S2 第12章 ー消えない言葉ー
風が、違った。
白い残光が、ゆっくりと晴れていく。
頬を撫でた空気。
現実世界の湿った夏風ではなかった。
乾いている。
冷たい。
血と鉄が混じったような匂いがした。
ゆっくりと目を開く。
星のない黒い空。
岩ばかりの荒野。
遠くで揺れる火。
「……戻ってきた」
怯えは、もうなかった。
「遅かったな」
岩陰に腕を組むミッチがいた。
隣にはアリア。
白銀の星衣が、月光を受けて淡く輝いている。
ツクヨ・ミが、くるりと回った。
「おかえり、ハルト♪」
ザ・ハクは杖に触れる。
目を細めた。
「……顔が変わったな」
少しだけ笑った。
「そうですか?」
「前は、自分の足元しか見えておらなんだ」
「今は違う。"周り"を見ておる顔だ」
胸の奥が、静かに鳴った。
亜里沙。
元谷先生。
おばあちゃん。
不器用で、泥臭い。
でも温かかった無数の視線。
その全部が、今も身体の奥に残っている。
その時だった。
世界が、腐った。
空気が、一瞬でどす黒く濁る。
アリアの表情が強張った。
「……来る」
ミッチが、ゆっくり拳を握る。
遠く。
岩山の影。
空間が、ノイズのように歪み始めた。
黒い霧。
長いマント。
顔のない闇。
eraSer
以前より濃い。
夜そのもの。
意志を持って立ち上がってきたようだった。
ツクヨ・ミが、珍しく笑顔を消した。
「……早いね」
eraSerは、音もなく歩いてくる。
低い声が、世界を震わせた。
『観測対象、再発見』
背筋を、冷たいものが走る。
怒りでもない。
憎しみでもない。
どこか別の場所にいる"誰か"へ。
淡々と報告しているような声。
『能力、上昇』
『関係性変化、確認』
『危険度、更新』
黒い霧が、不気味に脈動する。
「また訳の分からんことを……」
ミッチが吐き捨てた。
でも、僕だけは気づいていた。
こいつは喋っているんじゃない。
"観測"している。
その瞬間。
eraSerが消えた。
「——右!!」
アリアが即座に反応した。
アリアは、一歩も下がらなかった。
星衣が、強く輝いている。
「ハルト!」
「分かってる!」
地面を蹴った。
I am faster!!
白い光。
加速。
以前のような焦り。
今は、どこにもない。
「僕が一人で勝たなきゃ」
じゃない。
後ろに、仲間がいる。
見ていてくれた人たちがいる。
支えられてきた時間がある。
だから、踏み込める。
二本の枝が、eraSerを斜めに切り裂いた。
黒い霧が、大きく揺らぐ。
初めて。
eraSerが、明確によろめいた。
ミッチの目が細くなる。
「……ほう」
eraSerが、ゆっくりと僕を見る。
黒い霧が、再び濃く脈動した。
『浅い言葉』
来る。
直感した。
世界が黒く染まる。
以前、言葉を歪めたあの力。
『強い』
『速い』
『守る』
意味が削られていく。
言葉が薄くなる。
"重さ"が奪われていく。
——でも。
僕は止まらなかった。
胸の奥に、消えないものがある。
夕暮れのグラウンド。
『見てるよ』
焚き火の向こう。
『立てない奴を怒鳴ったって、立てん』
静かな墓前。
『先生、俺のこと、最後まで見捨てなかったじゃないですか』
アリアの衣。
ミッチの拳。
元谷先生の背中。
おばあちゃんの笑顔。
亜里沙の目。
全部、ここにある。
積み重ねてきた時間がある。
だから。
言葉が、消えない。
まっすぐeraSerを見据えた。
「……違う」
黒い霧が揺れる。
「僕は、一人じゃない」
その言葉と同時。
二本の枝が、白く発光した。
光が爆発する。
世界が震えた。
eraSerが、大きく後退した。
『……何故だ』
その声。
初めて"揺れ"があった。
「言葉は」
「一人じゃ、重くならないんだ」
黒い霧が、不規則に脈動する。
『理解不能——』
その瞬間だった。
遥か上空。
空が、裂けた。
全員の動きが止まる。
黒い亀裂。
その奥。
"何か"がいた。
姿は見えない。
でも。
圧倒的だった。
自分たちを見下ろしているような威圧感。
男とも女ともつかない、冷たい声。
『……到達したか』
全身に鳥肌が走る。
その声が響いた瞬間。
eraSerが、ゆっくり膝をついた。
服従。
『予定変更』
『観測対象ハルト。危険指定』
空の裂け目が、ゆっくり閉じ始める。
静かに言った。
『故に、消去すべき』
次の瞬間。
空間ごと、eraSerが闇へ引きずり込まれる。
風だけが、荒野を吹き抜けていく。
誰も動けなかった。
「……今の、何」
ツクヨ・ミが、かすれた声で呟く。
ミッチの表情は険しい。
ザ・ハクは静かに目を閉じていた。
そして。
アリアだけが。
真っ青な顔。
閉じかけた空を見つめていた。
「アリア?」
「あれを……見たことがある」
「え?」
アリアの瞳が、恐怖に揺れた。
「私の故郷が滅んだ時も……」
「あいつは……eraSerは……」
風が吹く。
閉じた空を見上げたまま、小さく言った。
「上にいる"誰か"の命令を……聞いていたの……」




