4.妖術学
深夜。
どこからか、ホーと梟の鳴き声が聴こえてくる、そんな丑三つ時。
私は特別教室で、妖術学の授業を受けていた。
妖術学とは、妖術の知識や実践法の学びを深める時間だ。妖として生きていく過程で妖術の扱い方は自然と身につくが、ここではより専門的な知識や実践法を学べた。
「みんな、札を出しなさい」
教壇の前に立ち、1枚の札を持つ、胸元が開いた白いスーツを着た美女。
とても珍しい格好をした美女の名前は、羽田純子。妖術学を担当する天使の妖だ。
純子ちゃんの手にあるあの札こそが、妖術に欠かせないものだった。
「やーっとあの、うるさいお坊ちゃまが消えてくれた」
私の左隣から大変清々しそうな人魚の妖、藍染菜美の声が聞こえる。
「ちょ、菜美…っ。そんなこと言っちゃダメだよ…っ」
そんな菜美の声に、菜美の隣にいた魔女の妖、理華は困ったように小さく声を上げる。
妖術学では、決められた席はなく、好きなところに座っていい。その為、仲の良い私たち3人は、一緒の長テーブルに座っていた。
ちなみに菜美の言う〝お坊ちゃま〟とは深月のことである。
「だって、深月のやつ、自分が結の一番じゃないとぶーぶー文句言うし、うるさいじゃん。席も隣じゃないといけないし?ペアも自分じゃないといけないし?」
ピンクブロンドの胸まであるふわふわの髪から覗く、濃いピンクの瞳が迷惑そうに細められる。
菜美の見た目は黙っていれば、まるで天使のように愛らしい。…そう黙っていれば。
口を開けばこんな感じで、かなりストレートな性格である。
「そ、そうだけど、深月くんはただ結が大切で、好きなだけで…」
菜美の言動に苦言を続ける理華。
オレンジの胸の上まである緩く編まれた三つ編みがゆらゆらと揺れている。
理華の焦茶の瞳はとても気弱そうで、守ってあげたくなる愛らしさがある。
例えるなら森に生息するリスだ。
「それが何?それ以前に超口煩いサイコパス野郎じゃん」
気の強い菜美と気の弱い理華。
当然、そんな菜美に理華が口で敵うはずもなく、「ゔぅ、でも…」と最終的に口ごもっていた。
2人の様子に私は「…はは」と呆れたように笑った。
いつもの光景なので、特に何か思うことはない。
最初はあの神園のご子息、そして次期当主であるからと深月もみんなから随分距離を置かれていた。
だが、今はこうして砕けた態度を取られるくらいには生徒たちと仲を深めている。
…まぁ、今は神園の用事でここに深月はいないのだが。
「全くです。特に異性と話している時のあの目といったら…。結先輩をなんだと思っているんですかね」
今度は私の右隣から本当に迷惑そうな声が聞こえてくる。
声の方へと視線を向けると、そこには儚げな美少年が当然のように椅子に腰掛け、深いため息を吐いていた。
肩に付くくらいの柔らかそうなホワイトブロンドの髪がさらりと揺れる。
同意を求めるようにこちらを見つめるほんの少し吊り目がちな大きな黄金の瞳には、「自分はまともである」と書かれていた。
…何故、この状況でそんな顔ができるのか。
「…」
無言で彼を見つめていると、彼は「なんですか」と眉間にシワを寄せた。
彼の名前は狐森紫苑。
あの狐の中でも有力な一族、狐森のご子息で、彼自身ももちろん狐の妖だ。
生まれた時から彼のその神童っぷりは有名で、妖力の強さ、妖術の再現性から天才と呼ばれていたらしい。
…が、彼は学院の1年生である。
そしてこの授業は2年生の授業だ。1年生が受けるものではないし、1年生には1年生の授業があるはずだ。
「…何してるの」
呆れたようにそう聞くと、紫苑は不思議そうに首を傾げた。
「普通に授業を受けていますけど」
「…教室違うよ?ここ2年ね」
「知ってます。自分でここを選びましたから」
心なしか紫苑の黄金の瞳がメラメラと燃えているように見える。
紫苑は先ほども言ったが、誰もが知る天才だ。
その人生の中でずっと当たり前のように一番を得てきた。が、私の登場により、それが脆くも崩れ去った。
最強と謳われる突然変異種の私には、妖力も妖術も敵わなかったのだ。
この学院の一番は紫苑ではなく、奇しくも私だった。
その為、紫苑は無駄に私に敵意をむき出しにしていた。
特にこういった実践を交えた授業では。
