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S2 第11章 ー元谷先生を支えた人ー

蝉の声。

遠くで滲むように鳴いていた。


真夏の墓地。

白い陽射し。

揺れる木漏れ日。


線香の煙。

風に溶けるように細く空へ伸びていく。


祖母の墓の前。

隣にいる大きな背中を見上げていた。


元谷先生。


怖い人だった。

怒鳴る人だった。


でも、今。

その背中が、少し違って見えていた。


  「……お前、小二の時のこと、覚えてるか」


墓石を見つめたまま、先生は低く言う。


「小二……?」


  「俺、お前ん家行っただろ。一回」


脳裏に、ぼやけた記憶が浮かぶ。


小さな玄関。

大きすぎる声。

見上げるほど大きな体。


怖かった。

ただ、それだけを覚えていた。


少年野球に入ったばかりの頃。

監督が、家に来た。


そして——

 奥から出てきた、おばあちゃん。


「あ……」


元谷先生は、少しだけ苦く笑った。


  「あの時は、俺も知らなかったんだよ」

  「お前が、"先生"の孫だってことだ」


先生。

迷いなく、そう呼んだ。


  「あの日な。帰ろうとした時

  「後ろから呼び止められたんだ」


——『元谷君』


耳の奥で、祖母の声が蘇る。

柔らかくて、でも真っ直ぐに届く声。


——『大きくなったねぇ。強くなったね』


元谷先生の口元。

ほんの少しだけ崩れた。


  「……めちゃくちゃ、嬉しかったよ」


驚いて、先生を見る。


  「昔の俺、ほんと最悪だったからな」

  「すぐ怒鳴る。喧嘩する。周りに噛みつく」

  「どうしようもないガキだった。」

  「でも、あの人は、責めなかった。怒らなかった」


先生の声。

震え出した。

  

  「ただ、『強くなったね』と言ってくれた。」

  「ちゃんと、見てくれてたんだよ」


声が、さらに震える。


  「どうしようもなかった頃の俺を」


何も言えなかった。


  「でもな。あのあと、言われたんだ」


視線が、静かに墓石へ落ちる。


——『元谷君なら、分かるんじゃないかい?」

  『 遥登の気持ち』

  『昔の元谷君に、すごく似てるもの』


蝉の声だけが響く。


  「図星だった。お前、怖かったんだろ。」

  「失敗するのが。怒鳴られるのが。」

  「……全部」


声が出なかった。

全部、当たっていた。


  「なのに俺は、お前を追い込むことしかできなかった。」

  「……『頑張れ』『逃げるな』『立て』。それしか言えなかった」


その背中、見たことがある。

焚き火の前で後悔を語っていた背中。


  「ある時な。中一の部員に」

  「"辞めたい"って言われたことがある」


先生が遠くを見つめる。


  「でも、その時は」

  「責めちゃいけないと思った」

  「……あの人に言われた言葉が、ずっと残ってたからな。」

  「だから、止めなかった。」


先生は言葉を詰まらせた。


  「でもな、本当は声をかけたかったんだ」

  「結局、何も言えなかった。そいつな……」


声が、少し掠れる。


  「今でも、顔を思い出せないんだ」

  「名前も。どんな声だったかも」

  「学校に、本当にいたのかすら分からん」


風が止まる。

蝉の声も聞こえない。


  「……俺、あの頃、壊れかけてたのかもな」


胸が、ズキリと痛んだ。


その「誰だったか分からない部員」。

 僕だと分かってしまった。


あの頃の僕は。

先生にとって、「顔のない恐怖」になっていた。


  「だからな、お前が、試合の日に逃げた時……」

  「また、何もできなかったと思った」


先生が唇を噛む。


  「でも、お前、戻ってきただろ。自分の足で」


顔を上げる。

元谷先生は、真っ直ぐ僕を見ていた。


  「あの時は、嬉しかったぞ」

  「ちゃんと、自分で戻ってきた」

  「強くなったな、って思った」


僕の中で、ずっと絡まっていた何か。

静かにほどけていく。


怖かった記憶。

逃げた記憶。


全部消えたわけじゃない。


でも。その奥。

ちゃんと「見てくれていた人」がいた。


  「おまえのおばあちゃんは俺を支えてくれた」

  「俺は、ずっと、おまえのおばあちゃんに支えられてきた」


先生の目。

 輝きが戻った。


  「だから今度は、俺がお前を支えたかった」

  「不器用でも。間違ってても」


その言葉。

どんな怒鳴り声よりも、重かった。


視界が滲む。


ミッチ。

 ミッチを助けたおばあさん。


元谷先生。

 僕のおばあちゃん。


アリア。

ザ・ハク。

ツクヨ・ミ。

亜里沙。


みんなが僕を見ていた。

僕が見えていなかった僕を。


「……先生」


元谷先生が顔を上げる。


「俺、怖かったです、めちゃくちゃ」

「でも、先生、最後まで俺を見捨てなかったじゃないですか」


風が吹き抜ける。

線香の煙が揺れる。


元谷先生は、少し顔を背けた。

西日に照らされたその横顔。


守られた僕。

助けられた僕。


人から何かされるだけでは終わらない。

僕はこれから。

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