿下」
「……バレていたか」
アレクシスは苦虫を噛み潰したような顔になり、深いため息を吐いた。
「ええ。我が家のレオが『アレク先生』という男をライバル視して、毎日悔しがっていましたからな。気になって少し調べさせてもらいました。まさか王族が下働きをしているとは思いませんでしたがね」
「……」
「実はあまりの彼女の有能さに、我が家で専属の乳母として、今の数倍の給与で雇い入れようと裏で手配を進めていたところだったのですよ。……まさか、殿下に先を越されるとは思いもしませんでしたが」
「まったく、いい人財を奪われましたよ」と、肩をすくめて笑う宰相。
アレクシスの喉の奥から、独占欲の混じった低い唸りが漏れた。
「……彼女は俺のものだ。例え閣下でも、絶対に渡しはしない」
「ははっ、ご安心を。婚約者とあっては、もう無理な勧誘はいたしません。……いいでしょう、彼女が働き続ける件、私が責任を持って調整しましょう。ただし——」
宰相はゆっくりと背もたれに寄りかかり、それまでの「政治家」としての顔から一変、どこか底意地の悪い「父親」の顔を覗かせた。
「いくつか『条件』を飲んでいただきます。まず、殿下。お遊戯会であれほど立派な劇を演じ、大人を信じている子どもたちに対し、いつまでも正体を隠しているのは教育上よろしくない。……自分の口から、真実を話しなさい。そして、騙していたことをきちんと謝るのです」
「……っ」
「同じ王宮のある街に住んでいるのです、いずれ必ずバレる。それに、子どもたちにとって『本物の王子様』が身近にいて、間違いを犯した時に誠実に謝る姿を見ることは、何よりの生きた学びになりますからな。……これは、レオの父親としての頼みでもあります」
政治的な圧力ではなく、一人の「親」としての言葉。保育園で彼らの成長を間近で見てきたアレクシスにとって、それは断れるはずのない最も重い言葉だった。
「……分かった。俺の口から、必ず説明して謝罪しよう」
「よろしい。そしてもう一つ」
宰相は、レオのあの生意気な笑顔にそっくりな、意地悪な笑みを浮かべた。
「身分を隠した名もなき『助手』では、周囲への示しがつきません。本日付で、殿下をあの保育園の『副園長』、および『施設管理者』として正式に任命いたします。王族の公務として、堂々と彼女をお支えなさい」
「なっ……! ふ、副園長……っ!?」
予想外の役職に、アレクシスは思わず素っ頓狂な声を上げた。
今まで散々リリアーナに「エプロンの紐を結べない助手」扱いされていた自分が、いきなり彼女の「上司」に近い立場になる。
「これでもう、ただの『アレク先生』ではありませんよ、副園長殿。……子どもたちと、大切な婚約者殿の笑顔のため、大いに励まれることを期待しておりますぞ」
交渉は終わりだとばかりに立ち上がりかけた宰相が、わざとらしくポンと手を打った。
そして振り返ったその顔は――先日の劇で息子が見せた演技など比にならない、この国の裏を牛耳る『本物の悪役』そのものの、ひどく黒くて楽しげな笑みを浮かべていた。
「ああ、もちろん副園長の業務規定として『園児の前でリリアーナ先生と過度にイチャつくこと』は全面禁止です。息子が泣くのでね」
「っ……! 職権乱用にも程があるだろうが!」
完敗だった。
この食えない宰相も、自分をライバル視してくる五歳児のレオも。
アレクシスは大きなため息をつきながら、真実を知った子どもたち——そして何より、「アレク先生」が「副園長」になったと知った時のリリアーナの顔を想像し、ひそかに頭を抱えるのだった。




