9.大炎上
「では、俺たちはこれで」
「深月様、結様、ありがとうございました。またぜひ」
優雅な、けれどどこか威厳のある深月の一言に、西の天狗の妖、藤堂様が深々と頭を下げる。
500歳ほどに見えるしっかりとした厳格そうな男性である彼でも、深月には礼儀正しく、下手に出ていた。
それだけ深月は世界から見ても、由緒正しい上位の存在なのだ。
そんな深月とほんの少しでもいいからお近づきになりたい妖や人はたくさんおり、私たちは紫苑たちと別れた後も、ひっきりなしにやってくる彼らと、もうずっと交流を続けていた。
深月の腕に軽く手を置き、作られた微笑みの奥底で、「…つ、疲れた」と小さく肩を落とす。
それでもぱっと見は完璧なままの私に、一瞬深月は視線を落とした。
「結」
この会場の誰にも向けることのない、柔らかな声音が私を呼ぶ。
なんだろう?と深月の顔を見れば、深月は「おいで」とそのまま私の手を引き、ゆったりと歩き始めた。
そしてたどり着いた場所は、この会場内にあるビュッフェエリアだった。
ずらりと置かれたテーブルには、たくさんの出来立ての料理が並べられ、壁側には簡易キッチンまで用意されており、その場で料理が作られている。
ビュッフェ内の妖や人たちは皆、立食で様々なものを食べていた。
目には大量の美味しそうな料理が映り、鼻先を最高の香りがかすめる。
ここはおそらく食べ物天国だ。
疲れている私には、あの美味しそうな料理たちが「こっちにおいで」と誘っているように見えた。
「お、美味しそう…!」
「だよね、どれ食べよっか」
キラキラと目を輝かせている私に向けられた深月の表情があまりにも優しく、胸の奥底がじんわりと温かくなる。
おそらく私の疲れに気づき、わざわざここへと足を運んでくれたのだろう。
深月の気遣いに嬉しくなりながらも、改めて私はじっくりと食べ物を見つめた。
サラダにフルーツ、新鮮な海鮮に種類豊富なお肉まで。
どれもこれも美味しそうで、視線が忙しく動き回る。
何を食べよう、と悩んでいると、深月はある場所で足を止めた。
その為、深月と歩いていた私もその場で止まった。
「深月?何にするか決めたの?」
何となく深月を見上げるが、深月は目の前に並ぶテーブルには、視線を向けていない。
その赤い瞳は壁側にあるキッチンの方をじっと見つめている。
どこか愉快そうな深月の表情は、食べたいものを見つけたというよりは、何か面白いおもちゃを見つけたようなものだった。
「結、あれ」
どこかおかしそうにほんの少し離れた場所を指差す深月。
その先を辿れば、そこには見慣れた人物がいた。
「ステーキ2枚ですね。どうぞ」
相変わらずの仏頂面で、キッチンからステーキを提供している人物は、綺麗に整えられた短すぎず長すぎない黒髪の上にコック帽を被っていた。
涼しげな奥二重から覗く青色の瞳と、伊達メガネが特徴的なあのコックは晴彦先輩だ。
晴彦先輩は何故か、料理を提供する側として、キッチンで手際よく働いていた。
見知った顔、それもあの晴彦先輩なら嬉しくもなるものだ。
「せーんぱい」
気がつけば、深月はいたずらっ子のように笑いながら晴彦先輩の元へと向かっていた。
もちろん私も一緒だ。
「…」
私たちの顔を見た晴彦先輩は露骨に嫌そうな顔をした。
顔に思いっきり、「最悪」と書かれてある。
「…なんだ。仕事の邪魔だけはするなよ」
もう迷惑そうな晴彦先輩に、深月はさらに笑みを深めた。
私も相変わらずな晴彦先輩に、思わず笑みが溢れる。
先ほどまで高貴な方々の相手ばかりしていたのだ。
やはり、気心の知れた先輩が相手だと気がとても軽い。
「お疲れ様、先輩。ステーキ、とりあえず一切れ、お願いします」
ふふ、と楽しそうに微笑み晴彦先輩に声をかけると、晴彦先輩は疑い深そうにこちらを見た。
