10.西帝国皇太子
窓から見える月の位置が、会合開始から大きく変わった頃。
何か騒動が起こることもなく、滞りなく交流の続いた会合終盤。
「深月」
後ろから透き通った、けれどどこか威圧感のある声が深月を呼んだ。
馴染みのない声だ。
深月と共に後ろを振り返ると、そこには黒とほんの少しアクセントに銀色をあしらった和服を着た私たちと同世代くらいの美丈夫がいた。
硬そうな銀髪は毛先だけが黒く、無造作にセットされている。その下から覗く、切れ長のこれまた銀の瞳は深月をじっと見つめていた。
深月とほぼ同じ身長で、筋肉質なうえに手足も長く、スタイルも良い。まるで銀色の気高きオオカミのような彼。
彼は私たちと同じ死神で、西帝国の皇太子である一条桃矢だ。
実際に会うのはこれが初めてだったが、写真で彼の姿を何度か見たことがあるので、彼こそがあの一条桃矢なのだと私はすぐにわかった。
死神界のトップは神園だ。
そして、死神の中で唯一神園と肩を並べられる一族が、一国を治める皇族である一条なのだ。
「ああ、桃矢か」
深月は一条桃矢に気がつくと、社交的な笑みを浮かべた。
「なかなかつまらない時間だったな、深月」
「まあね」
深月にゆったりと近づいてきた一条桃矢が、言葉通りつまらなそうに笑い、深月も同じように眉を下げる。
2人の間には、高貴な方々と接する時とは違い、気心の知れた、どこか砕けた雰囲気があった。
そんな2人のやり取りをただじっと窺っていると、ふと、一条桃矢の視線が深月の隣にいる私に向けられた。
「そいつが例の?」
頭からつま先まで物色するように私を見たあと、私に挨拶するでもなく、彼が深月に話を振る。
…またか。
こういった品定めされるような視線はこの社交界ではよくあるものだ。
突然変異種であるなら特に、だ。
気持ちのよいものではないが、もう慣れたので、私は顔色一つ変えず、何事もない表情でいた。
「そう。うちの結だよ」
深月に柔らかい視線を向けられ、私は慣れた様子で「結です」と礼儀正しく頭を下げる。
突然変異種の私には、当然、名乗る名字がない。
「噂はかねがね。一条桃矢だ」
不敵に瞳を細め、スッと差し伸ばされた一条桃矢の手を取り、私も友好的な笑みを作る。
じっとこちらを見つめる銀色の瞳は、どこか鋭く、まるで全てを見透かしているかのようで、ほんの少し苦手だと感じた。
そんな一条桃矢の半歩後ろ。
そこには、この煌びやかな会場ではあまり見ない使用人のような着物を身につけている同世代くらいの少女がいた。
灰色の肩にかかるくらいの内巻きボブに、長めの前髪の奥から見える黄色の瞳。
可愛らしいが、ほんの少し感じる幸薄感。
感情を失っているかのようなその表情は、どこか目を引くものがあった。
さらにあの格好だ。
ここにいる者は会合に参加している高貴な方々と、その方々を接待、あるいは護衛する運営側の者で分かれている。
高貴な方々は高貴な服装を、運営側は制服等を着ている中、使用人のような格好をしているのは彼女だけだった。
「それにしても、確かに強力な妖力を感じるな。こんなにも強力な力の持ち主もそういない」
私から手を離し、一条桃矢が深月に視線を戻す。
深月はその視線に、赤色の瞳を怪しげに細めた。
「妖力が強いだけの妖なら、そこら中にいるよ。けど、結はその妖力を最大限に活かした妖術が使える。できないことはないからね、結には」
「ふ、かなり褒めるんだな。それだけお墨付きなのか」
「ただ事実を述べたまでだよ」
一条桃矢の言動は、まるで私がただの物であり、その所有者は深月であるかのようなものだった。
突然変異種に対して、そういった考え方をする妖は一定数存在する。
突然変異種は負の感情や呪いのような力が集まり、突然生まれる。それ故に特異であり、強い。
そんな突然変異種を幼い頃に囲み、自身の財産とすることもよくある話なのだ。
