表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/31

S2 第8章 ―水槽の向こう側ー

光だった。

白い閃光が、視界を塗り潰す。


次の瞬間。

 教室の机に突っ伏していた。


「……っ!」


ガタン、と椅子が鳴った。

 クラスメイトたちが、一斉に振り返る。


  「おい、渡来?」

  「大丈夫か?」


教室。

黒板。

天井のライト。

窓の外の曇り空。


全部、現実だった。


なぜ戻ってきたのか。

 逃げたわけではないのに。


自分の掌を見る。

 二本の枝はない。


でも。

 掌の奥には、感触が残っていた。


『まだ、浅い』


eraSerの声。

 耳の奥にこびりついている。



  「はいはい、席つけー」


担任が教室へ入ってくる。


  「明日の校外学習、水族館だからな。」

  「班行動で勝手に消えるなよー」


誰と回る。

どこを先に見る。


そんな声が飛び交う。

 僕はぼんやりと窓の外を見た。


その時だった。


教室の一番後ろ。

 静かに座っている女子が目に入った。


井淵いぶち 亜里沙ありさ


いつも一人。


昼休みも。

移動教室も。

体育祭も。


嫌われているわけじゃない。

でも、誰とも混ざらない。


透明な壁をまとっているような空気があった。



翌日。

水族館。


青い光が、床や天井にゆらゆら揺れている。


  「あれ、井淵いなくね?」

  「また一人でどっか行ったんじゃね?」


興味のなさそうな笑い声。


周囲を見回す。

巨大水槽の前。

深い青の光の中。


魚を見上げている後ろ姿があった。


「……井淵」


亜里沙がゆっくり振り返る。


  「あ」


「班、はぐれてるぞ」


  「うん」


困っている様子でもない。

 そのまま放っておけなかった。


「……戻ろうぜ」


小さく頷いた。


  「うん」


巨大水槽の横を通る。


銀色に輝くマグロの群れ。

 照明を反射しながら泳いでいた。


思わず呟く。


「……うまそう」


隣から、小さな笑い声が漏れた。


  「ふふっ」


亜里沙が笑っていた。

笑うところを、初めて見た。


「いや、絶対うまいだろ、あれ」


  「渡来くんって、そういう見方なんだね」


「え?」


亜里沙は、水槽を見上げる。

青い光が、横顔を静かに揺らしていた。


  「私は逆だな」


「逆?」


  「魚の気分になる」


「……は?」


  「魚から見た人間って」

  「どう見えるんだろうって考えるの」


巨大なエイ。

向こう側をゆっくり横切る。


  「私たちが見てるんじゃなくて」

  「水槽の向こう側から」

  「私たちが見られてるのかなって」


変なやつだと思った。

 でも、嫌じゃなかった。


その後も。

亜里沙は時々ぽつりと喋った。


クラゲを見る。


  「流されてるだけに見えるけど」

  「ちゃんと泳いでるんだって」


ペンギンを見る。


  「歩いてる時と泳いでる時」

  「別の生き物みたい」


同じものを見ているはずだった。

世界の切り取り方が全然違う。


帰り際。

夕方の光が、ガラスに反射していた。


亜里沙が、突然言った。


  「渡来くんって、投げる時」

  「癖あるよね」


「……え?」


  「ストレートの時」

  「一回上を見る」


動きが止まる。


  「カーブの時」

  「少しだけ右を見る」


自分は気づいていなかった。


「……なんで知ってんの?」


亜里沙は少し困ったように笑った。


  「いつも見てるから」


言葉を失った。

自分は、投げている側だと思っていた。

ずっと。


「……そんなに見るのが得意なら」

「マネージャーやれば?」


  「私が?」


「うん。野球部。向いてると思う」


亜里沙は少し俯いた。

夕焼けが、二人の影を長く伸ばしている。


  「……考えとく」



数日後。

亜里沙は、本当に野球部のマネージャーになった。


  「今、左足が開くの早かった」

  「渡来くん、今日ちょっと疲れてる?」

  「キャッチャー、相手にサイン読まれてるかも」


普通なら流してしまう小さな変化。

彼女は静かに拾い上げていく。


放課後。

夕暮れのグラウンド。


ネット裏。

スコアを書いている亜里沙の横顔。


見る場所が変わる。

世界の形も変わる。


ミッチは、僕をどう見ていたんだろう。

アリアは、僕をどう見ていたんだろう。


『まだ、浅い』

あの言葉が、胸に残る。


その夜。ベッドに倒れ込んだ。


天井を見上げる。

静かな部屋。

遠くで鳴く虫の声。


胸の奥だけが騒がしかった。


水槽の向こう側。

 立つ場所が変われば、言葉の重みも変わる。


もっと深く。

 知りたい。


目を閉じた。

暗闇の奥で。


あの世界が、確かに脈打っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