「何を企んでいる?」と言いたげな瞳のまま、「かしこまりました」とあくまでシェフとして、頷いた晴彦先輩が早速調理を始める。
「先輩も学院を休んでここにいるの?」
手際よく動く晴彦先輩の手元に視線を落としながら、何となくそう質問する。
すると、晴彦先輩は淡々と口を開いた。
「ああ、この仕事は破格の給料がもらえるからな。勉強も大事だが、その前に金がないと生きていけないだろ」
平然と答えた晴彦先輩は、分厚い肉を鉄板に乗せた。
じゅー、と肉の焼ける音と共に、肉が小刻みに揺れる。
それを真剣な眼差しで見つめる晴彦先輩に、私は複雑な気分になった。
彼は神隠しに遭った天涯孤独の身。
たった数年前までは、本当の家族と共に生きていたのに、彼は妖になってしまった。
頼るところもなく、身一つで生き延びなければならない。
「ここでの売り上げは俺のボーナスに直結する。だからいくらでもステーキを食べていいんだぞ」
「一切れで十分でーす」
それでもその苦労を感じさせない晴彦先輩の逞しさに、私は思わず笑ってしまった。
たった17年しか生きていない赤子のような彼だが、赤子のように弱い存在ではなかった。
本当に、強い人だ。
私たちのやり取りを聞いていた深月が突然、閃いたように、ぽん!と手を叩いた。
その瞳はとてもキラキラと輝いている。
…まるでタチの悪いいつものイタズラをする前触れのように。
「先輩、俺が先輩を助けてあげるよ」
「…はぁ?」
深月の言葉に、晴彦先輩は怪訝そうにステーキからこちらに顔を上げた。
そして目を大きく見開いた。
深月が懐から札を取り出していたからだ。
「おい!やめ…」
何かを察知し、深月の行動を止めるように声を上げた晴彦先輩だったが、時はすでに遅く。
深月は自身の右手にある札に妖力を込めていた。
深月の妖力によって、ゆらりと札が揺れ、晴彦先輩の鉄板の方へと飛んでゆく。
それからそれは鉄板のもとへと辿り着くと、炎へと変わり、天井に燃え移りそうなほど大きな火柱になった。
つまり、晴彦先輩の鉄板、大炎上だ。
この大炎上に一瞬、会場は静まり返った。
「な、何をする!」
あわや大惨事の状況に、顔を青くし、深月を非難する晴彦先輩。だが、深月は楽しげに笑みを深めた。
さすが深月、とてもタチの悪いイタズラだ。
まさかこの世界中のお偉い方が集まる会合で、こんなことをするとは。
…けれど、きっと理由あってのイタズラなのだろう。
「いやぁ、君、すごいね!妖術の炎柱でステーキを焼くなんて!見た目も派手で楽しいし、何より美味しい!」
「は、はぁ!?」
深月のわざとらしい大きな声がビュッフェ会場に響く。
わけのわからない状況に、あわあわしている晴彦先輩だったが、一瞬静まり返った会場の高貴な方々の視線はとても肯定的なものだった。
「なんて派手なパフォーマンスだ!」
「あんなもの見たことがないぞ!」
「しかも美味いらしい!」
「あら!シェフの方もイケメンだわ!」
様々なところから興味の声や視線が、一斉にこの場に向けられる。
そうして彼らはどんどんこちらへと集まり始めた。
あまりの熱気に、軽いお祭り騒ぎである。
あの深月様の絶賛に、あまりにも目立つ炎柱。
そこには、あたふたしているが、見目の大変麗しいコックまでいる。これにて、この会場一、人の集まる場所の完成だ。
「ステーキ、ありがとう、先輩。これでいっぱい稼げるね」
唖然とする晴彦先輩からサッとステーキの乗ったお皿を受け取ると、深月はおかしそうに手をひらひらさせ、私を連れてこの場から離れた。
深月のタチの悪いイタズラはこの為だったらしい。
やり方をもう少し考えた方がいい気もするが、遠くから眺める晴彦先輩は状況を飲み込めていないながらも、テキパキと動いており、それが少し面白くて、私は思わず笑ってしまった。
ーーー本当、深月らしい。




