第15話:第七王子 vs 宰相の息子
「子どもでも男は男だ!!」
そう言って本気で顔をしかめる彼に、私は思わず吹き出しそうになった。
(本当に、どうしてこの人はこんなに不器用で、愛おしいんだろう)
「……もう。分かりましたよ、殿下。善処します」
私がふわりと微笑んで頷くと、アレク先生改め、アレクシス殿下の動きがピタリと止まった。
そして、応接室を退出するために扉へ向かおうとした私の腕を、背後からぐいっと引き寄せる。
「えっ……んっ!?」
振り向いた瞬間、不意に唇が重なった。
保育園での彼からは想像もつかない、ひどく甘くて熱い、大人の口づけ。
頭が真っ白になり、へたり込みそうになる私の腰をしっかりと抱きとめながら、彼はゆっくりと唇を離した。
ほんのりと頬を染め、酷く意地悪で、それでいて最高に嬉しそうな笑みを浮かべて彼が囁く。
「……やっとキスできた。ずっと、ガマンしてたんだからな」
(〜〜〜っ!!)
身分を隠したツンデレ王子の不意打ちの破壊力に、私の顔は林檎のように真っ赤に茹で上がったのだった。
* * *
「はぁ……、まだ信じられない」
昨日の今日で、私の心臓はまだお遊戯会の太鼓のようにバクバクと鳴り止まない。
あのアレク先生が、まさかの第七殿下。しかも「嫁になれ」だなんて。
(……待って。私、殿下に対して『子どもに小僧とか言わないでください!』とか『エプロンの紐くらい自分で結んでください!』とか、散々偉そうに説教してこなかったっけ!?)
思い出せば思い出すほど、不敬罪で首が飛びそうな記憶ばかりが蘇る。
これからどんな顔で接すればいいのか、どんな敬語を使うべきなのか。パニックで顔を青くしたり赤くしたりしていると、背後から聞き慣れた声がした。
「おはようございます、リリアーナ先生!」
振り返ると、そこにはいつも通りの、いや、いつもより三割増しくらいで爽やかな笑顔を浮かべたアレク先生が立っていた。マスクもしておらず、隠しきれない「幸せオーラ」が全身から漏れ出している。
「おっ、お、おはようございます……アレク、殿……先生」
「あはは、変な呼び方。今日は一段と顔色が賑やかですね?」
そう言って、彼は至近距離まで顔を近づけてくる。昨日の熱い口づけを思い出して、私の顔面は一瞬で沸騰し顔を逸らした。
そんな私たちの間に、スッと小さな、けれど圧倒的な存在感を放つ影が割り込んだ。
「……リリアーナ先生。この無能な男が、また何か失礼を?」
冷徹な声の主は、宰相の息子にして五歳の天才児、レオくんだ。
彼は冷ややかな視線でアレク先生を一瞥すると、私の手をギュッと握りしめた。
「レオくん!? おはよう。今日もビシッとしてるわね」
「リリアーナ先生。僕は決めました。将来、僕があなたを妻として迎え入れます。父上にも、しかるべき手続きを済ませるよう手紙を書いておきましたから」
「……は?」
(というか、レオくん、口調変わってない?)
