第4章 ー元の世界に戻れないー
目を開けると、アリアがいた。
昨日から、三人になった。
「行くぞ」
「……どこに」
「森」
アリアは何も言わない。
少し後ろを歩いている。
風が吹く。
銀色の髪が、静かに揺れた。
◇
森に入る。
すぐに、気配が動く。
茂み。
低い唸り声。
一本の枝を握る。
昨日より、体が軽かった。
「I run!」
先に声が出る。
景色が流れた。
魔物の横を抜ける。
遅れて、風が頬を叩いた。
「……っ」
笑いそうになる。
速い。
「I jump!」
地面が遠ざかる。
上から、枝を振り下ろす。
「……おお」
思わず声が漏れた。
「次」
ミッチの声。
二匹。
「I run!」
走る。
「I strike!」
光が弾ける。
一匹。
もう一匹。
倒れる。
止まらなかった。
言葉を変えるたび、体が変わる。
先に言葉が走る。
後から自分が追いかけているみたいだった。
「……終わりだ」
静かな森に声が響いた。
息が熱い。負。嫌じゃなかった。
むしろ、もっとやりたかった。
アリアが、隣に来た。
「さっきの言葉」
「え?」
「遅かった」
「……遅かった?」
アリアは、僕の足元を見る。
「動いてから、言ってた」
「言葉が先」
小さな声。
「先?」
「先に言葉。あとで、体」
ミッチが、腕を組んだまま口を開く。
「言った通りに、お前がなる」
風が吹く。
枝が揺れる。
言葉が先。
体は後。
まだ、よくわからない。
なんとなく、すごいことだけはわかった。
もう一度、枝を握る。
茂みが揺れる。
飛び出してきた爪が目の前に。
反射的に叫ぶ。
「I strike!」
次の瞬間。
そこに、爪はなかった。
遅れて、心臓が跳ねる。
「……うわ」
アリアが、少しだけ目を細めた。
笑ったようにも見えた。
◇
訓練が終わる。
三人で、草原へ出た。
空が広かった。風が暖かい。
遠くまで、何もない。
その広さが、少しだけ怖かった。
「……ミッチさん」
「なんだ」
「元の世界って、どうなってるんですかね」
「知らん」
いつもの答え。
「いや、知らんって……」
「知らんもんは知らん」
またそれだ。
急に、胸の奥がざわついた。
家。
お母さん。
学校。
受験まで半年。
僕が消えたあと、どうなったんだろう。
枝を見る。
ふと、あの声が頭をよぎった。
――逃げ方を間違えるなよ。
喉が、少しだけ固くなる。
「……ミッチさん」
「なんだ」
「ちょっと、試したいことがあって」
ミッチはただ、少しだけ目を細めた。
二本の枝を並べる。
【 = 】
胸がうるさい。
「I am in――」
言葉が止まる。
嫌だったはずなのに。
それでも。
「――元の世界!」
光が弾けた。
真っ白に広がる視界。
その向こうに、ミッチの顔が見えた。
……笑っていた。
◇
柔軟剤の匂い。
テレビの音。
白い天井。
壁のポスター。
「……え」
体を起こす。
机。
本棚。
積み上がった教科書。
息が止まる。
壁のカレンダーを見る。
五月。
中学一年。
喉が鳴る。
ドアが開いた。
「翔登、朝ごはんできてるよ」
お母さんの声。
少しだけ、若い。
「あ……うん」
声が掠れる。
部屋の真ん中で、立ち尽くした。
てのひらに、硬い感触があった。
ゆっくり開く。
ボロボロの、二本の枝。
「……夢じゃない」
引き出しを開ける。
枝を隠した。
机の上に、プリントが置かれていた。
【1年生1学期 英語・中間テスト範囲】