妖は本来、強い者が正義だ。
人と共存を選んだ東では、そういった考え方は薄れつつあるものの、未だに妖一強が続く西では、今でも強さこそが全てだった。
神園の深月に保護され、こうして自由を謳歌している私は運がいい部類なのだ。
「強い奴はいい。だが、弱い奴も悪くない。比べる対象がなければ、強さなど到底証明できないからな」
くくっと愉快そうに笑う一条桃矢に、まさに西の妖らしいという感想を抱く。
私も一条桃矢と同じ妖だ。
根本は同じであり、彼に…いや、彼らの強い者こそが正義であるという考え方には、本来共感できるものがあるのだろう。
それが妖の本能なのだから。
…が、それでも私は強さこそが全てで、だからこそ、弱い者を好きに扱ってもいい、という妖らしい考え方は性に合わなかった。
あまりいい気持ちになれるものではない、と思えてしまう。
「桃矢の考え方は相変わらずシンプルでいいね。西は自由だ。東はいろいろとしがらみがある」
一条桃矢の話に、深月は冷たく微笑む。
そんな深月に、一条桃矢はおかしそうに笑った。
「なんだ?ついにうちに来る気になったか?強いやつは大歓迎だぞ?」
「違うよ」
すぅっと、深月が赤い瞳を細める。
深月のまとう空気は変わらず、柔らかく友好的なものだ。…が、どこか威圧的なものがそこに入り混じる。
まるで先ほどまで相手にしていた高貴な方々に向けていたもののように。
「その自由さこそが、西が我が国に及ばない理由だろう?手を取り合うことは簡単なことではないけれど、そこには必ずそれ相応の対価が発生する」
「人間らしい思考だな」
「ふふ。この思考こそが東を大帝国にした所以だよ」
お互いに微笑み合う深月と一条桃矢だが、あまり和やかな雰囲気には見えない。
息の詰まるようなやり取りに、私はただただその終わりを待っていた。
お偉いさん方との話を聞かされている時と全く同じ、つまらない時間だ。
紫苑や凪、晴彦先輩と穏やかに話していたあの時間が恋しい。
「結」
突然変異種の私など目もくれず、深月と話し続けていた一条桃矢が突然、私をその鋭い銀色の瞳に映す。
「お前にもかなりの見込みがある。西帝国はお前のようなやつを歓迎する。東のやり方に思うところがあるのなら、うちに来い」
「…はぁ」
不敵に細められた一条桃矢の瞳に、私は思わず間の抜けた返事をした。
急に何?
平静をなんとか装ってはいるが、どうしても怪訝なオーラが滲み出てしまう。
正直、東のやり方に思うところなど一切ない。
何千年も続いた妖と人が対立する歴史。
それを色濃く受け継ぐ西とは違い、東は人との共存を選んだ。
強さも弱さも関係ない。
それぞれがそれぞれの良さを活かし合う、そんな東のやり方の方がずっと私の性に合う。
それに仮に思想の違いから東を出るとするなら、向かう先は南だ。
南共和国はそれこそ、東以上に妖と人が手を取り合う、世界一平和な国づくりをしている。
この強すぎる西の思想を持つ高貴な皇太子様になんと答えれば失礼にならないか、ほんの一瞬だけ考えていると、隣から柔らかな声が聞こえた。
「それはダメ」
柔らかいはずなのに、滲み出る不機嫌さ。
深月はふわりと笑っていたが、その目は明らかに鋭かった。
深月のことをよく知る者でなければ、この不機嫌さは伝わらないだろう。
「結は俺専用の女中だよ。そっちに渡すわけないでしょ」
「でも最終的に決めるのは結だろ」
「いや、俺だよ」
呆れ気味に笑う一条桃矢を、食い気味で深月が否定する。
「ふ、本当にお気に入りなんだな」
「そうだよ」
おかしそうに口元を歪める一条桃矢は心底、面白そうにしていた。
そんな一条桃矢など構わず、深月はただただいつも通り頷いている。
和やかなような、それでもどこか威圧感のあるような、そんな雰囲気が漂う中。
「深月」
この誰もが近寄りがたい空間に、物おじせず入ってきた者が現れた。




