7.1日の終わり
午前7時。
バイトを終えた私は眩しい朝日を受けながら、一軒家の扉をガラガラと開けた。
この平屋は、一人暮らしがしたいと言った私に、深月が与えたものだ。
最初は自分で見つけるからいい、と丁寧に深月の申し出を断ったのだが、それは断固拒否され、どこぞの有力一族や貴族の別邸のような家を紹介されてしまった。
一人暮らしするには多すぎる部屋に、池や自然の広がる庭まである。
こんな広い家、正直1人ではとてもじゃないが管理できない。
そう深月に訴え、私にちょうどいい家に変えてもらおうとしたが、お坊ちゃま深月は少々ズレており、この家に様々な使用人を派遣してきた。
庭師、従者、女中、料理人がぞろぞろとやって来た時は、どれほど驚いたことか。
あの光景を目の当たりにして以降、私は文句を言うことをやめ、使用人たちの派遣もやめるように伝えた。
家に入り、一人暮らしをするには長すぎる廊下を移動する。
こんな立派すぎる家、家賃がとんでもない額になるはずだが、深月はそれを要求しなかった。
それどころか家賃分も自分のそばで働くように、と言ってきた。
私は独り立ちがしたかった。
けれど、神園を出てみたはいいが、社会勉強として始めたアルバイト先には毎回深月が押しかけ、住まいも深月の提供先、収入もほぼ変わらず、深月の女中のままでは、あまり独り立ちしたとは言えない気もする。
…まぁ、いきなり1人で全部しようとするのは大変だし、こうして深月の力を借りつつ、少しずつ自立する方がいいのかもしれない。
むしろ、そこは恵まれている部分ではあるし。
そんなことを思いながらも寝室に荷物を置くと、そのままキッチンへと向かい、私はエプロンへと手を伸ばした。
今日は何を作ろうかな…?
頭に保冷庫の中身を思い浮かべてみる。
買い物をしたのは3日ほど前だ。
そろそろ食材も減りつつはあるが、まだ何があっただろうか…。
確認しようと、保冷庫の取手を掴んだ、その時。
チリーン、と呼び鈴が鳴った。
この時間の訪問者といえば…。
ふと、私の頭の中にとある人物が浮かぶ。
保冷庫の取手から手を離し、「はーい」と足早に玄関へと向かえば、そこにはやはり、頭に浮かんだ人物が立っていた。
朝日を浴びてキラキラと輝く白金の髪に、こちらをまっすぐ見つめる黄金の瞳。
まるで宝石のような輝きを放つ美少年、紫苑だ。
「お腹空きました」
紫苑は無表情のまま、至極当然のようにそう言った。
その姿に、私は思わず笑ってしまった。
紫苑はあの狐森のご子息だ。
何かを食べたいと望み、それを口にすれば、彼自身が動かずとも、どんなものでも彼の前に運ばれる。
それでも紫苑は、「お腹が空いた」と、わざわざここへ来て、当然のように言うのだ。
「ご飯なら紫苑の家にもあるでしょ?」
ほんの少し呆れたように問いかければ、紫苑は眉ひとつ動かさず淡々と言った。
「今日はアナタのご飯が食べたい気分なんです」
私の了承も得ず、「お邪魔します」と紫苑がうちの玄関を潜る。
その姿があまりにも学院の時とは違い素直で、私はますます笑ってしまった。
いいとこのご子息らしく、紫苑も深月と同じように我が道を行くタイプだ。
紫苑とこんな関係になったのは、約半年前。
この家のお隣に紫苑が引っ越して来たことが始まりだった。
学院入学を機に、社会勉強として一人暮らしを始めたらしい紫苑だが、その生活は隣から見ていても、ドタバタと慌ただしいものだった。
紫苑の家には、女中や従者が出入りしているのだが、それを取り仕切る紫苑自身があまりにも何もわかっていなかったのだ。
そこを含めて社会勉強だったのだろうが、毎日お隣から使用人たちの、
「ああ!食材を買いすぎてしまいました!」
や、
「ちょっ!誰ですか!こんなことをしたのは!」
や、
「紫苑様ー!紫苑様ー!」
と、聞こえてくるものだから、最終的に見かねた私は紫苑のことを助けた。
女中経験からどんな指示が必要か教え、時には私自ら動いて、円滑に業務が進むようにした。
最初は、私の過干渉を心底嫌がっていた紫苑だったが、次第にそれにも慣れ、今ではあんな調子だ。
「これから作るからまだ食べられないよ?」
「じゃあ、リクエストいいですか?」
「どうぞ?」
慣れた様子で茶の間に座った紫苑に、呆れたように笑う。
すると紫苑はまるでここが自分の家かのように、くつろぎながら口を開いた。
「肉じゃがが食べたいです」
表情一つ変えず、けれどもはっきりとリクエストを口にする紫苑に、思わず、かわいい、と思ってしまう。
学院では、自分よりも実力が上である私が心底気に入らないようだが、こういう時はやけに素直だ。
世の中の弟というやつはこんな感じなのだろうか。
「いいよ」
笑顔で紫苑の要望に応えると、紫苑は嬉しそうにその黄金の瞳を細めた。
うん、まるで弟のように愛い奴だ。
「ご飯の後は妖術で力比べしませんか。あんな形で負けたままでは眠れません」
「えぇー。勘弁してよぉ。もう今日は疲れたぁ」
「お金払います」
「…一回だけよ?」
ついお金に目が眩み、紫苑の提案に頷いてしまう。
疲れているが、お金の為なら仕方ない。
私の1日は深月を起こすことから始まる。
それから学院に行き、深月や友人の菜美や理華と学び、遊ぶ。
放課後は自由に過ごして、朝には帰宅する。
そして、こうしてゆっくり過ごした後、昼が来る前に眠るのだ。
これが死神の妖である私の特別でも何でもない平凡な1日だ。