「今日こそ、アナタに勝ちます」
「へぇ、言うねぇ。一年坊」
無表情だが、どこか熱い雰囲気をまとう紫苑に、私はいたずらっぽく口元を緩める。
「1歳しか違わないのに先輩面しないでください」
「でも私の方が上だもんねぇ」
「精神年齢は俺の方が上です」
「いやいや、それも私でしょ」
「うっるさーい!」
いつものように言い合っていると、教壇から純子ちゃんの一喝が飛んできた。
「そこの天才2人組!今話しているのはこの私よ!黙りなさい!」
純子ちゃんの艶やかなブロンドボブから見える水色の瞳がキッと吊り上げられている。
これはかなりご立腹の様子だ。
「…全く!だいたいなんでもできるアンタたちだけど、一応はここの生徒なんだから授業くらい黙って聞く!」
「はぁい」
「はい」
純子ちゃんの注意に私はわざとらしく反省している顔を作り、紫苑はほんの少し不服そうに返事をする。
私たちの様子を見て、純子ちゃんは「…ったく」とため息をつくと、授業を再開した。
「じゃあ、改めて言うわよ。今日は妖術で人型を出してもらうわ」
「えぇー。難しすぎぃ」
純子ちゃんの言葉に、即座に菜美が文句を言う。
そんな菜美の横で理華も「む、無理だよ…」と泣きそうな顔で頭を抱えた。
2人だけではない。
教室にいる生徒たちも皆、純子ちゃんの出した課題に、同じように「難しすぎる…」「無理じゃね」とざわめいていた。
「確かに妖術で人型を出すことは非常に難しく、できる妖も数が限られているわ。だからこそ、それを実現させる術くらいは知っておくべきでしょう?」
それらしいことを先生らしく説く純子ちゃんに、理華がおずおずと右手をあげる。
「ち、ちなみに、ここを卒業するまでにその人型を作れるようになる生徒はどのくらいいますか…?」
「一学年に1人いればいい方ね」
「ひぃ…」
至極当然のように答えた純子ちゃんに、理華の焦茶の瞳がみるみる涙でいっぱいになった。
ほんの少し瞬きをすれば、溢れてしまいそうだ。
「じゃあ、無理じゃん!純子ちゃん!」
「ほんと無茶ばっか言うんだから!純子ちゃん!」
「とりあえず胸隠しなよ!純子ちゃん!」
「ええい!うるさぁーい!純子ちゃんじゃない!純子先生でしょうが!」
口々に何かを言う生徒たちに、純子ちゃんが叫ぶ。
ついでに「胸はいいの!これで!」とも言っていた。
だが、それでも教室内が静かになることはなかった。
「別にそんな騒ぐことじゃないのにね」
みんなの様子に、私はおかしそうに笑う。
確かに純子ちゃんの課題は難しいが、絶対にできないことではない。
「同感です」
紫苑も私の言葉に、無表情のまま頷く。
「まぁ、天才2人組ならそうでしょうね」
私たちの様子に、純子ちゃんは笑みを深めた。
そしてそのまま教壇の上にある札を手に取ると、そこに妖力を込め始めた。
するとその札はみるみると形を変え、やがて純子ちゃんそっくりの人型になった。
「天才2人には違う課題を出すわ」
人型の純子ちゃんが不敵にそう言って笑う。
「人型は人型でも、自分を出すという課題をね」
それから今度は本物の純子ちゃんが。
「まるで自分の分身のように動かすのよ、今の私のように」
次は人型の純子ちゃんが。
「「これは難しいわよぉ」」
そして最後には2人揃って同じ笑顔を私たちに向けた。
確かにこれは純子ちゃんが言う通り、とても難しいことだった。
妖術を使うには、まず2つのものが必要だ。
妖力の込められた札とそれを使うための妖力だ。
想像力、理解力があれば、妖術はなんでもできる。
…が、この妖術を正しく発動させることが、なかなかに難しいことだった。
ただ妖力が強ければなんでもできるわけではないのだ。
しかしそれでも私は純子ちゃんの「自分の分身を出す」という課題もとても難しいこととは思えなかった。
「今日の勝負はどっちがうまく自分を具現化できるかだね」
「…そ、そうですね」
自信満々で紫苑に視線を向けると、紫苑は少しだけ眉間にシワを寄せていた。
平然としているように見えるが、ほんの少しだけ自信のなさが表に滲み出ている。
「じゃあ、課題開始よ!」
純子ちゃんの明るい一声で、この難しい課題…と言う名の私たちのいつもの勝負は幕を上げた。