固まる私の横で、アレク先生の笑顔がピキッとひび割れた。
「おい、レオ。今、なんて言った?」
「言葉の通りです、アレク先生。あなたのような、子供に混じって泥んこ遊びしかできない男に、リリアーナ先生は勿体ない。彼女に相応しいのは、次期宰相として国を支える僕です」
五歳児とは思えない理路整然とした宣戦布告。
普通の大らなか大人なら「頼もしいわね」と笑うところだが、この第七王子は違った。
「……ふん。リリアーナには、もう先約がいるんだよ。お前みたいな鼻垂れ小僧の入る余地はないね」
「先約? 嘘ですね。先生にそんな浮いた話はありません。先生、本当ですか?」
レオくんに真っ直ぐな瞳で見つめられ、私は言葉に詰まる。
「実は昨日、隣の王子の影武者だと思ってたアレク先生にプロポーズされて……」なんて言えるはずがない。
「ほら、先生も困ってるだろう。いいかレオ。男の価値は口先じゃなく、結果で示すもんだ」
「望むところです。では、どちらがリリアーナ先生の隣に立つに相応しいか、勝負しましょう」
こうして、大人げない王子と、ませすぎた天才児による「リリアーナ先生争奪戦」の火蓋が切って落とされた。
* * *
【第一ラウンド:砂場での城作り対決】
「リリアーナ先生! 見てください、僕が作った『理想の王都(都市計画案付き)』です」
レオくんが作ったのは、排水溝まで再現された完璧な砂の都市だった。
「すごいわレオくん! 芸術的ね!」
「……チッ。あんな実用性重視の街、夢がねぇな。リリアーナ、見ろ。これが本物の『愛の要塞』だ」
アレク先生が作り上げたのは、昨日の段ボール工作の経験を活かした、細密な彫刻まで施された壮麗な砂の城だった。
「なっ、アレク先生!? 砂場で本気の建築技術使わないでください!」
【第二ラウンド:お昼寝のポジション争奪戦】
園児たちがお昼寝の時間。私は寝かしつけのために、トントンと背中を叩いて回る。
「リリアーナ先生……。僕の隣が空いています。ここが一番、安眠に適した湿度と温度です」
レオくんが隙のない手つきでシーツを叩き、私を手招きする。
「……あ、リリアーナ先生。こっちの園児が、どうしても先生にトントンしてほしいって泣きそうで。ついでに俺も、なんだか急に猛烈な睡魔が……」
「アレク先生、子どもをダシに使わないで! あと大人なんだから自分で寝てください!」
私が板挟みになって右往左往していると、アレク先生はレオくんにだけ聞こえるような低い声で囁いた。
「お前にリリアーナの隣はまだ早い。まずは牛乳を飲んで背を伸ばしてくるんだな」
「……くっ。その余裕、いつまで保てるか見ものですね」
砂場からお昼寝の時間まで、一歩も譲らない二人。
私はといえば、アレク先生の正体を知った緊張感と、レオくんのガチすぎるアプローチに挟まれ、お遊戯会本番よりずっと精神を削られる一日を過ごす羽目になったのだった。
* * *
嵐のような一日が終わり、園児たちが全員帰った後の静かな職員室。
私は自分のデスクに突っ伏し、今日一日で削られた精神力を回復させるべく、魂を口から吐き出していた。
(本当に私、第七王子の婚約者になったのよね……? まだ全然、実感がない……)
ぐるぐると頭の中で同じことを考えていると、不意に頭上から声が降ってきた。
「リリアーナ。日誌は書き終わったか?」
顔を上げると、そこには見慣れたエプロンを外し、軽く前髪を掻き上げたアレク先生――いや、アレクシス殿下が立っていた。
昼間、砂場で五歳児相手に本気でムキになっていた子供っぽさはどこに行ったのか。そこにいるのは、洗練された大人の色気を纏う『王族』そのものだった。
「えっ、はい。あとは戸締りくらいですけど……」
「そうか。じゃあ、行くぞ」
「へ? どこにですか?」
「決まってるだろう。俺の可愛い婚約者を、美味いディナーに連れて行くんだよ」
強引に手を引かれ、連れ出された保育園の裏口には、目立たないように紋章が伏せられた漆黒の高級馬車が待機していた。
御者台には、なぜか側近のルークが澄ました顔で座っている。
「こ、こんな保育士の地味な服で高級店なんて行けません!」
慌てる私に、殿下はニヤリと笑って、馬車の中から美しくラッピングされた大きな箱を取り出した。
「心配するな。お前のサイズに合わせたドレスと靴を用意してある。馬車の中で着替えてこい」




