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俺様王子は保育園で働きたい〜5歳児に本気で嫉妬する氷の王子から、激重に溺愛されています〜  作者: おおたまらん


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第11話:氷の王子

(……昨日は、最高だった)


 昼下がりの保育園。園児たちがお昼寝に入り、静寂が訪れた時間。

 俺は壁際に寄りかかりながら、無意識のうちに自分の左手を見つめていた。


 昨日、王都の広場でパレードの波に飲まれそうになったリリアーナを、咄嗟に引き寄せた。

 腕の中にすっぽりと収まった、あの華奢で温かい感触。見上げた彼女の、潤んだ青い瞳。

 普段はうるさいくらいに喋るくせに、俺の腕の中で赤くなって固まっていたあの顔を思い出すだけで、胸の奥が熱くなる。


(あのまま、王宮へ持って帰りたかった……)


 柄にもなく、心臓が大きく鳴った。

 いい雰囲気だった気がする。いや、間違いなく良かった。あのパレードの歓声と花火さえなければ、俺は確実に彼女の唇を奪っていたはずだ。

 今思い出しても、本当に惜しいことをした。キス、したかった。


 隣の部屋で日誌を書いている彼女の横顔を眺めながら、俺が悶々と昨日の余韻に浸っていた、その時だった。


「――本当に、信じられませんわ! 一体どういう管理をしているの!?」


 静かな園舎に、鼓膜をつんざくようなヒステリックな金切り声が響き渡った。


 声の主は、先日も園庭で騒ぎを起こしたベネット侯爵夫人だ。

 事の発端は、ほんの些細なことだった。園庭で子どもたちが追いかけっこをしている最中、侯爵令嬢のエマが転び、膝にほんの小さな擦り傷を作った。


 子どもが遊んでいれば日常茶飯事の出来事だが、不運なことに、早迎えに来た侯爵夫人がその瞬間を目撃してしまったのだ。


「申し訳ございません。目を離した私の責任です」


 リリアーナは、深く頭を下げていた。

 昨日、俺が選んだ新しい靴を履いて花が咲いたように笑っていた彼女。その小さな背中が、今は理不尽な怒声の標的にされ、小さく縮こまっている。


「謝って済む問題ではありませんわ! 我が侯爵家の娘の肌に傷をつけるなど、万死に値します! これだから、下級貴族の娘がしゃしゃり出る底辺の施設は……っ」


「エマちゃんは少し驚いただけです。傷も浅く、すぐに消毒して冷やしました。痕には残りません。どうか……」


「口答えする気!? この貧乏人が!」


 夫人の顔が、醜く歪んだ。


「だいたい、アシュレイ家のような貧乏男爵家が、なぜまだ王都にしがみついていられるのか不思議でなりませんわ」


「っ……父は関係ありません!」


 血の気が引くのが分かったのだろう。リリアーナの肩が、ビクッと跳ねた。


 彼女の家が生活に困窮していることは、ルークの側近調査で俺も知っている。婚姻前の未成年の令嬢が外で働かなくてはいけない理由もそこにあるのだろう。

 リリアーナが蒼白になって唇を噛み締めていると、夫人はフンと鼻を鳴らした。


「どうかしらね。今日は大事な用があるので帰りますが……精々、今のうちに笑っておくことですわ」


 夫人は扇子を乱暴に閉じると、青ざめるリリアーナを鼻で笑い、そのまま馬車へと乗り込んで去っていった。


 * * *


 あの一件から、リリアーナの様子は日に日に悪くなっていった。

 表向きは園児たちの前で「先生」として気丈に振る舞っているが、俺の目は誤魔化せない。


 子どもたちが帰った後の執務時間、彼女はふとした瞬間にぼんやりと虚空を見つめ、深い溜め息を吐くようになった。

 どうやら、侯爵夫人が残した『身の程を教える』という不気味な言葉は、ただの脅しではなかったらしい。リリアーナの父親が勤める王宮の図書管理部署で、不自然な監査が入ったり、理不尽な理由で減給の圧力がかかり始めていると、ルークから報告が上がってきたのだ。

 侯爵家が裏で手を回し、アシュレイ男爵家を真綿で首を絞めるように追い詰めているのは明白だった。


「……おい。聞いてるのか」

「えっ? あ、はい、なんでしょうかアレク先生」


 職員室で昼食の給食を食べている時でさえ、彼女は上の空だ。

 よく見れば、彼女の頬は数日前より少しこけ、食事も喉を通らないほど追い詰められている。


 ただの子どもの擦り傷で、実家に圧力をかけ、親の仕事と生活をジワジワと脅かして彼女の心を削っていく。それは、高位貴族が下級貴族を嬲る、典型的な権力を使った理不尽な暴力だ。


(……許さない)


 俺の奥歯が、ギリッと嫌な音を立てた。

 胸の奥で、ドス黒い怒りがマグマのように沸騰していくのがわかる。

 俺が……俺がどれだけ大事に扱おうと、必死に踏みとどまっていると思っている。


 日に日に痩せていくリリアーナを見て、俺の忍耐はついに限界を突破した。


 * * *


 その日の夕刻。

「な、何事ですの!? どこの不届き者か知りませんが、わたくしの馬車を止めるなど――ひっ!?」


 王城へ向かおうとしていたベネット侯爵夫人の馬車を人気のない裏路地に引きずり込み、俺は扉を蹴り開けた。


「ご機嫌よう、ベネット侯爵夫人。夜会へ向かう途中にお邪魔をして申し訳ない」


「あ、あなた……! 保育園の……! 衛兵! 衛兵を呼びなさい!」


「無駄ですよ、夫人。御者も護衛も、既に全員『眠って』いただいておりますので」


 俺の後ろから、側近のルークが冷ややかな笑みを浮かべて姿を現した。その手には、分厚い書類の束が握られている。


「な、なんですの、あなたたちは……っ」


「ただの保育士風情に、なぜ侯爵家の馬車を止められるのか……不思議か?」


 俺は馬車に乗り込むと、震える夫人の目の前に座り、足を組んだ。

 保育園でのエプロン姿ではない。王族だけが身につけることを許された、漆黒の外套と獅子の紋章。

 それを見た瞬間、夫人の顔からスッと血の気が引いた。


「まさ、か……王家の、紋章……? そ、そんな……」


「俺は第七王子、アレクシスだ。……お前が底辺だと見下したあの保育園で、身分を隠して働いている」


「だ、第七、王子、殿下……!?」


 夫人は座席から崩れ落ち、ガチガチと歯の根を鳴らして震え始めた。

 俺は無表情のまま、ルークから受け取った書類の束を夫人の足元にばら撒いた。


「お前の実家や夫の侯爵が裏でやっている、税のごまかしや違法な裏取引の証拠だ。……たかが下級貴族の娘一人をイジメ抜くために、随分と杜撰な圧力をかけてくれたようだな」


「ち、ちが、これは……っ!」


「アシュレイ男爵家への圧力を、今すぐ全べて撤回しろ。そして明日、真っ先にリリアーナの元へ行き、地面に這いつくばってでも謝罪しろ」


 俺は夫人の顔の横、馬車の壁を左手でドンッと殴りつけた。

 メキリ、と分厚い木材が軋む音に、夫人が短く悲鳴を上げる。


「いいか。あいつは俺の女だ。これ以上、あいつの笑顔を奪うような真似をすれば……ただでは済まさない。侯爵家ごと、物理的にも社会的にも消し飛ばしてやる」


「ひっ……! あ、あぁぁ……っ!」


「それと、俺が第七王子だということは絶対に口外するな。もしリリアーナや他の者に少しでも漏らせば……それがお前たちの最期だと思え」


 本物の殺気をぶつけられた夫人は、涙で化粧をドロドロに溶かしながら、ただ何度も何度も、狂ったように首を縦に振ることしかできなかった。


 * * *


 翌朝。

 リリアーナは、今日も朝から青白い顔をして園の門の前に立っていた。

 今日もまた侯爵夫人が抗議に来て、ついに解雇を言い渡されるか、実家が潰されると覚悟しているのだろう。その小さな背中が、痛々しく震えている。


 やがて、侯爵家の豪華な馬車が園の前に止まった。

 リリアーナがビクッと身を強張り、深く頭を下げる。俺は少し離れた場所から、ほうきで掃除をするフリをしてその様子を見守った。


「べ、ベネット侯爵夫人。本日は……」


「リリアーナ先生……!! ほ、本当に、本当に申し訳ありませんでしたぁぁっ!!」


「……えっ?」


 馬車から転がり出るように降りてきた夫人は、リリアーナの言葉を遮り、勢いよく頭を下げた。

 これまでの高慢な態度は見る影もなく、顔は真っ青で、ガクガクと震えている。


「わ、わたくしが間違っておりました! アシュレイ男爵家への件も、すべて取り計らい直します! どうか、どうかこの通りですわ! これからも、エマをどうかよろしくお願いいたしますぅっ!」


「えっ……あ、あの、夫人……?」


 突然の平謝りに、リリアーナは完全に思考が停止し、目を白黒させている。

 すると、夫人の後ろからエマがとてとてと走り寄り、リリアーナの腰にギュッと抱きついた。


「せんせぇ……っ、ごめんなさい……っ」

「エマちゃん? どうしたの、泣かないで」


「ママが、せんせいにこわいこと、いって……ごめんなさいっ。わたし、リリアーナせんせい、だーいすきなの……だから、やめないでぇ……っ」


 わあぁん、と泣きじゃくるエマの小さな頭を撫でながら、リリアーナの瞳からも、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。


「……うん、うんっ。エマちゃんは、何も悪くないよ。ありがとう……先生、どこにも行かないからね」


 リリアーナはエマをきつく抱きしめ返し、子どものように声を上げて泣いた。

 ここ数日、一人で抱え込んでいた恐怖と不安が、一気に涙となって溶け出していくように。


(……これで、いい)


 俺が助けたなんて、知られなくていい。

 俺はただの『アレク先生』として、あいつがここで笑ってくれるなら、それでいいのだ。


 ふと、顔を上げた侯爵夫人とバッチリ目が合った。

 俺はほうきを持ったまま、冷ややかな瞳で、ジロリと彼女を睨みつけた。


『……分かっているな?』


 声に出さずとも伝わったのだろう。

 夫人は「ヒッ」とカエルのような悲鳴を漏らし、逃げるように馬車へと駆け戻っていった。


 泣き笑いしながらエマの頭を撫でるリリアーナの横顔を見つめながら、俺はほうと小さく息を吐き、静かに微笑んだ。

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